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異文化コミュニケーション

 投稿者:かえで  投稿日:2015年 5月20日(水)19時32分34秒
返信・引用
  久保さん、こんばんは。
ご無沙汰しています。萩原智子です。
今、社会人短大生2年目です。
異文化コミュニケーションの宿題で、カンボジアの教育問題を調べています。
教員の質が低いのはポル・ポト時代の悲劇によるものだという事が分かって、
「キリング・フィールド」という映画がある事を知り、
もしかして久保さんが感想を書いてたりするのかな?と思い、
「キリング・フィールド 久保 共犯新聞」とキーワードでググってみたら、
「ストロベリー・【フィールズ】・フォーエヴァー」で共犯新聞がヒットしました。
久しぶりに立ち寄らせて頂きましたので、書き込んでみます。。。
 
 

ごめんね、世界。

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2014年 4月23日(水)14時53分27秒
返信・引用 編集済
  Ms.花・太陽・雨♪HTA don't worry your のっぽのサリーをパクったね、ウルフルズ~。Teddy Boy's here♪
>苦虫おじちゃん:「はう めにー "だいず" どぅ ゆー すてぃ ?」

■『共犯新聞』の人気企画
今月グラビアグラグラしてちゃ、血圧が上ガ~ル!ガールは、!?の予想人♪片目をつぶって、ウィンク米?名前は伏せときますも、セレクト人♪ホロピリ米、食ってるかー?blue.treeも、
二人とも、我が沼田町の農家の組合だいずに食べてね♪大豆部会』の役員&会長です(笑)。
忘れもしない、私が初めて韓国ソウルに行った1993年、CD屋で店員に、
「ボブ・ディランのCDはあるか?」と英語で訊いたら、
「?」とされたので、何度も「ディラン、ディラン」と繰り返しても通じず、紙に「DYLAN」と書いたら、
店員は明るい顔で、「おお~!だいらん!」と、言いつつ、ボブ・ディランのCDを持って来てくれた。
さらに、新品なのに、シールを開けて、中身を見せてくれた。もちろん、私は買わなかったけど(笑)。
つまり、Y=「い」、なのね。
今回の、ボブ・ディランZepp札幌2だいず(笑)では、
観客によるステージへの掛け声は、「ボブ!」「ボブ!」ばかり。
なんだか、ボブ・サップか、おされな髪型みたいなので、私はいつも言いなれた、「ディラン!」「ディラン!」と5m前から叫んでいたけれど、
ずーーーっと、1993年の韓国での「だいらん!」が頭から離れず、時々、何気に(?)「だいらん!」とも叫んでみました、とさ。

>「The Fabulous Thunderbirds」も検索すれば ちゃきっと引っかかるし。

パブ・ロックなのね♪
ウィルコ、宇井留子、って呼んでね♪ドクター・フィールグッド系の匂いがします~♪
でも、パブじゃなくて、「渋谷公会堂ぐらいのキャパ」で観たんだね~。
『共犯新聞』ご常連のドラマーすててん、ぽん。テラダヤは、
かつてロンドンのパブで、大学を落ちたら、浪人レ~ン!ロニー・レーンのライブを観てるんだよね。
いずれにせよ、うらやまちー。

>一日でも早く異国の地で異人になりたかった。

■全身相対化実験、かっ。
我が『前夜塾』仲間にも、
ロンドンで
7年間テクノ・パーティーまみれになって帰国したまた前夜にお逢いしましょう。青年
がいるけれど、
感性の相対化に、海外は最高の環境だよね。
もちろん、「海外」だけではダメで、「異人」になる、ってトコが最重要だよな。
ロンドンで「異人」になることで、近代の問題を全身相対化実験(←さっき私が作った新語です・笑。)したのは、夏目漱石が有名だけど、
そも&そも近代って、時代が変わる過渡期の課題、ってことだから、
そこに着いて行ける者、置いてきぼりされる者、上手にふるまう者、上手が苦手な者、など&などの分裂が生じる状態のことだよね。
そして、権力≒国家は分裂を嫌うので、なおさら、社会的「異人」が大量発生する逆説状態になる。
「文化」は、その原因であると同時に、副産物なのだから、おもしれーんだけど。

>浮浪者のおっちゃんに「お前は仕事をしろ!」と怒鳴られたこと、私の唯一の自慢話です。

■HTAさんの天才ぶりが再確認できる、最高のエピソードです(笑)。

>現在はすごく安定志向で
マイク通して人の曲をただ歌ってる有様。ちょっと旨くても面白くもなんともない。
若いんだから、もっと魂ふるわせてくれよ。。。

■だよな。
でも、みんなソレを感じているけれど、HTAさんのようにはっきり言う人は少ないね。
「若い人は、いいねぇ~。」とか、「元気があるね~。」とか、距離を置いた傍観者の消極的受け入れのみ。
つまんない人は、通り過ぎるからいいんだけど、やっぱ、批評の無いところに、クォリティは生まれにくいよね。

>ああ。言い得ている。。。そうだったのか。。。

■1985年問題の最大の戦犯は、私です(笑)。
あの時、私がロックを辞めなければ、世界はもっと面白くなっていたのに~。
ごめんね、世界。

>自由な「枕詞」が欲しい。音遊び+語彙遊び。日本人だけの豊かな言葉遊び。

■おお。これまた、するどいご指摘。
「日本人だけ」って、究極は言葉だもんね。
誰か、私がナショナリストになりたくなるよーな言葉を産み出してくれないものか(笑)。
三島由紀夫は、それをやろーとしたんだろーな。
詩人の役割は、まだまだ終わっていないね。

>さらに欲を言えば笑わせて欲しい。(笑)

■あーそーか、このレスは、タモリから始まったんだもんね(笑)。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

The Fabulous Thunderbirds

 投稿者:HTA  投稿日:2014年 4月22日(火)04時41分44秒
返信・引用
  >1984年?パンクってーよか、ニュー・ウェーヴとか、アヴァンギャルドやら、アフリカンやらで、
>世界で一番、ロンドンが知的で刺激に溢れていて面白い街だった時代だね。
 想い出に新たなる付加価値できました。渋谷のレコード店店長のまなちゃんは職業柄勉強を兼ねていたので、
 キャッチーなものを「TIME OUT」から PICK UPしてはあちこち連れ回してくれました。

私と来たら。。。

何かにつけてとにかく無知。調べない、覚えない。コンピュータのソフトウエア開発が仕事なので
「調べる・覚える」は職務なんだけど、まぁ、よくこんなヤツが30年もソフト屋やってるなぁって感じです(笑)。
渡英にあたっても「イミグレーションカード」すら知らなかった。入国審査で選んで
やさしいにこやかおばちゃんの列に並んだのに、カードがないから別の列へ回され、今度は真逆の
苦虫潰したようなおっちゃんに「sightseeing!」で滞在許可6ヶ月のはずが「One Month」と書き殴られ、
その後滞在期間延長のためにパスポートをPOST OFFICEに2ヶ月間奪われ、
初っぱなからパスポート不携帯の怪しい東洋人として日々を送ることになるのです。

