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羽田試論

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 4月 4日(火)17時43分35秒
返信・引用 編集済
  Oh! Mr.中野真吾, don't you let me downtomorrow♪
>「はみだしっ子」というタイトル自体、「はみだし野郎」と無関係に存在したはずなどなく

■優れた表現は、常に時代と深い関わりがありますよね。
「はみだし野郎」が発表された1969年~1971年、小学生だった私は、怖くて読めませんでした。
「はみだしっ子」が発表された1975年~1981年、中学生生だった私は、怖くて読めませんでした。
それが、
1979年~1980年に発表された森脇真末味『緑茶夢』は、高校生だった私に、ビンゴだったのです。
もしかしたらそれは、「新左翼」が希望から「怖くて」直視できないものへと変遷し、公権力もパブリック・イメージをそうコントロールしたからかもしれません。
そこで優れた表現者たちは、「怖くて」直視できないものを、「怖くて」直視できないままに表現したのでしょう。
さらに時代と表現がユニークなのは、次のステージに更新することも忘れてはいないことです。
『緑茶夢』を読んだ18歳の私は、ニュー・ウェーヴと呼ばれ始めたジャンルの音楽を始めます。

百合コレクション♪「1970ハネディアン」

日本の新左翼は、羽田で始まって、羽田で終わった、とも言えるかもしれません。
『共犯新聞』常連の故・答えの先。答えの元。青木昌彦さんは、20歳の時、1958年12月に共産主義者同盟(一次ブント)を名付けて結成しました。
その結成大会で、青木さんはソ連や日本共産党をこき下し、日本の左翼運動が共産党のコントロールから決別して、「新左翼」となりました。
この運動は60年代安保闘争の中心として巨大化してゆくのですが、
最初の大きな「闘い」は1960年1月、羽田空港で青木さんが多くの学生と一緒にバリケードを築き、岸信介首相の訪米を阻止しようとして、現行犯逮捕された事件でした。
青木さんはこの後、活動から身を引き、経済学者へと進みます。
樺美智子が国会前で虐殺された1960年6月15日の最大のピーク時にも青木さんは先頭には立たなかったそうです。
この「迷い」を青木さんは、私も登場する『私の履歴書』(2008年4月24日、日本経済新聞社)で、「先見性と決断、勇気に欠けていた」と述懐されています。
そして、「羽田で終わった」のは、私の8歳のおたんぢょうび、1970年3月31日、羽田空港の「よど号」ハイジャックでした。
このハイジャック犯人には、
ロック・バンドの俺たちは、あしたのゴダールだ!裸のラリーズのベーシスト俺たちは、あしたのゴダールだ!若林盛亮もいましたよね。
若林は、2010年に北朝鮮の平壌でのインタビューで、同志社大学軽音楽部時代をこう振り返っています。
「ビートルズがなかったらここ(=北朝鮮)にはいなかった。
高校時代は優等生だったが、このまま大学卒業していい会社に入って何になるのかと考えていた時に、ビートルズの『抱きしめたい』を聴いて衝撃を受けた。
バンドから学生運動へのきっかけは、10・8羽田闘争(注:佐藤総理ベトナム訪問阻止で山崎博昭が死亡)。
命かけてやってるんだと見直し、社会を変えるためバンドを辞めた。」
羽田のきっかけも、羽田だったのです。

>60年代から70年代へかけて「羽田を発った」友と、「暗い山で道に迷った」友とに対するついえることのない慰謝

■「羽田を発った」=よど号ハイジャック、
「暗い山で道に迷った」=『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』♪連合赤軍事件
と、書いてみるのは、あまりにも図式的すぎるでしょうが、それは音楽や人生が図式的でもあるのと似ているからなのかもしれません。

>あの頃映画館の暗闇に座った映画青年や
>ロック喫茶「ブラックホーク」(追悼71年夏、“ブラック・ホーク”のすぐ近く、歩いてものの2分の距離にロック喫茶“BYG”が出店した。松平維秋さん)の暗がりに座っていた音楽少年達の意志や想念や営為

