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表現に有効なのは、センチメンタルなのか、切実なのか。

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 8月30日(水)22時26分51秒
返信・引用 編集済
  Mr.中野真吾 can't go wrong♪ Get on the right thing♪
>たくさんの曲を知るに至った自分が、ある特定の曲を選んでうたう

■もしも、この世の中に音楽が1曲だけなら。

>うたを作る

■岩谷宏が1982年に出版した単行本の副題に、「ぼくらに英語はわからない」、ってのがありましたよね。
その理由を彼は、「日本人の世界観とは全く相容れない観念だから」と書き、
「むしろ個々のもつあきらかな”ちがい”の方が、個々の真価につながり、相互尊重の基盤になるもの」と、書いた。
だったら副題は、「ぼくに君はわからない」のほーが、正確ですよね(笑)。
■1982年、私は東京で戸田康司と出会い、お互いバンドで「うたを作る」パンクスで、1983年のクリスマスに突然、連絡を取らなくなったんだけど、
それが&なんと&突然、facebookで「おともだち申請」(がくっ。)が戸田から来て、2016年5月4日に、
33年ぶりにそれでも私は再会
私がなぜ戸田と別れたのか?について、私は「私は戸田よりも、より切実だったから。」と、その時に説明(?)したんだけど、
33年後の今では「うたを作る」のは戸田のほうだけ、なんだけど(がくっ。)。
それでも、切実さは今も私の方が強い、とは思うけど、ではなぜ今、私は「うたを作る」ことをしないのだろうか?

>年寄りとは失うものをなくしてしまっている存在

■私の定義は、「年寄りとは再会できる存在」

>誰にもつながれないということを自覚している淋しさは、誰もが共有

■喪失と孤独の違い。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 
 

年寄りは若者よりもセンチメンタルでいられるか

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 8月29日(火)23時09分59秒
返信・引用
  思いついたことを脈絡なく、書いてみたいです。

>「匿名」と「個性」の往復に、表現者は彷徨った果ての彼岸を、作品と名付けるのでしょうか。
   ↓
何かいいなと思える曲を聞いた時、その曲を口ずさむ~覚える~繰り返すという行為は、おそらく世界中で果てしなく繰り返されてきた営みであり、ジャスラックにも否定できない音楽の祖型だと思います。その曲を誰かに聞かせること、誰かと一緒にうたうことも、その曲をそっくり繰り返すということの中に成り立っていると思えます。ところで、たくさんの曲を知るに至った自分が、ある特定の曲を選んでうたうというのはどういう行為であるのか、いままで知らなかった曲を知って興奮し、それを誰かにうたって伝えるというのはどういう行為であるのか、それは自分がうたを作るという行為とどう関係しているのか。これは少しゆっくり考えてみたいです。

>ジジイの特権
   ↓
例の「Truth」の「長い時が過ぎた」という歌詞を聞いた時に、こういうことを説得力もって歌えるのは年寄りならではだよなあ、少なくとも若造がこんなことをうたっていても、年寄りの側では割り引いて聞いてしまうよなあと思いました。ところですぐに森田童子の「とても長い時が過ぎたのね」という歌詞を思い出し、このたぶんほんの1~2年である「長い時」、そこでどんなに多くのものが失われうるのかと考えてしまったわけです。そうすると一般的に年寄りとは失うものをなくしてしまっている存在かと嫌なことを思い、しかしもう一度、例えば30年が過ぎてしまったということにはどうしようもない重さがあるよなあと思った時に、それはやはり年寄りにしかわからない重さなんだとも思いました。