その時の入国審査でのやりとり

 苦虫おじちゃん:「はう めにー "だいず" どぅ ゆー すてぃ ?」
  私:      「だいず?」(って思わずいっちゃったの。話聞いてたから生で聞けてうれしかったから(笑))
 苦虫おじちゃん:「イエス! だいず! だいず! だいず!」(ペンで机を叩き怒りに震えつつ「One Month」)

訳のわからん東洋の子供に発音を指摘されよほど腹が立ったんでしょう。あー怖かった。まだ顔覚えてる(笑)

そんな私にまなちゃんが見せてくれる当時のロンドンの最新ミュージックシーンはわくわくの連続でした。
有名ライブハウス網羅はもちろん、まなちゃんのアンテナに引っかかった「なう」なバンド巡り。

そして。。。「The Fabulous Thunderbirds」
 バンド名覚えているのはこれだけ(笑)。まなちゃんが帰国前に
 「いつも行ってるヤツより、ちょっとお高いけど、君の好みのバンドだと思うから」と連れて行ってくれた。
 渋谷公会堂ぐらいのキャパで行われたライブ。大はしゃぎする私に「君のような娘は珍しいよ」と言っていました。

しかしネットはありがたい。いい時代になりました。
「The Fabulous Thunderbirds」も検索すればちゃきっと引っかかるし。
久保さんには30年近くも経ってから、私の色濃い想い出にさらにペンキひっかけて貰えたし。

当時の私はとにかく日本社会で色々な経験を積む前に一日でも早く異国の地で異人になりたかった。
誰も私をしらない、言葉もあまり通じない未知の環境に自分を行かせたかった。
そしていろんな事に衝撃を覚えたかった。国籍差別も受けたかった。

上京してすぐに新宿の南口の階段に折り重なって寝ていた浮浪者を見たときの感覚忘れられない。
よく新宿西口の公園近くの植え込みの影で大声で佐野元春を歌っていたのですが
ある時、浮浪者のおっちゃんに「お前は仕事をしろ!」と怒鳴られたこと、私の唯一の自慢話です。

ロンドンではバスカーというのが地下鉄のあちこちで様々な音楽活動をしてたのですが、
日本で見るストリートほにゃららとは全く異質。ある夜、明らかにドラッグでつぶれた
20代の青年が、アンプを通さないエレキギターを弾きまくっているのにしばし見とれていた。
「ああ。これがロンドンか」と心が震えた。日本に帰ってからも小さなドラムセットを駅前で
笑顔で叩き巻くってったあんちゃんに足を止めたこともあったけど、現在はすごく安定志向で
マイク通して人の曲をただ歌ってる有様。ちょっと旨くても面白くもなんともない。
若いんだから、もっと魂ふるわせてくれよ。。。

>1980年代前半は、『ヤマハ池袋店』とゆービルで、1階に広い楽器売り場があって、たぶん2階にスタジオがあった。
>その時に、ヤマハの人が突然、私に「なぜロックをやるのか?」の説明をさせた(笑)。
>まぁ、とーぜんだけど(?)参加していた人々は私のスピーチに感動した(笑)。
 「この久保さん」と「そのような私」が「ここ」で非日常的な会話と唐突に繰り広げられるのも
 ネットコミュニケーションのおかげです。頭で考えてることを文章にすると脳に心地よい刺激が加わり快感を呼ぶ。
 快楽主義者としてとてもありがたいことです。

「埼玉県和光市のパンク・バンド、アナーキー」
  一応見ました。埼玉で。つまんなかった(爆)。

>爆風スランプになってから、ボーカルのサンプラザ中野とギターが、
>私のバンドを観に原宿クロコダイルとかに来ていて、ライブ後に話したりしたなぁ。
 ああ。クロコはそれ自体、ちょっとあこがれでしたね。ムードがよかった。
 私もその頃とーぜん(?)、バンドのまねごとしてました。六本木のホットロケットだったか。。。
 「ぴあ」で見つけてVo参加したバンド(でもコーラスだった(笑))で
 だれかの結婚披露宴の座興を演りました。これが唯一のライブ体験(楽)。

>やはり、ここにも「1985年からロックが面白くなくなった「1985年問題」」があるなぁ~。
>1985年って、高橋章子が編集長をやっていたパルコ出版発光のサブカルチャー雑誌『ビックリハウス』が廃刊になった年
 これもまた文字で読ませてくれて感謝。そこにある種の区切りが確かにある。
 沢田もサザンもライブをしなかった年がこの直前だった。ある種の喪失感が渡英の引き金になったのは確かです。
 ああ。言い得ている。。。そうだったのか。。。

>最近、学生短歌会ブーム(?なのか?)が起きている・らしーけど、
>それも何度目かの形を変えた新『「自分で納得いく「流れ」」文体』運動だと私は思う。
 できれば「俳句」にも手を染めて欲しい。新しいカタカナ季語をいっぱい作って欲しい。
 それと、短歌なら「枕詞」を今の語感で生み出して欲しい。5文字以上でも構わない。
 自由な「枕詞」が欲しい。音遊び+語彙遊び。日本人だけの豊かな言葉遊び。
 さらに欲を言えば笑わせて欲しい。(笑)
 

永遠の新『「自分で納得いく「流れ」」文体』運動

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2014年 4月16日(水)14時01分14秒
返信・引用 編集済
  Man we was lonely Yes 花・太陽・雨♪HTA was lonely
>BLUE HEARTS の甲本がバイトしていて、知り合いのりかちゃんが彼を連れ込んでました。

■じゃあ、私とHTAさんの人生も、かすってますね(笑)。
2014 年1月26日(日)朝6時に脳梗塞で突然、死んだ、♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die三宅どじん伸也からの甲本@BLUE HEARTS つながりです。

>1年後には渡英しライブハウスをあちこち回りパンクなバンドを数々見ました。

■それは、すげええ。
1984年?パンクってーよか、ニュー・ウェーヴとか、アヴァンギャルドやら、アフリカンやらで、世界で一番、ロンドンが知的で刺激に溢れていて面白い街だった時代だね。
私はそのころ、音楽専科社のアイドル(?)系ロック・グラビア雑誌『アリーナ37℃』に連載コラムを書いていて、
翌年の1985年3月に急にバンドを辞めて、その連載をバンドの他のメンバーが引き継いだ時、
『アリーナ37℃』編集部では、「久保はロンドンへ行った。」と、ささやかれていたそーです(笑)。
その雑誌の私と同世代のイラストレーターが、その直前にロンドンに行ったので、私もとーぜん、その頃はロンドンに脳味噌が向いていましたからね(笑)。
でも、HTAさん、もし♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieリップ・リグ・アンド・パニックとか、♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieスージー&バンシーズとか、1984年にロンドンで観ていたら、すげえや。