■こうして中野さんと共犯幻想をしていると(笑)、
登場人物の多くが、1970年代後半のマンガ批評誌『だっくす』、『ぱふ』にリアル・タイムで登場していたことに驚きます。
それは編集者たちの高感度なセンサーであり、
北海道や岡山の少年のキャッチが、次の時代の更新となるバトンになるような無意識の願いだったのかもしれませんね。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 
 

雪山と羽田の空

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 4月 3日(月)22時38分48秒
返信・引用
  ていねいに読んでくださり、感想まで書いていただき、ありがとうございます。持つべきものは共犯者…とか言わせてもらっていいでしょうか。
それにしても、久保さんの発想力には驚かされます。ぼくは雪山から連合赤軍を思い出すことも、爆発事件から新左翼を連想することもなかったし、まして共犯幻想との関連など、想像もしませんでした。しかし「はみだしっ子」というタイトル自体、「はみだし野郎」と無関係に存在したはずなどなく、このことはよく考えてみたいと思います。
そこで思い出すのが、あがた森魚が「日本少年2000系」のライナーノートで書いた「1970ハネディアン」にまつわる文章です。「映画のように死んでくのも/羽田を飛び立ってゆくのも」という歌詞を持つこの曲を、「羽田から飛行機でロンドンへ/ぼくの嘆きもってお嫁に行くんだね今日は」という歌詞を持つはちみつぱいの「塀の上で」との関連で語り始めるのですが、続いてこう書いています。
『そして、個人的回想として、この詞から連想される川本三郎の世界がある。60年代から70年代へかけて「羽田を発った」友と、「暗い山で道に迷った」友とに対するついえることのない慰謝を、この「塀の上で」とはまた違う立地から押しだまりながらもじっと見ていた川本三郎の「マイバックページ」(ディランやバーズによって焼きつけられた歌でもあるが)さらには「朝日のようにさわやかに」(ソニー・クラーク風に)といった、静かに誠実に時代を照射した書物によって確認させられた同時代体験をまた想いかえしもする』
『あの頃映画館の暗闇に座った映画青年やロック喫茶「ブラックホーク」(追悼松平維秋さん)の暗がりに座っていた音楽少年達の意志や想念や営為は、はるか今、30年後のこの99年の空の下の誘導灯や広告塔にどのように映し出されているだろう』
 

ねじりの回転

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 4月 3日(月)14時21分3秒
返信・引用 編集済
  Mr.中野真吾 is my song,I am your singer♪
>お誕生日、おめでとうございます。すごい日ですね。

■ちなみに曜日は、土曜日です。
当時の銀行は土曜日も営業をしていましたので、年度末の商店主だった私の両親は、てんてこまいだったことでしょう。
つまり、私は生まれた瞬間から、モットーは、「ギリギリ・セーフ」なのです。がくっ。

>久保さんは「はみだしっ品のいいノスタルジアを持っているけだものの悲しさが美しい。 子」について書いておられますね。
>ぼくは「はみだしっ子」を連載途中から読みはじめ(といってもコミックでですけど)、あの結末がどうしても納得できず、忘れては考えを繰り返したあげく、
>6年ほど前に文章にして、知人の同人誌に載せてもらいました。

■三原順が白泉社の少女まんが雑誌『花とゆめ』に連載した1975年~1981年の時期は、ミニコミ誌ブームでもありましたので、
当時は、多くの愛読者が「はみだしっ子」について書いていたんだろーなぁー、とは私も思っていました。
が、ししか・・・・・・・・・死?かし、
「6年」前とは!
その思索の持続力に敬服します。
さらに、読まさせていただきましたが、すごく面白かった♪最後の謙遜の文章が必要ないぐらいです。いや、あの謙遜が、さらに「はみだしっ子」的にしています。
そして、岡山県の周囲(?)には、いまだに、文章≒活字で思索する文化がタフに生きていることを純粋に尊敬いたします。
以下、読まさせていただいた、
中野真吾『もう一度「はみだしっ子」を読む』から文章を抜粋しつつ、私の感想を書き加えさせていただきます。