センチメンタルという言葉は自分のためにある言葉だと(たぶんとても多くの人と同様に)ぼくは思っているわけですが、自分のセンチメントというものは本当に自分だけのもので、それは誰も同じなんだろうと思います。つまり、センチメンタルな人間をどれだけ集めたところで、何一つ共有されるものはない。そして多くのセンチメンタルな人間は、それを自覚している。自分の胸の奥をいくら開いても誰にもつながれないのだが、その誰にもつながれないということを自覚している淋しさは、誰もが共有しているという気がします。(話は少し違いますが、昔ロッキングオンで岩谷宏が「金持ちがすごいご馳走を食おうと、貧乏人が貧しいものを食おうと、うまいと思った時のうまいという感覚は絶対に共通だ」という意味のことを書いていたのを思い出します。何十年もたってもまだ衝撃は抜けてないです)
「センチメンタリズムが芸能に回収されやすい」とすれば、それはもしかしたら「共有しあえない淋しさ」しか共有していないもの同士は、自分のことも他者のことも少し割り引いたところで受け入れようとするからではないかと言ってみたい気がするし、誰にもつながれないと思いながら胸を断ち割って示さずにいられないのが表現で、それが久保さんの言われる彼岸かなとも思うわけです。
 

センチメントの彼岸

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 8月28日(月)13時48分4秒
返信・引用 編集済
  I know Mr.中野真吾's heart can stay with my love♪
>わたくしの腐った耳には女子十二楽坊みたいに聞こえた部分も実は

■あは(笑)。
それ、すげー☆よく分かる。
私は、ルーツ・ミユージック、民俗音楽、ケルト音楽、スコットランド&アイルランドのフォーク、フィンランド音楽、クレズマーも好きなのですが、
時折り、私の耳も中野さんのように腐ります(笑)。
おそらく、「ルーツ・ミユージック、民俗音楽」は長年、聴かれてきたことで鍛えられてきたので、魅力的であると同時に、妥協の産物でもあるのでしょう。
それは現在の「芸能」の共通点でもあります。
それでも、「そこから魅力的な部分を聴きだせ!」と、おされ&スノッブな方が押し付ければ、私の耳は腐ります(笑)。
これは、表現の持つ両義性ですね。
追いかける写実、逃げられない写実。『森山大道論』(2008年、淡交社)で金平茂紀がスーザン・ソンタグ『ゆらぎ』の下記の部分を引用していました。

より魅力が受け入れられやすい(よりかっこいい)見方(a cooler way of looking)だ。
これこそ、私たちがアートと見なしている見方だ。

■つまり、ビートルズのルックスがすでに高度な表現であり、メッセージであった、と、私は読み換えました(笑)。
もう我々も、ジジイなので、自分の耳が「かっこいい」と受け取るセンサーを信じてもいいお年頃でしょう(がくっ。)。

>知っている曲と同メロのものがあって関連を想像してみたりしました。

■それも、とても面白い。
このシリーズが、なぜ、ここまでのボリュームが必要だったのか?の、ひとつの答えも、そこにあるような気がします。
ジジイでなければ辿り着けない彼岸。
そして、この感情を表現する時には、あのメロとシンクロする、とゆー無意識の豊かな澱。それも、ジジイの特権。

>切々としたラブソング

森山大道は、私が高校2年生の夏、北海道で3か月間の長期滞在をし、250本のフィルムを撮影しました。
私が通学していた国鉄の留萌本線にも彼は乗って撮影したようです。
『森山大道論』は初の回顧展のために発行された論文集で、
学芸員の岡部友子は、<北海道>シリーズについて、印象深い論考を書いています。
そこから、抜き書きしてみます。

四、センチメント <北海道>
森山大道が自ら弱みと自覚しているのはセンチメントだ。
かねてより「写真のうえでのセンチメントは一刻も早く切りたい」と発言しており、
その体質的に備わっている感傷的感性をあえて打ち消そうとした。
そして、写真の本質を見極めるためにより原初的なもの、アノニマス(anonymous=匿名)なものへと傾倒していった。
田本研造(たもと・けんぞう)を始めとする明治の北海道開拓使の記録写真は、ニプスと同様、森山大道に写真の原始に迫る啓示を与えたのだ。
彼が好むも好まざるも抜きにして、センチメントは「森山大道の核なるもの」の一面をリアルに映し出している。
拭い去ろうとしても拭いきれなかったセンチメントを逆に肯定すれば、<北海道>は抒情豊かで秀逸なコレクションと言えるだろう。