>高校時代、例の悪友は「新聞」を定期的に発行していました。

■ああ、そー言えば、私も高校1年生の時に手造りの「雑誌」を作って、当時の仲の良かったクラスメイトひとりだけ(!)に、それを読ませていたなぁ(笑)。
そう考えれば、「書く」&「読ませる」、って治癒の効果があるんだろうな。
「青春」って、病気だから(笑)。

>自分で納得いく「流れ」が出来ると
  ご満悦です。その快感までは読み返し修正を繰り返してます。多分、他人にはその「流れ」の快感は
  理解されないと思います。

■そこも、同感(笑)。
完璧な文章が書けたのなら、そこが人生の到達点であってもかまわない、みたいな(笑)。
それも、治癒なんだろうな。
「人間」って、病気だから(笑)。

>今、サンシャインの前のヤマハでドラムレッスンしてます。(池袋東口徒歩5分、スポルト池袋ビル6F)

■1980年代前半は、『ヤマハ池袋店』とゆービルで、1階に広い楽器売り場があって、たぶん2階にスタジオがあった。
スタジオは練習用も、レコーディング用もあって、そこで私が作詞&作曲をした超☆初期の5~6曲をヤマハ側の希望でレコーディングした。1981年、だっ
たかな。
「戒厳令の街」、「19のぼくのジュークボックス」、「つ・な・が・り・た・い」、「ごきげんダンサー」、ってな曲だった(笑)。
で、1階の店舗ではインストア・ライブを何度もしたよ~。
そうだ、1982年の秋、そのスタジオのあるフロアに、ヤマハがバンドを10~20ほど集めてミーティグ(?)のようなことをしたことがあって、
その時に、ヤマハの人が突然、私に「なぜロックをやるのか?」の説明をさせた(笑)。
まぁ、とーぜんだけど(?)参加していた人々は私のスピーチに感動した(笑)。
で、ヤマハの人が、「埼玉県和光市のパンク・バンド、アナーキーも、ここヤマハ池袋店から出たバンドだけど、
同じパンク・バンドとしてくくるられているけれど、アナーキーと久保くんのアブノーマル・ストリッパーは歌詞が決定的に違う。
アブノーマル・ストリッパーの登場は、日本のパンク・バンドをアナーキーから次の段階へ移行させた。」
と、解説してくれた。
で、それから、他のバンドの人たちも発言をして、最後にマトメをしようと、ヤマハの人が、
「とにかく、ここヤマハ池袋店には、こんなにユニークなバンドが周囲にいる。
最近、話題のテレビ番組で、こーゆーのがあるんだけど・・・
友達の友達は、皆、友達だ。世界に広げよう友達の輪っ!!」
と、突然、両手を上げて上で輪を作ったんだけど、なんと、その時、100名ほどいたバンド・マン席の中で、
唯一、両手を上げて「輪っ!!」と、一緒にやったのは、私だけだった(がくっ。)。
と、よーやく、話題がタモリに戻ったわけで(笑)。

>「RUNNER」なんて、
  ぜんぜん★指導?教育?勝負?しつけ♪爆風じゃない。

■そうそう、当時は、「爆風銃」(ばっぷ・がん)とゆーアフロ・ヘアーのスライみたいなファンク・バンドと、
「スパー・スランプ」とゆー「スーパー・トランプ」をもじったよくある学生バンドの出オチ・ネーミング早稲田大学バンドがいて、それが合体して「爆風スランプ」になったんだよね。
彼らは私たちよりも年上だったので、1981~1982年の私のバンドがヤマハ池袋店に出入りしている頃には、もうそこの顔だったよね。
爆風スランプになってから、ボーカルのサンプラザ中野とギターが、私のバンドを観に原宿クロコダイルとかに来ていて、ライブ後に話したりしたなぁ。
彼らの気持ちも分かるし、演奏が上手なのは、あの頃の楽器エリート集団として認めるけれど、確かに、「ぜんぜん爆風じゃない」よね(笑)。
私は爆風スランプをデビューの前も後も、ちゃんと聴いたことはなかったけれど、
デビューしてずいぶんたってから中野がインタビューで、「我々のような社会に対するメッセージ・バンドは・・・」的な発言をしていて、がくっ、とした記憶がある。
やはり、ここにも「1985年からロックが面白くなくなった「1985年問題」」があるなぁ~。
1985年って、高橋章子が編集長をやっていたパルコ出版発光のサブカルチャー雑誌『ビックリハウス』が廃刊になった年でもあるんだよね。
『ビックリハウス』の功罪ってのも、いろ&いろあるけど(笑)、
さっきのHTAさんが書いたところの「自分で納得いく「流れ」」文体の実験の場でもあったよね。
当初は、寺山修司~萩原朔美(=1974年からの初代の編集長だよね~。)とゆー70年代的「自分で納得いく「流れ」」の実験の場だったけれど、
80年代になってから、橋本治、糸井重里らの新(?)『「自分で納得いく「流れ」」文体』運動(?)にスムーズに継承され、
それは椎名誠や高橋源一郎の同時代性とも呼応し、村上春樹→安西水丸→みうらじゅん→ナンシー関と、我らの世代に近づいてくるわけだ(笑)。
最近、学生短歌会ブーム(?なのか?)が起きている・らしーけど、それも何度目かの形を変えた新『「自分で納得いく「流れ」」文体』運動だと私は思う。

>夫のつりのため3時起きです。

■最初、「夫のつわりのため」、と読んでいた(笑)。

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バック・シートで、グラスいっぱいの言葉を。Oo you
Walk like Mr.いつも、吹かれているのさ。ディラン
>昨日はニトベイビーや木下さんとは会場で会いましたが、久保さんとは残念ながら会えませんでしたね。