>伏線に満ちた

■まさに、そうですよね。
そして、物語に慣れた読者たちは、伏線は「再会」や「どんでん返し」などとして「回収」されるべきものなのですが、
「はみだしっ子」は回収されずに、増幅するための伏線であり、長期連載中に、どんどんスパイラル状に伏線は増加してゆきます。
実は、これって「物語」よりも「人生」に似ています。
だから、読者は回収されない伏線に恐怖を感じるのでしょう。これが「はみだしっ子」全体を通じているムードです。

>歪んで傷ついている心は、癒されようとしないことを自分の支えとするが、
>歪んだ心が自己を治癒することはそもそも可能なのか

■私は昨日、映画『ムーンライト』を観てきました。
何度も観せられた予告編で、テーマは、人種、貧困、世代の間の「差別」だろーなぁ、と、私は観る前から観た気分になっていたのですが、
実際に観ると、さらにそこに同性愛の「差別」も加わっていて、
こりゃぁーとーちゃん、笑い過ぎだろ。トランプ大統領が嫌いなもののパレードだな、とアカデミー賞の政治性を強く感じたしだい。
この映画に比べれば、マジ?うっそー♪『ラ・ラ・ランド』は黒人音楽を植民地化した白人の物語ととらえることも可能です(笑)。

>自分に何かを行う資格があるのか

■ねじまがった度合いを個性と呼び、「整理」ができるのならば、そも&そも、中野さんが指摘する問題は起こらない。
我々は、精密なダイヤルのように、ねじまがった度合いを数値化し、数値が正確に合った存在ごとに棲み分ける政治を選んではいません。
我々は、「回収」や「整理」の機能を持った物語から、宙ぶらりんにされているのです。

>グレアムの中で何が解決されたか、あるいは何が断念されたかがよくわからない、
>というか納得が行かないのだ。

■迷える若き共同生活者たちの雪の中での殺人、と言えば、1971~2年の連合赤軍リンチ事件を連想させるし、
それを「誰もが忘れてしまったように」している中で起こる
「爆発事件を起こして守衛を死なせた」にも、70年代★新左翼の暗い影を感じさせます。
つまり、真崎守『共犯幻想』の主人公たちのその後が、「はみだしっ子」である、と幻想してみるのは、間違っているでしょうか。

>僕にはなぜフランクファーターがグレアムにとってそれほど大きい存在なのか、よくわからない。
>そしてきっと、それがわからない限り、「はみだしっ子」の結末もわからないのではないか

■「ねじまがった度合いを個性と呼ぶ」のなら、
「ねじまがったエディプス・コンプレックスも個性となる」、のか?
いずれにせよ、タイトルに「子」を付けたからには、対峙する「オトナ」を描く必要が三原順にはあったと思います。

>社会は彼を矯正しようとするだろうが、
>歪みの上に歪みを重ねるか、踏みつぶすことしかできないだろう。

■そこが、更生保護の課題であり、
乗り越えなければならない「社会」の限界であり、
その「社会」のツールとしての「教育」や「政治」、「法」などの課題ですね。
そして、「社会」の課題の未解決を自覚したまま、我々は、個人の課題によりそわなければならない。
それを、我々は、ときどき、愛とか呼ぶのですが。

>自分の苦しみに気付いてくれ

■相対化する能力。

>「ボク行かなきゃ!」「今度こそ!!」

■再生を可能とするものは何かを読み取らなければならない。それが表現から個人へのバトン。

>殺人が誰にも知られずに終わるのなら、この苦しみも誰にも知られずに終わってしまうことの空しさだ。

■「知られない孤独」、「忘れ去られる孤独」。
その穴をふさぐツールとして言葉を覚えた「けだもの」としての人間。

>書く前よりもいくらか理解ができるようになった

■言葉で考える力。
グレアムは、小説家になるべきです。それが彼を救う数少ない進路でしょう。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

続き

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 4月 1日(土)09時23分40秒
返信・引用
  続きです。
2017年度、いい年になるといいですね。
 