■私が早川義夫や、あがた森魚から受けるセンチメンタリズムは、何なのだろう。
それらは、一種の野蛮な、整理されていないものだから、聴く私を、ざわざわさせるような気がします。
それを洗練させて、整理したものが、たとえば、かぐや姫「神田川」なのだろうか。
だから、それは「成功」したのだろうか。つまり、それが「完成」なのか。しかし、聴く私を、ざわざわさせない。
それは、私の耳が腐っているからでしょうか。
一方で、かぐや姫「神田川」を地下からジャンプして、下水道で生々しい早川義夫&あがた森魚とつながってしまうのが、
『JUST A NORTHERN SONG  夢の隊列2005』6枚組CDなのでしょうね。
森山大道と、この6枚組CDセットが、<北海道>でセンチメンタリズムの彼岸と格闘した理由は、
おそらく、北海道が得体のしれない、野蛮で、整理されていない膨大なアノニマスを抱えたまま、そこに広がっているから、でしょうか。
その結果、森山大道は250本のフィルムを、夢の隊列は6枚組CDを、それ&ぞれ膨大に吐き出す必要があった、とゆー因果の意味。
センチメンタリズムは「芸能」に回収されやすいからこそ、そこに踏みとどまる個性的なペーソスがまた必要なのでしょう。
「匿名」と「個性」の往復に、表現者は彷徨った果ての彼岸を、作品と名付けるのでしょうか。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

大人買いの収支

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 8月26日(土)15時00分45秒
返信・引用
  「夢の隊列」ついに聞き終わりました。
さまざまな音楽が次から次へとあらわれて、面白かったです。
インストものは若干苦手なのですが、「ラークス・タン・イン・アスピック」のころのキング・クリムゾンみたいだと思ったら民族音楽みたいなのもあり(わたくしの腐った耳には女子十二楽坊みたいに聞こえた部分も実は)、知っている曲と同メロのものがあって関連を想像してみたりしました。
鈴木翁二のジャケットは文句なしに素晴らしかったのですが、彼が本気で音楽活動をしているということは今回初めて知りました。
そんな中で、ぼくにとってのベスト・トラックはずばり!渡辺勝+川下直広の「Truth」でした。
こんな言い方をしていいかどうかわかりませんが、早川義夫の「赤色のワンピース」を思わせるような切々としたラブソングで、繰り返し繰り返し聞いてしまいました。この1曲だけでも、大人買いの価値ありでした。
 

真夜中のナイチンゲールと赤い薔薇は共犯書斎から、はみ出すことが可能か?

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 8月13日(日)01時46分20秒
返信・引用 編集済
  Keep on sleeping in a big barn bed for Mr.中野真吾♪
>農業者が耕作できない(労力的に、または収益的に)のに、非農業者はそこを耕作する余力を持っているという不思議な状況

■「余力」とは、暴力なのか?←とゆー仮説から、下記のような深夜の考察。

>余力のある人間が余力のない人間を値切っていくという(その場には農家の人もいました)グロテスクな場面

■それって、支配の構造ですよね。
■では、「交換」とは、悪なのか?
もしくは、マルセル・モース的「贈与」がともなわない「交換」には「支配」の概念が忍び込みやすいのか?
■昨日、8月12日(土)の朝日新聞の1面トップは、
バブル末期の1991年初めに買った静岡県・伊豆半島の別荘地300平方メートル=1300万円が10万円で投げ売りされた、って記事。
記事のしめくくりは、
「今まで土地に縁のなかった人たちが、スマホでも買うような感覚で買っていく。
もはや土地は財産ではない」と言う、別荘地を専門に取り扱う不動産業者のコメント。
■ヤミ米屋の私が「投機」や「相場」を断罪する権利(がくっ。)は無いが、
「つまらない正義感」からではなくても、生活者の自尊心や、品のあるモラルが否定される社会は選ばれず、その地の人口は減るだろう。
■私の住む北海道沼田町は、つい数十年前までは、ほとんど日本で一番マズいコメの産地でしたが、
今では、農家当たりの作付面積が日本一のコメの名産地になりました。
この両方を知っている者が、私を含めてまだ&まだ多く住んでいるので、不思議な感じすらします。
つまり、「余力」は人為的に準備できる。その時、人為的とゆー係数になるのは、
生活者の自尊心や、
品のあるモラルや、「政治」なのでしょう。