■木下さんがいらしてたってコトは、やっぱ、♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die三宅伸治さんもいらしてたのかな(笑)♪
私はトモダチがいないので(がくっ。)ボブ・ディラン札幌ライブの両日とも、ひとりで行って、ひとりで帰宅し、その間、誰とも話さず、まるでディランに通勤しているようでした(笑)。
その代わり(?)私は初日は、たぶん會田千夏画伯、札幌のバンド「ドライブ」のボーカルを見かけました(笑)。
2日目は、私の2人前に前・衆議院議員の逢坂誠二が取り巻き4人を連れて来ていました。
が、彼のブログでは、ボブ・ディランのライブに行ったことには、触れられていない(笑)。
もちろん、彼が北海道大学薬学部の学生時代からザ・バンドのファンであることは有名なんだけどね。
ちなみに、私は初日は、センター・マイクとピアノの中間の前から5人目。
2日目は、センター・マイクから垂直に真正面(!)の6人目。ってコトは、逢坂さんはその4人目。
両日とも、(芦別市ではなく)ニューヨークのディランから、5メートル以内。
私の声が届く範囲内にディランがいた~。
たぶん、当日の録音があれば、私の声「イエー!」とか、「ディラ~ン♪」とかがかなり入っているだろう(笑)。
もちろん、両日ともスタンディングだったし、昼&夜メシ抜きで汗をかいて踊ったので、体脂肪&体重が減りました(笑)。
逢坂さんも、スタンディングだけど、今の彼は議会でも席は無くてスタンディングだけど、私は議会には席があるのでした~。がくっ。

>ソウルサバイバーという懐かしい名前を見かけたので、書き込みました。

■ご存知でしたか!
akillerさんの友人たちなのですよ。
彼らの全盛期に私は東京、1985年以降は札幌で音楽抜きのハード・サラリーマン労働者でしたので、知りませんでした。
が、akillerさんに言わせれば、ソウル・サバイバーの登場は当時の北海道の音楽シーンに大きな衝撃を与えたそうですね。
確かに流出しているYouTubeを観ると、さもありなん。
彼らは元々、旭川市のバンドで、ボーカルは現在、旭川近郊の永山で30人ほどの社員のいる建設会社の社長をされているそーです。
『共犯新聞』1面トップのアフター・ストーン記事で、
私の向かいに座っている息子の横のまだまだ、続くぜ~。by.ミック・ジャガー先生3人が北海道人の発想には無いメニューだねー。ソウル・サバイバーたちです(笑)♪

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Momma Miss America
for
Mr.ABST イーサン
>リハーサルの時に若林様が座ってるのを拝見し・・・あれっ どこかで見た顔だなあ・・・芸能人かな・・・

■若林博士は、今週末には沼田町に戻って来るので、新生アブノーマル・ストリッパーの感想を聞くのが楽しみだよ~ん。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

若林博士 様

 投稿者:ABST イーサン  投稿日:2014年 4月15日(火)20時07分15秒
返信・引用
  先日はアブノーマルストリッパーの吉祥寺ライブ視察に足を運んで頂き 誠に有難うございました! リハーサルの時に若林様が座ってるのを拝見し・・・あれっ どこかで見た
顔だなあ・・・芸能人かな・・・いや、私の取引先の工務店の社長だったかなあ・・・うーん、幼馴染だったかなあ・・・いや先輩だよな・・・それとも50年前の友人だったかな・・・とにかく思い出せない。お顔はとても印象が深いのに・・・ということで話かけられなかったのであります。  ちょっち目が合ったようでしたが、とにかく思い出せなかったです。 共犯新聞 最近観てなかったし。   後で思い出して驚き!!^^  とにかく有難うございました。
 

ソウルサバイバー

 投稿者:ディラン  投稿日:2014年 4月15日(火)14時09分39秒
返信・引用
  久保さん、芦別のディランです。
って一応断っておかないと、今日本に来ている御本尊と間違えたら困るので…。
昨日はニトベイビーや木下さんとは会場で会いましたが、久保さんとは残念ながら会えませんでしたね。
ソウルサバイバーという懐かしい名前を見かけたので、書き込みました。
といっても、何十年も前に一度ライブで見て、「いいバンドだなぁ」という記憶しかないですけど。
久保さんとお知り合いとは。
まさか沼田に住んでるんですか?(・_・;
 

早朝即レス

 投稿者:HTA  投稿日:2014年 4月14日(月)04時25分45秒
返信・引用
  > セックス・ピストルズのデビュー・ショックをリアル・タイムで味わったため、
   その頃は小学生で合唱部に入りキャンディーズに夢中だった。
  私は1983年に上京したのですが、一人暮らしを始めたころ近所のコンビニに
  BLUE HEARTS の甲本がバイトしていて、知り合いのりかちゃんが彼を連れ込んでました。
  ある時お邪魔虫した私は甲本から「MODS」というジャンルを教わりピストルズを見ました。
  それなりの衝撃を受け、1年後には渡英しライブハウスをあちこち回りパンクなバンドを
  数々見ました。現地で知り合った渋谷のレコード店の店長まなちゃんが色々教えてくれました。
  彼女と別れる時、自分の好きなジャンルを「内容」で伝えたところ「R&B」と知らされ、
  生バンドや、ちょっとしたやばいお祭りにも参加しました。「スカ」を教えられ、
  帰国してからもまなちゃんとつるみ「レピッシュ」を見ました。彼女がいか天前の
  「マルコシアスバンプ」のギターに惚れ、「T-REX」好きの私は文句なくOKでよく通いました。
  この時私はベースにやられ、ギターの認知は井上さん、ベースはサトケン、ドラムはポンタをいう順に
  開眼していきました。でも古くからずっと聴いているのは「ホーン」です。
  お気に入りは「ホーン」が効いてる曲ばかりです。

> ねじれた私が書くのは、「誰か」に読ませる「日記」としての、『共犯新聞』。
    高校時代、例の悪友は「新聞」を定期的に発行していました。細かい手書きの文字で色々書かれていましたが、
  熟読する根性はありませんでした。年中つるんでいたので2人で発行しているものと勘違いされたこともありました。
  「あんた、ちゃんと読まないよね」と言われ続けながらも傍らに常にその「新聞」があり、彼女との「会話」は深く
  くだらなく、その後終了を迎えるまで繰り返されました。「共犯新聞」もナナメ読みしかしませんが、
  このゲストブックでのやりとりは当時の感触を思い出させます。

> 自分を笑わせるために書いた駄文、ってことなら、かなり高度!
    文章力はないので「テンポとリズム」だけを重視して書いてます。自分で納得いく「流れ」が出来ると
  ご満悦です。その快感までは読み返し修正を繰り返してます。多分、他人にはその「流れ」の快感は
  理解されないと思います。で、でも、も、もしかして。。。久保さんには伝わってたりして。。。
  以前内容のない駄文を取り上げて下さったので。。。