はみだしっ子

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 4月 1日(土)09時21分27秒
返信・引用
  お誕生日、おめでとうございます。すごい日ですね。
ところで久保さんは「はみだしっ子」について書いておられますね。
ぼくは「はみだしっ子」を連載途中から読みはじめ(といってもコミックでですけど)、あの結末がどうしても納得できず、忘れては考えを繰り返したあげく、6年ほど前に文章にして、知人の同人誌に載せてもらいました。添付させていただきますので、お暇なときに読んでやってください。
ストーリーを追いながらでないと展開できず、かなり長いものになってしまいましたが、自分としては愛着がある文章です。

 

含羞

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 2月24日(金)02時19分55秒
返信・引用 編集済
  Mr.中野真吾 takes second best, but it's so,

Some people never know♪

>映画への愛を吐露するのは恥ずかしいことだ。

■ご存じのよーに、川本三郎(1944年7月15日生まれ)は今ではリスペクトされる評論家だけど、
麻布中学校→麻布高等学校→東京大学・法学部政治学科→大学院→朝日新聞社の記者
って、マンガのよーな(笑)エリートの途上で、1972年に朝霞自衛官殺害事件に関わり、退社。
5年間の沈黙後の1977年に出したデビュー作が、この『朝日のようにさわやかに 映画ランダム・ノート』、だよね。
で、私が川本三郎の名前を意識して読むようになったのは、またしても、まんが専門誌『だっくす』でした。
たとえば、1978年12月号の、「ティーチ・イン斎藤正治④もう、まんがには応援団はいらないんだ」の対談ゲストで。
中野さんも、そーかも(笑)。
んで、1972年の顛末を告白したのが、1988年の『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』で、
2011年に映画 映画館の暗闇という絶対孤独と相対自由。されましたよね。
ここらへんは、一般教養(笑)だけど、デビュー作の文庫本のみに書かれた批評ってのは、今回、私は初めて読みました。
またしても、中野さん、ありがとうございます♪
たとえば私は、「一人でからっぽの映画館に通いつづけた川本三郎氏」とゆーフレーズに、やられます。
そして続いて書かれた、「映画は、恥ずかしい文化だったのだ。」の指摘に、
私の脳味噌は早川義夫のソロ・デビュー・アルバムのタイトル『かっこいいことは何てかっこ悪いんだろう』を経由しつつ、
彼ら(=川本&早川)の本質にある含羞に頭を垂れつつ、共感という孤独の連帯(=嗚呼、つまり、共犯?)を、
それこそ早川義夫のバンド・デビュー曲のタイトル「からっぽの世界」である暗闇の映画館で、
他に誰がいるのか期待もしない情況ながら、同じ光を観ている他者を薄く期待している青春性こそが映画の本質なのではないのか、
と、気が付いている情況の全体を、私は抱きしめたい。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

畑中佳樹(続き)

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 2月23日(木)01時18分41秒
返信・引用
  最後のページが添付できなかったので送ります。  

畑中佳樹

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 2月23日(木)01時16分38秒
返信・引用
  こんばんは。
文庫本の解説といえば、ちくま文庫「朝日のようにさわやかに/川本三郎」に畑中佳樹が書いた「川本三郎-不倫の映画愛」がいいです。「映画は人目を忍んで見に行くものだ。映画への愛を吐露するのは恥ずかしいことだ。映画と僕らとの間には、不倫の関係しかない」素晴らしいと思います。
 

どじんが去り、トランプひらり~。

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 2月 1日(水)10時38分42秒
返信・引用 編集済
  Wild life, Mr.中野真吾 in the zoo?
>三宅伸之さんのことはぼくは知らなかったんですが、
>知り合いのレコード店のご主人に問い合わせたら、伝説のブルース・ギタリストだったと教えてくれました。

■すてきだなぁ。
どじんのことを記憶しているひとがいて、それを美しい言葉で伝えている。今も。
どじんは私よりも2歳ほど年下で、1982年ごろに東京で知り合いました。
その頃のどじんは、アイビー少年みたいなコギレイなファッションと短い髪形に、やや大きめのボストン・グラスをかけて、
青春の過剰さの象徴のような隠しきれない出っ歯をたずさえて、
いつも下から私を微笑みながら見つめてくれていました。
私のバンドのライブの、常連客でした。
たぶん、どじんと私は日常会話を無数にしているのだろーけれど、記憶している会話はただひとつで、
「岡山から東京に出てきて、いろんなバンドのライブに行きまくったけれど、
久保さんの歌詞は圧倒的に特別です。他のバンドとは、まったく違う。」

って、言葉。
当時はPAもインチキな糞ライブ・ハウスだったのに、ちゃんと歌詞がフロアで踊りまくっているパンクスの耳に届いていたのだな、と驚いたものです。
それと同時に、こーゆー感想が言える表現者は、近いうちに自ら、ちゃんと、いい表現をするだろーなー☆と、強く感じたので、この言葉を私は忘れていませんでした。
その後、1985年3月に私はバンド・メンバーを裏切って、東京から札幌に夜逃げのように北上したので、
下記の中野さんへのレスに添付した長髪でヒッピーでいかれぽんちでいかしているどじんの姿は、数年前にネット上で再会して知ったのです。
そして、ネット上で再会したどじんと私はメールでやりとりして、なんだか、いい感じだなぁと日常生活を送っていた時に、突然、どじんは死んだのです。
昨年、沖縄で権力が「どじん」発言をしたときに、
どじんと一緒に80年代初期に私のライブを観に新宿のACBやLOFTなどに通ってくれていたToshiro Matsumotoが下記のコメントを書いていて、しびれた。

2016年10月21日
大阪の機動隊員が『土人』と発し物議を醸しているが、
僕の見識で『土人』とは、今は亡き三宅信也と史上最高のブルースマン達の証であり、糞勘違いな権力野郎に軽々しく発して貰いたくは無い。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 1月31日(火)23時44分53秒
返信・引用
  ながいひる、いいでしょう。
共犯新聞を知ったのは、たぶん「共犯幻想」をWEBで検索していて流れ着いたんだと思います。たぶん5~6年前のことです。
三宅伸之さんのことはぼくは知らなかったんですが、知り合いのレコード店のご主人に問い合わせたら、伝説のブルース・ギタリストだったと教えてくれました。人間はいろんなところでつながっているものだと、つくづく思います。
 

1月26日は、三宅どじん伸也の命日。

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 1月31日(火)10時56分51秒
返信・引用 編集済
  Mr.中野真吾, love is strange♪
>ぼくが住んでいる岡山市に「古本ながいひる」

■ネットで観ましたら、いー感じのサブカル古書店ですね♪
私が岡山市に住んでいたら、常連になっていること、間違いなし!です(笑)。
やはり、地域の文化度は、古本屋、中古レコード屋のセンスがバロメーターですね。
■それにしても、中野さんは岡山県岡山市にお住まいなのですね!
『共犯新聞』を知ったきっかけは何ですか?
・・・・・・いや、岡山県岡山市にネットが普及していないと思っているわけではありませんが(笑)。
私は岡山県に行ったことはありませんが、
故・三宅彼らは岡山県出身で、ブルーハーツの甲本ヒロトと同郷の友人で、デビュー前の甲本ヒロトが、飛び入りで彼らのステージに上がって歌ったりもしていた。どじん伸也とゆー
ブルーハーツ周辺の後輩がいました。
中野さんは彼らのライブを観たことはありましたか?
なもんで私は、岡山県とゆーと、桃太郎ではなくて、どじんを想い出すわけです。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

古本なら

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 1月29日(日)20時39分28秒
返信・引用
  ①初版②単行本③できれば古本…という基準で本を買われているとのこと。
ぼくが住んでいる岡山市に「古本ながいひる」という店があります。
まだ若い店主が気合をもってやっていて、店内は古本、古マンガ、古CD…(ぱふはみかけませんが)
若いミュージシャンのライブもやっています。
通信販売もやっているので(https://nagaihiru.theshop.jp)一度のぞいてみてください。
ではでは。
 