> 1981年に池袋サンシャインの手前のYAMAHAの常連バンドを2年ほどやった。
> 当時の周辺バンドがデビュー前の爆風スランプや、レベッカです。
    今、サンシャインの前のヤマハでドラムレッスンしてます。(池袋東口徒歩5分、スポルト池袋ビル6F)
  このビル、古いのでもうすぐ取り壊しです。「爆風スランプ」も見ましたね。「RUNNER」なんて、
  ぜんぜん爆風じゃない。「すいかぁ」とか「象乳」とか、例の悪友の紹介で上京前から聴いてました。
  「TOPS」はモロストライクゾーンだったので行きましたが、本家「スペクトラム」の新田のライブは
  欠かさず悪友と行きました。悪友は新田のファンで、私はあの独特のペット優先サウンドがお気に入りでした。

追伸
 夫のつりのため3時起きです。時間が余るので即レスしてます(笑)。

 

「信じる」とは、「持続力」のこと。

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2014年 4月11日(金)14時16分42秒
返信・引用 編集済
  "Why, why?", says the ロケンロー60’s!junk in the yard for Mr.自由すぎ~(笑)♪hide

>ご自由にお使いください。

■さっそく、
自由に送別式!! 30年間御苦労さまでございました。使わせてブルーさんってカッコいいねー(がちょーん)っといただきました♪
♪ホロピリ米、食ってるかー?blue.tree亡き後の沼田消防団は、hideの同級生”なかよし”コンビ=ひろた&カツノリが盛り上げてくれるとしても、
全沼田町民の関心は、♪ホロピリ米、食ってるかー?blue.treeくんの今後の活動だよね~。
教育委員長とか、専業グラセレクト人になる、とゆー道もあるけど、私としては是非、町議会議員になっていただきたいけど、いかが~?

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黄色いバスで、ポップコーンを世界中にばらまきに行くんだ。Maybe I'm amazed at the way Ms.花・太陽・雨♪HTA pulled me
>OBKT-HTA です。

■HTAは、
PYGの名曲ジュリーと、サリーと、サルトル。「花・太陽・雨」から、と・教えていただいてはいたけれど、
「OBKT」は、「おバカちゃん」?・・・もしくは、「小保方チーム・リーダー」?

>持続力しか信じていない私

■なるほど(笑)。
モノや、名前ではなく、コトですらなく、情況、ですな。
ただ残念ながら(?)、私は1977年のセックス・ピストルズのデビュー・ショックをリアル・タイムで味わったため、
「もう持続力の時代は終わった。」を、どこかで自分の行動規範にしているところがあるようです。
じゃ、何なのか?ってコトなんすが、
「瞬発力の連発としての持続力」(がくっ。)ってゆーか、「脳味噌の自転車操業」とでも言いましょーか。
で、コンピューター&ネット時代は、情報のオートメーション管理が爆発的に可能になったので、
「検索する瞬発力の自転車操業」が、今のところ一番、正確な私の情況かも(笑)。

>久保さんは「信頼できる男」です(笑)。

■(自分のことだから詳しくは書きませんが・笑)なんか、分かる気がします(笑)。てか、同感です(って、自分で言うか。)。

>喪失感から抜け出す為に文章を書きました。

■ああ。「正しい」って言葉も安易には使えませんが、正しい言葉の力ですね。
もしくは、正しい言葉の使い方。
言葉の始原の理由。
その裏ネタとしての、孤独の効用。
人間の条件が、「観察」と「思索」であるのならば、そのツールとしての「孤独の効用」の果実としての、「言葉」。そして、その「力」。

>昔から「誰か」に読ませるために文章を書いてました。だから日記は書きません。

■ねじれた私が書くのは、「誰か」に読ませる「日記」としての、『共犯新聞』。
ずいぶん前に私はHTAさんから、書き溜めた長文をプレゼントしていただいたことがありましたよね。

>「あんたのはネタより誤字の方が笑える」

■そいつを笑わせるために書いた駄文よりも、そいつの感想(つまり、↑コレね♪)の方が笑わせてくれた~、みたいな(笑)?
ねじれ、ねじれて、自分を笑わせるために書いた駄文、ってことなら、かなり高度!

>3.11もサンシャインでした。船酔いしそうな揺れでした。

■1979年に高校3年生だった私は、サンシャインをP-modelのファースト・アルバムで知り、
1981年に池袋サンシャインの手前のYAMAHAの常連バンドを2年ほどやった。
当時の周辺バンドがデビュー前の爆風スランプや、レベッカです。

>左足ではゴーストを踏んでいる

■なんか、詩みたい。

>akillerさんもお元気そうで。同い年です。私もいい感じに白髪が増えてます。

■そうそう、HTAさんはakillerさんのバンドの東京ライブ・レポートを『共犯新聞』に投稿してくれましたね(笑)。

みぽ次は、誰と~♪りんにプレゼントしたアルバム「Mellow」は名盤

■私は昨年、「をたく、ヤンキー論」を少し考えていましたが、
中山美穂は、「ヤンキー」で始まって、「Mellow」あたりから「をたく」に変遷した、って印象を私は持っています。
をたくのピークは、荒木経惟@アラーキー&荒木陽子の私的小説を原作とした竹中直人監督の映画『東京日和』(1997年10月18日)、かな。
エコーズの辻仁成が、みぽりんに手を出したのは、「をたく」による「ヤンキー」への復讐だった・のではないのか?ってゆーのが、私の見方(笑)。

「ツィゴイネルワイゼン」の寝床から大谷直子に「おい」と怒鳴るシーン。

■鈴木清順の映画『ツィゴイネルワイゼン』は、1980年に公開されたんだけど、
1980年って年は私にとっては浪人時代(がくっ。)で、北海道~東京に渡る過渡期の札幌時代。
翌年、東京に住み、新宿に行くと、中古レコード屋のレジ・カウンターには、映画『ツィゴイネルワイゼン』のサントラ・シングル・レコードが、ほとんど必ず、
並べてあった。
(今も)田舎者の私は、そのジャケットの擬似ノスタルジー臭に排他的なスノビズムを感じましたが、
なんだか、東京へ住む試験のような(笑)印象を強く感じもしました。

>夫も好きでよく一緒にデニーロの作品を見る

■もちろん、ニューヨークをたくな私はロバート・デ・ニーロが大好きなんだけど、
どーも、最近は、いい作品に巡り合っていないよね~。
『レッド・ライト』は、サイアクだったね。
スタッフも、ちゃんとホンを選んでほしーよなぁ~。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

持続力しか信じない

 投稿者:HTA  投稿日:2014年 4月11日(金)04時35分49秒
返信・引用
  お疲れ様です。OBKT-HTA です。

世の中に「なになに」力って色々あるけど、持続力しか信じていない私にとって
久保さんは「信頼できる男」です(笑)。

「ソチ」が終わり「いいとも」が終わり喪失感から抜け出す為に文章を書きました。
昔から「誰か」に読ませるために文章を書いてました。だから日記は書きません。
前回の書き込みに出てきた悪友は「友」と呼べる唯一の人間でしたが、
26歳で肺ガンに奪われました。そいつを笑わすためによく駄文を書きました。
でも彼女の評価は「あんたのはネタより誤字の方が笑える」でした。

来月のGW明けに10年勤めた職場がサンシャイン60から移転します。
3.11もサンシャインでした。船酔いしそうな揺れでした。

仕事も続いているため、ドラムレッスンも継続できてます。
でも私のは打楽器の役割をなさず、ただフレーズを演奏にのせているだけです。
今、「うら」をとる練習をしています。リズムパターンとフィルインをフレーズとして
とらえているため、2つのことを同時に考えているような感覚になり非常につかれます。
とはいえ左足ではゴーストを踏んでいるので「うら」が苦手のようです。日本人ですね。
akillerさんもお元気そうで。同い年です。私もいい感じに白髪が増えてます。

みぽりんはビジュアルがいいのでよく見てました。当時交際の噂もあった井上ヨシマサが
みぽりんにプレゼントしたアルバム「Mellow」は名盤です。その彼がAKBの曲も担当していたため
秋元康による2度目の隷属中の夫の傍らでAKBもチェックしてます。
「押メン」はぱるる。「お気に」は松井玲奈。

ノーマルな私は女にはカンジないので、男も挙げましょう。
ちなみに声フェチじゃないので沢田さんは登場しません。役者オンリーです。
じゃ、「キタ」順にいきます。

1.原田芳雄
  「ツィゴイネルワイゼン」の寝床から大谷直子に「おい」と怒鳴るシーン。
  小学生の時、「二丁目の未亡人は、やせダンプといわれる凄い子連れママ」でファンになり
  ずっとチェックしてました。「二丁目」での山崎努とのラブホシーンがお気に入りです。

2.デニーロ
  MAX。夫も好きでよく一緒にデニーロの作品を見るのですが、けどられないよう、必死です。

3.松潤
  まだ気づかれてないっす。

追伸
 通勤前の朝のアイドルはNHKの「おはよう日本」のお天気担当渡辺蘭ちゃん。
 ついでに同番組の朝のどっきりが道路交通情報センターの鈴木祈さん。

 

最後の・・・

 投稿者:hide  投稿日:2014年 4月 9日(水)14時09分36秒
返信・引用
  送別式!! 30年間御苦労さまでございました。記念写真をとりましたので、どうぞ、ご自由にお使いください。ブルーさんってカッコいいねー(がちょーん)っと
 

『共犯新聞』は君を引っかけ続ける(笑)

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2014年 4月 5日(土)11時24分59秒
返信・引用 編集済
  ポールは、台所でコップに指を。Glasses for Ms.花・太陽・雨♪HTA
>ソチオリンピック終了後の浅田真央のコメントもしかり。単純に泣けた。

■実は私は、テレビなどでフュギュア・スケートを観るたびに、
「HTAさんなら、これを、どんな言葉に置き換えるだろうか?」
と、思っていましたよ。

>ただ著名人(メディア等に露出し不特定多数の他人にその存在を知られる立場の人)が一般人に与える影響には絶大

■最近の私のテーマ、

「メッセージよりもビジョンの方が、効果的かつ本質的に相手に届く」
は、それ、ですな。

>「好きな著名人が繋がる」快感

■自分のセンス(→センスとは、表層ではなくて、全人格、だ・と私は想う。)が、認められた=許可された快感。

>「いいそうで絶対言わないこと」を瞬発的に(この「瞬発」が肝)誇張して言いまくるものであり、単なる声帯模写ではない。

■その差異の指摘、すげー重要だね。
表現と批評の両立、ってコトだな。
ひるがえって、最近の「お笑い」がつまらないのは、批評が無いから。
「ツッコミ」&「いじり」を、批評と勘違いしているから。
もしくは、安全な批評としての「ツッコミ」&「いじり」を代替えとして「公共性」が活用している、から。

>浅井慎平と演る「二人寺山修司」

■私が好きなエピソード(?)は、
1970年代にタモリが新宿の呑み屋のカウンターで友人と2人で、大学教授ごっこ(笑)をしながら、
でたらめな(!)サルトル論を激論していたら、近くにいた大学生2人組が、
「今、おふたりのお話しを、近くでそれとなく聞いていたのですが、感動しました。
もしよろしければ、お隣で、続きを聞いていていいですか?」
と、言い出したから、さらにタモリは、えんえんと、いんちきサルトル論を続けたのだ~☆って、やつ(笑)。
確かに、これなんか、モロ、「表現と批評の両立」だよな~。

>「シチュエーション」と「瞬発力」が小気味よく交わるのがタモリワールド。

■それって、つい最近、愛仁ちゃんが書いてくれた「久保さんが飲みに誘われる5つの理由」と、
似てる(笑)。

>つい最近では阿部首相に「麻生さんのこと、嫌いなんですか?」。

■うける(笑)。
上記の「久保さんが飲みに~」にあてはめれば(がくっ。)、
「⑤ 失礼のようなのに、大笑いできる鋭いツッコミがある」、ですな(笑)。

>安定した情報をテレビから得るようになり「瞬発力」は今やネットに移行している

■ここが、HTAさんの今回の論旨の核心だね。
1970年代、裸のラリーズよりも、沢田研二のほうが過激だった、ってことだよね。
アンダーグラウンドとゆー安心、ぬるま湯、おたがいの背中をかいてあげられるタコ壺、の危険を自覚しよう、ってことだな。
私が1980年代初期のインディーズ・レコード全盛期に、メジャー・デビューにこだわったのも、同じ論旨から(笑)。

>無秩序な世界で「公共性を持ったちょっと危険で楽しい瞬発力」は育たない。

■「表現と批評の両立」の必要条件は、緊張感、とゆーこと、だね。
それらって、「闘い」の必要条件でも、あるね。
だから、タモリは、ずっと、面白いのか。
まずは、『夕刊・タモリ』を復活してほしいな(笑)。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

「共犯新聞」でまだ引っかかった

 投稿者:HTA  投稿日:2014年 4月 5日(土)06時29分8秒
返信・引用
  もう、お名前も忘れちゃって、やっと思い出したのが「共犯新聞」。
まだあったのねー。久々に文章書いちゃった。yahooの知恵袋に載っけたヤツです。なんか、お誕生日だったらしく、この投稿がプレゼントです。

「笑っていいとも!」が終了した。正直、こんなに泣けるとは思わなかった。
涙の原因はもちろんタモリ。最後の挨拶が「視聴者」に対するものだったことが原因。
人間ってホントに単純で「自分」に対する「メッセージ」は文句なしに心に響く。
ソチオリンピック終了後の浅田真央のコメントもしかり。単純に泣けた。