少年老い易く「がくっ。」成り難し

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 1月26日(木)01時38分2秒
返信・引用 編集済
  (And Mr.中野真吾 goes)Bip bop, bip bop, bop♪
>読めなかったらまた言ってください。

■読めました♪ありがとーございます。
今日の私は、沼田町議会の議員として、住民の代表のみなさんと懇談会をしました。
議員とゆーオプションは、住民の「理論武装」である・と、私は薄く想っていたのですが、
「理論武装」をすることで、「あちら側」に行っちまう危険性を濃く感じた一日でした。
「あちら側」に行くことで秩序が維持できるのであれば、それが住民の幸福か?
が、しかしか・・・・・・・・・死?し、
それと「言いくるまれる」の差って、何ミリメートル?
むしろ、「ここ」に居ながら「あちら側」の情報を活用したほーが、いんじゃね?ってな私。
それを今夜は、「少年」性と呼んでみましょう。
中野さんから宙空経由で斉藤次郎「少年の悲哀と救済」が届いた瞬間に、
我が家に届いた朝日新聞には片山杜秀パラパラ・・・「文芸時評」が掲載されていて、
裏側の目玉で中島梓『夢見る頃を過ぎても』初版&帯付きを読書中の私には、「文芸時評」時空冒険なワケですが、
片山は3つの小説を語りながら、
世界に重圧感が漂っている。しかし快刀乱麻を断つような解決は望めない。
そういうときに誰かに期待して熱狂したり、逆に自暴自棄を起こしてもしようがない。
Kのように本業へと撤退するか、それとも囲碁に没頭するか、「ごっこ」をするか。身近な守りを固める。
みんながそうすれば、迂遠(うえん)なようでいて、物事の改まる可能性はかえって高まるのかもしれない。急がば回れ。

と末文にたどり着く。
私がかつて「少年」だった時分、石森章太郎の『サイボーグ009』が愛読書だったのですが、
6年前にセンキョ活動をやっている最中に、
自分が009にタンブリング・ダイスな日々。(よーやく)なったよーな気が何度もしました(微苦笑)。
斎藤次郎が、「コミック・ジェネレーションの吉本隆明」になったかもしれない可能性があった1970年代。
現実との違和感で傷つくことを恐れないのが「少年」である・のであれば、
我々が「少年」であり続けるためにすべきことは、
逃避ではなく、むしろ、限りなく現実に近づいているべきなのでしょう。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

できました

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 1月25日(水)07時34分51秒
返信・引用
  教えていただいたソフトでダウンロードできました。
傾いた画像ですけど送ります。
読めなかったらまた言ってください。
 

変換力。

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 1月25日(水)06時06分26秒
返信・引用 編集済
  Mumbo ! Take it Mr.中野真吾♪
>読み手の内なる衝動が作品の無意識を読み解いた、奇跡のような文章です。本当に胸が熱くなります。

■私は本フェチ&リミッター無しでは無限に本を買い続け、共犯書斎から本があふれだし、家人から(さらに)嫌われるので、
本は、①初版、②単行本、③できれば古本でなければ買わない、とゆー自己ルールを設けています(笑)。
この自己ルールのために、ずーっと欲しかった&読みたかった本も、古本屋でめぐり合ったとしても、何度もアキラメて買わずじまいなことも多し。
たとえば、藤枝静男正当な小説を書いた人こそが彼。『空気頭』、など&など。
おかげで、蔵書が増えすぎなくて助かってもいるのですが、副作用として、文庫本の解説などを読む機会を失うので、中野さんのご紹介、超☆楽しみ♪

>(pdf)で送れませんでした。パソコン未開人でjpegに変換できない

■私は、無料&ダウンロード必要なしのホーム・ページ『PDF JPEG 変換 - PDFのイメージを抽出 無料フリー!』を活用してます~。

>読まれてないなら乞うご期待。

■そう&そう、中野さんオススメな中島梓『夢見る頃を過ぎても』初版&帯付きが昨日、amazon古本(1円+手数料!)から届きました。
やっぱ、少し読んだことがある~と、想い出しました(笑)。
久々の中島梓節。脳味噌のフラクタル・マトリョーシカ状態を文体化した天才ぶりを楽しんでいます。
ご紹介、ありがとうございます!楽し過ぎ~。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