長く一人の有名人を応援し続けることは、一般的に「愚かな」行為とされる。
家族・身内・友人等実際の人間関係より強い影響を著名人に感じる一般人は
俗にいう「オタク」だったりもする。

ただ著名人(メディア等に露出し不特定多数の他人にその存在を知られる立場の人)が
一般人に与える影響には絶大なものがあるのも事実。

1970年代、ラジオの深夜放送で情操教育受けた私は特に永六輔さんのラジオ放送を
好んで聴いた。そんなときに昼過ぎのTVの生放送(「3時のなんとか」かな)で
赤塚不二夫のアトリエを訪ねたとき、最後の画面に出てきたまだイグアナで有名に
なる前の無名のオジサンに度肝を抜かれた。そこには赤塚が紹介する「面白い奴ら」が
ワンサカいて大騒ぎしていたが、今よりは目の表情が読める濃いブラウンの
サングラスをかけたさえないおっさんは「深夜のラジオ放送に紛れ込んでくる
韓国語放送」というネタを披露し続けていた。それはシュールで「お笑い」という
ジャンルに納まるものではなかった。その後、NHKの「テレビファソラシド」で
永さんとタモリの共演を見て、オタクファンとしての至上の喜びである
「好きな著名人が繋がる」快感を初めて得た。

タモリといえば「イグアナ」と言われることが多いけど、私のお気に入りは
「中洲産業大学の教授」である。タモリのモノマネの特徴は、その人が
「いいそうで絶対言わないこと」を瞬発的に(この「瞬発」が肝)誇張して
言いまくるものであり、単なる声帯模写ではない。
関根勤などもこの手法に近いが、タモリの独自性・創造性は群を抜く。
この手法のモノマネに必須であるのがその対象に対する「深い興味・研究心・愛情」。
だからこそ「笑える」のである。悪意を感じるものから素直な笑いは生まれない。
それだけでも充分なのにそこに笑えるシチュエーションをも足してくる。
浅井慎平と演る「二人寺山修司」や小松正夫との「電ノコで有名人を切る」などは
シチュエーションだけでもう笑える。

この「シチュエーション」と「瞬発力」が小気味よく交わるのがタモリワールド。
よくある「番宣番組特番」の司会をタモリが担当したときのハチャメチャぶりは
良かった。実はこの番組、私は見ていない。高校時代の悪友が話して聞かせて
くれただけなのだ。定期的にクイズ形式で登場する「バナナ」。
ある時は「これはなんでしょう?」とともにバナナを持ったタモリが
奇妙な踊りをする後ろをバナナのようにつなげられたたくわんが通り過ぎる。
「松田聖子の母」と称する女性が登場し、回答者のアイドルの一人が
「会ったことがあるから絶対違う」と豪語する中紹介される一般人の松田聖子さん。
実際に見ていないため妄想が膨らみ大笑いした。今でも笑える。

この「シチュエーション瞬発芸」の証拠が私の古いカセットテープに偶然残っていた。
NHKの歌謡特番で司会のアナウンサーの補助としてアサインされたタモリが痛快。
終始司会のアナウンサーが台本通りに番組を仕切るのを誇張する中、最後のシーンで
そのアナウンサーがタモリに「これで終わりなんですが、何か言い忘れてること
ないですか?最後が全然しまらないのですが」と詰めより、わざとらしく忘れたふりを
していたタモリが突然思い出したふりをして番組中使用していた手帳を取り出し一言。
「また、ポカしたかなー。あーそーか。俺のも台本だった。
 ここに終わりと書いてある。。。と、こー言わなきゃいけなかったんだ」
(タモリは番組中繰り返されるアナウンサーの進行確認に対し、
 手帳を取り出しては「確かにここにもそう書いてあります」と言わされ続けていた。)

「シチュエーション瞬発芸」の宝庫だったのが「今夜は最高!」。豪華なゲストと
繰り広げられるトークとコントと音楽ライブ。こんな贅沢な番組はなかった。
録画番組にも関わらず「あらかじめ作り込まれていない」おもしろさが至る所に
転がっていた。生放送にも劣らないリアルなゲストとの「生」のやりとり。
タモリならではの「味」である。「お笑い」と呼ばれる人たちは自己主張が強く
どうしても「作り込まれて」しまう。タモリの番組は音楽ライブに近い。
それもJAZZなどで多く見られる「セッションライブ」。このセッション、
演奏者自体が楽しんでないと「こっち」はのれない。演奏者のおごりや自己満足が
見えてしまうとさーっと冷める。演奏者たちが楽しんでいてこそ「こっち」ものれる。

その宝箱のような「今夜は最高!」が突然終わる中「笑っていいとも!」は続いていた。
当初「笑っていいとも!」の司会をタモリが務めることに違和感を抱いていた
私だったがいざ始まってみると面白く、「いいとも」を見てから部活のためだけに
学校へ行く日々が続き出席日数がぎりぎりになってしまい、担任から
「いいかげんにしろ。卒業できないぞ」と自宅に電話がかかってきた。
「いいとも」開始後2年目ぐらいには生タモリ見たさに「私のメロディ」という
コーナーのオーディションに毎週通ったこともあった。「テレフォンショッキング」に
おけるタモリの新たな魅力は、ゲストに対して私が思ってることをそのまま直に
代弁してくれることだった。セミヌード写真を手にした川島なお美に対し開口一発
「しかしよく脱ぐね」。オリンピックのマラソンの実況で泣きまくったアナウンサーに
「あんたが泣いたらダメでしょ」。貧乏話をネタにするバンドメンバの話を
面白がるタモリを「そんなことはない。バカにするな」と攻撃してきた三木道三に
「でも、本人がそう話してくれたんだよ」と一括。つい最近では阿部首相に
「麻生さんのこと、嫌いなんですか?」。

タモリの出演する番組は全て録画して見ているので「いいとも」が占めた
「私の時間」は長い。しかしそんな私ですら最近は「テレフォンショッキング」以外の
コーナーを飛ばしていた。下世話な趣向のものが増え、そこにタモリワールドは
存在していなかった。「とんねるず」が登場してからは面白かった。
木梨が鶴瓶を驚かすのはタモリの手法とは全く違うけど、「とんねるず式」の
瞬発力が出ていて「作り込まれた」ものよりずっと「生」の魅力があった。

安定した情報をテレビから得るようになり「瞬発力」は今やネットに移行しているのは
確かだけど、無秩序な世界で「公共性を持ったちょっと危険で楽しい瞬発力」は
育たない。ネットにも探せばそれはあるに違いない。でもやはり公共性において
テレビの方が圧倒的。その明るみさらされた土俵であえて「瞬発力」だけを頼りに
「生」で「笑い」を届ける番組が無くなってしまう。古くは「欽ドン!」なども
そうだった。今後は「とんねるず」がそれを担っていくのか。

とはいえ「タモリ」は終わってない。最近テレフォンショッキングで
健在ぶりを発揮した「萩本欽一」のように。見てる方も同じく年をとっている。
これからのタモリに期待しよう。

 

必然!!