斉藤次郎の熱気

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 1月24日(火)21時36分16秒
返信・引用
  「共犯の回路」のページはまだ読んでなくて、さきほど初めて読みました。なるほどと思います。その後の斉藤次郎についても(…)です。
共犯≒つながっていること≒つながっていると感じていること≒会ったことがなくても、出会った時にはつながっていたと思うことができると信じていること≒ことさらにつながろうとしないこと…だったでしょうか。しかし今は、投稿してよかったと感じています。
ブロンズ社についての本や文章は知らないんですが、小学館文庫の「続・11人いる!」に斉藤次郎が書いた解説「少年の悲哀と救済」は読まれましたか。読み手の内なる衝動が作品の無意識を読み解いた、奇跡のような文章です。本当に胸が熱くなります。
ということで、該当ページをスキャンして添付しようとしたら、ファイル形式が不適(pdf)で送れませんでした。パソコン未開人でjpegに変換できないので、明日有識者の指導を受けて変換し、送ろうと思います。読まれてないなら乞うご期待。
 

時空を超えた共犯が成立する私たちの理由について。

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 1月24日(火)10時39分2秒
返信・引用 編集済
  Sitting in the back seat of Mr.中野真吾's car♪
>ワタシのまわりにいた 「もてない男たちのうた」に出てきそうな野郎ども

■早川義夫まで出てきて、びっくりです(笑)。
中野さんは私が『共犯新聞』に書いた斎藤次郎1977年、ロンドン・パンクの年であることに気が付くまでには、あと1年。『共犯の回路』のページも読みましたか?
想えば、1977年、この当時、私が本屋の奥から探し出しては、背中が日に焼けた古本直前の不良在庫を買ってみれば、その多くはブロンズ社でしたね。
あの当時のブロンズ社の熱気を記録した本とかブログとか読みたいな。あったら教えてください♪
中野さんの世代ですら、もうすでに早川義夫や斎藤次郎、真崎守は過去の人でしたよね。
でも、我らは、彼らにこそ同時代性を求めていたのかもしれません。
それとも、私たちは彼らの本を読みながら、数年後に登場してくる大友克洋や高野文子の登場を待っていたのだろうか?
もしくは、あらかじめ失われていた共犯者は、”求める”という行為(≒意志)の中に住んでいるのかもしれませんね。
その「行為(≒意志)」のことを中野さんは、「熱」と名付けてくれたのでしょう。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

単に愛読者です

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 1月23日(月)21時53分22秒
返信・引用
  ロッキング・オンを知ったのが1976年、だっくすを知ったのが1979年、どっちも友人が読んでたのを借りたのが最初…だから、久保さんよりもはるかに孤絶度が低かったと言えるでしょう。
「モテない根暗スポーツおんち男子高校生」ワタシのことですか!?それともワタシのまわりにいた「もてない男たちのうた」に出てきそうな野郎どものことでしょうか。
「共犯幻想」は買って読みました。「共犯の回路」は借りて読みました。やはりシアワセモノでしょうか。
「共犯幻想」は、今思うと相当危険な「回路」を通って強烈な磁場を形成していたわけですが、「はみだし野郎」シリーズ特に「死春期」とともに、世界を自分の作り出した文法で読み開き再構築しよう、理解不能なものに苦しめ続けられることはできないから、という意志の存在を教えてもらったと思います。
で、今夜は「孤独ほど生産的なトリガーは無い」を抱えて、寝ます。
 

見えない”共犯者”に会うために

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 1月23日(月)11時11分4秒
返信・引用 編集済
  Ram on (Reprise),
give
Mr.中野真吾's heart to somebody♪

>投稿させていただくのは初めてです。

■ってコトは、以前、どこかでお会いしたか、交流したか、したのかな?
たとえば1980年代の東京の俺はギターを鏡に投げ込んだ♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieライブ・ハウスとか、1990年代のパリの☆コーヒーの湯気。カフェとか(笑)、21世紀のArtとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!画廊とか。
いや、単純に『共犯新聞』愛読者か(がくっ。)。

>ちなみに早期老齢者(58歳)であり、「だっくす」や「ぱふ」も読んでいたわけです。

■なんと私よりも、やや(笑)老齢者!前回のレスでは「くん」付けで書いてしまい面目ありません~。
そーか。あの時代、意識的な10歳代のヤング(=プレをた?)は、みんな(?)読んでたよね~。
んが、しかーーーし!超田舎に住む私の周りでは、誰も読んでいなかった。がーーん。
私が通う地方都市の小さな本屋さんに不定期に(!)入荷するたびに、
「こんなマイナー雑誌、誰も読まねぇ&買わねぇよな。けっ、しょーがねぇ。俺が買ってやるか。」
と、モテない根暗スポーツおんち男子高校生だった私は買い続けたのでした。
それは最初、雑誌『ロッキング・オン』に本屋で出会った時の感覚にも似ていたと思います。
当時、私は高校1年生=1977年。今じゃ超メジャーな愛車がポルシェな渋谷陽一社長も、当時はまだ隔月の同人誌っぽ☆だったしー。
私は伸ばした髪をかきあげもせずに、それらを読みあさり、
「日本のどこかに、私のよーに、『ロッキング・オン』や『だっくす』を読んでいる”共犯者”がいるから、こーゆー商売が成立してんだ!」
との確信を得ていたわけです。
つまり私はその頃から、共犯ヤミ米資本主義者だったわけです(笑)。
私は先日、亀和田武『60年代ポップ少年』を読破し、
亀和田少年@中学1年生が1962年1月に雑誌『SFマガジン』と出会った気持ちに共感したんじゃよ(笑)。
で、その2か月後に生まれた私にとっては、
『ロッキング・オン』がメジャー誌に急激に向かう5年間、たばこの煙をみつめていたアイスクリーム・パーラーの美少女。屈折する星
屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群として『だっくす』を「発見」したのでした~。
北海道の田舎町に住む私には、その見えない”共犯者”に会うために、東京へ行かねばならず、
その時に東京へ持ってゆくキビダンゴを、レコードや書物から脳味噌に注入していたわけです。
一方、東京に住んでいた亀和田少年@中学1年生が雑誌『SFマガジン』のオフ会「一の日の会」に直接行動として参加できちゃっていたよーに、
私よりも2歳年下の危ないエロフェチアングラ?な「舞踏会」に迷い込みます。ギロ副大統領は、東京在住をた少年として『ぱふ』編集部に無料メイドとして写植貼りなどで、いい汗かいていたらしい。
そんな我ら3人も、こーして『共犯新聞』のもとに出会えたのですから、孤独ほど生産的なトリガーは無い
て結論でいかがでしょうか(笑)?

>で、久保さんがいまでもその熱を保ち続けているということに、こっちも熱くなるわけです。

■インフルエンザ共犯A型(笑)。

>そもそも「共犯」という言葉だけで、黙って突っ立ったりしたくなるわけです。

■中野さんも真崎守『共犯幻想』や、斎藤次郎『共犯の回路』を読んだくちでしょうか。
「共犯」とゆーネーミングは非合法のイメージだから・との理由で私を喜んで攻撃していただける方も世界には多いのですが、
そのそも、与えられた「法」を無条件&無批判(=自分で考えず)に受け入れる地平が私(たち)には信じられない。ってことですよね(笑)♪

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

初めまして、です

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 1月22日(日)21時23分35秒
返信・引用
  投稿させていただくのは初めてです。
ちなみに早期老齢者(58歳)であり、「だっくす」や「ぱふ」も読んでいたわけです。
で、久保さんがいまでもその熱を保ち続けているということに、こっちも熱くなるわけです。
そもそも「共犯」という言葉だけで、黙って突っ立ったりしたくなるわけです。

 

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