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2014年 4月 1日(火)12時13分55秒
返信・引用 編集済
  ポールさん。Hot As Sun
or
hot as son of
Ms.ワインの街の、駅前ギャラリスト♪元麻布ギャラリー甲府管理人
>3月31日は、末の息子の誕生日だったので、気まぐれ検索していたら久保様が!

■うわっ。
『共犯新聞』1面トップに、「誰 もしかし、またこの瞬間から、 次の闘いが始まる!祝ってくれないから」なんて書いていたら(笑)、
2年前の家族旅行(?)中にワインで酔っぱらって入った甲府市のギャラリー主から、祝っていただき(?)感謝です(笑)♪
お邪魔した時にも言ったかもしれませんが、
私は数年前に管理人さんと同じように検索で『共犯新聞』を見つけていただいた、
山梨県石和のiGallery DCオーナーの福田まさきよ(1949年生・男)さんと知り合い、いつかはその画廊に行ってみたいな~と、思いつつ行けず、
ついに先月、福田さんが東京の銀座にも同時に持っている藍画廊に行ってきたばかりなんでした~(笑)。
下記に、その時の写真を3枚、紹介させていただきます。
実は私は甲府とは縁があるので、これからもまた訪問させていただくかもしれません♪
そうそう、先日の大雪はたいへんでしたね!私の甲府の知人も、苦労されていました~。
甲府市で白ワインの素晴らしさに気が付くことができた私には、ワイン農家の被害が心配です~。
では、これからも(?)よろしくお願いいたしますね!!

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

偶然!!

 投稿者:元麻布ギャラリー甲府 管理人  投稿日:2014年 4月 1日(火)04時44分37秒
返信・引用
  お誕生日おめでとうございます


覚えていらっしゃいますか?2012年5月中旬あたりに
甲府においでの折、お立ち寄りいただきました東横イン元麻布ギャラリー甲府の管理人です。
偶然発見…!
3月31日は、末の息子の誕生日だったので、気まぐれ検索していたら久保様が!

濃いですね「共犯新聞」
懐かしい風景も拝見しました。

また山梨においでになる際にはぜひお寄りください。


・・・
(蓋つきのまゆの動画の後ろに写る布の作品、実は「八重の桜」オープニングタイトルバックの作家の作だったりします。)

https://ja-jp.facebook.com/hiromi.kamakura.5

 

ジョン、アンタのヴィジョン

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2014年 3月22日(土)11時50分13秒
返信・引用
  ポールは、りこうだ。Every night Mr.ゼップで逢いましょう♪ディラン
just wants to go out get out of his head♪
>ライブ・イベント運営にそのまま当てはまりますね。

■中学生のクソガキがラジオで聴いた曲が、そのまま政治の現場に当てはまる、それがロック♪
名曲「イマジン」よりも、ジョン・レノンの風貌のほうが、「そのまま当てはまりますね。」。
メッセージよりも、ヴィジョンの方が届くし、本質的なんだよね。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

素晴らしい

 投稿者:ディラン  投稿日:2014年 3月21日(金)14時02分47秒
返信・引用
  久保さん、コレ↓ライブ・イベント運営にそのまま当てはまりますね。
タメになりました。
さっそく使わせていただきます!

『動き出すにあたっての検討課 題』
・人 (だれがやるか?メンバーの決定と、中心になって動く者)
・場所 (製造の)ライブ会場の確保、許可申請、使用料・・。
・費用 (人件費、機械購入費用、通信費、家賃など)出演料、音響、照明など。
・公的資金が使えるか (町、道、国、近隣の市町で資金提供してくれる所)
・いつから始めるか (できれば春から試作製造できるように)広報、スタッフ集め。
・まず最初に試作する商品を決定する (特許、商標などの有無の調査)ミュージシャンの選定、交渉。
・会社組織にするか、個人事業でいくか (各人の出資額)
・宣伝の方法 (ネーミング、新聞、ネット、口コミ・・・)
・成分の分析を依頼する (工業試験場)外部に委託する部分
・販売所をどうするか チケット販売の方法。
・うまくいった時、うまくいかなかった時、どうするかをあらかじめ決めておく
・工業試験所の力を借りるか、どうか イベント会社の力を借りるかどうか?

なんて、勉強になりました。(^O^)/
 

東京ドームの市

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2014年 3月 3日(月)18時12分9秒
返信・引用 編集済
  チョコレートが燃えている。Valentine Day for Mr.危ないエロフェチアングラ?な「舞踏会」に迷い込みます。ギロ
>ランぶらーの途中で「かっちょいぃぃっ!」やる?


■チャー坊柴田和志(1950年5月6日~1994年4月25日)のとこへ、
山口冨士夫(1949年8月10日~2013年8月14日)がくたびれ過ぎて。逝った来日記念だしな。
私の東京ドームは、3月6日(木)1階3塁側の37列384番
打ち上げは、新宿なので、ライブ前に帰りの新宿行きのキップを買っておくこと(笑)。
And I went down to the でもしかデモ。demonstration
To get my fair share of アンダー・マイ・アンクル・サム。abuse
Singing, "We're gonna vent our 消防団は原発のため、命をかけます♪frustration
If we don't we're gonna blow a 次は、52。50-amp fuse"

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

出先からなんで珍しくこちらへ♪

 投稿者:ギロでございます~  投稿日:2014年 3月 3日(月)16時33分57秒
返信・引用
  わたしなら気分はこっち・だな~
I sung my song to Mr. Jimmy
Yeah, and he said one word to me, and that was "dead"
I said to him
You can't always get what you want♪

ランぶらーの途中で「かっちょいぃぃっ!」やる?

http://www.youtube.com/channel/UCrBzXSQcosjkHPNuaijQFoA

 

知ったかぶり

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2014年 2月24日(月)01時43分12秒
返信・引用
  日曜の朝と、ポール・マッカートニー。That would be something
To meet Mr.ジミーyi in the falling rain, momma

危ないエロフェチアングラ?な「舞踏会」に迷い込みます。ギロさん 相変わらずご活躍ですな!

■そーゆーあなたは、
yi」だから、4月には、若林博士がフルートで参戦!?飯島康義
かと思いきや、ググれば、ギターリストにわいは、ワイハ~?ジミーyiさんって、いるんだね~!?
どちら?

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

お久しぶり

 投稿者:ジミーyi  投稿日:2014年 2月21日(金)22時38分6秒
返信・引用
  ギロさん 相変わらずご活躍ですな!  

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