■政治は支配である、と同時に、支配を無化する(=つまり、「公平」。)システム。
2大政党制が議論すべき本質は、その2つの選択肢の間でゆらゆらしながら行き着く相対的にベターな地平なのでしょう。

>毎日ノン気に過ごしていく生活というものは、誰が何と言おうと批判されるものではなくて、絶対的に擁護されるべき価値を持っているはずだ

■中野さんなら読んでいただいた・かな、と思いますが、
『共犯新聞』今年の8月6日=ヒロシマ、8日=月見猫☆命日、9日=ナガサキ、な、
3DAYS特集
片隅?遠くから見ていることの大切さ、だよ。『この世界の片隅に』の結論(?)も、
「呑気」というパワーを見事に描き切った、でした。
で、今さら気が付くのですが、
①主人公の声優の新しい名前(!)も(?)、
のん(能年ウニを求めて、礼文島やら、天売島やら。玲奈)
②中野さんが住んでいる岡山県から南へ一直線(?)に、
呉、ヒロシマ、ナガサキ、
鹿児島県与論島(嵐をよぶ!都議会本会議採択月見猫の水難事故死の場所)が存在しているんですね。
■ノン気を土足で犯す支配者への生理的な不快。
昨日、8月12日(土)の日本経済新聞には、中堅小説家の魅力的な短文が2つありました。少し引用します。

星野智幸~ロベルト・ポラーニョ『2666』を読むためにメキシコに滞在した。
「私がそう思うのは、東日本大震災で亡くなった膨大な数の人たちについて、文学では届かないと絶望した経験があるからだ。
ボラーニョにも同じ絶望があったのではないか。それでも言葉にしようと格闘したのだ。」

堀江敏幸「傍らにいた人」(24)~安岡章太郎「遁走」軍隊のヤル気の正体見抜く
「不可欠なのは、殴られる者の出現を待って、自身の服従の幅を調整する受け身の戦略だ。」
服従心なるものがいかに恣意的に解釈されるのか、この一件で明らかだろう。権力のある者にとっては、因縁もまた法のうちなのだ。
上の者の怒りと不機嫌を、ひたすら殴られることで受け入れているうち、初年兵たちは少しずつ思考停止に陥っていく。
(主人公の)加介はそのような理不尽に飲み込まれそうになっている自分を意識しながら、身体反応の深い部分で、なんとか抗(あらが)っている状況だ。」

「軍隊における服従心とは「ヤル気」の意味だと、加介は喝破する。
それは「愛国的情熱にもとづくファイティング・スピリットのやうにいはれてゐる」けれど、実際は「ただの利己的な競争」にすぎず、
「兵隊たちは、あらゆる点で他人よりも早く、利巧(りこう)に、自分の有利な立場をきづいておかうとする」だけである。
下士官も同様だ。もっぱら保身のために上官の思いを「忖度(そんたく)」する。それが「ヤル気」の正体なのである。」

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

難しいんですが

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 8月12日(土)16時29分34秒
返信・引用
  ゲストブックを開いたら、立山青氏がいてびっくり!探してくださったんですね。うれしいです。
『彼女の人生は間違いじゃない』ぜひ見てみます。6枚組CDともども楽しみです。
ところで東京の特権性について書かれている部分を読みながら、十数年前に感じた理不尽を思い出しました。
その日、付き合いもあって、地産地消に関する分科会みたいなのに出ていたんですが、出席者の一人が「市民農園を借りているが、使用料が高くて、トータルでいうと店で野菜を買うほうが安い。もう少し安くならないと借りるメリットがない」とか言ったわけです。
岡山みたいなノン気な土地でも、農業後継者の問題は大変で、町中に耕作放棄地みたいなのができてしまったりして、そういう土地が市民農園になったりもするわけですね。
「趣味でやってるなら、金くらいつぎ込めよ」とか言いたい(言えなかったけど)のはともかくとして、農業者が耕作できない(労力的に、または収益的に)のに、非農業者はそこを耕作する余力を持っているという不思議な状況、しかも余力のある人間が余力のない人間を値切っていくという(その場には農家の人もいました)グロテスクな場面に、なんともやりきれない気持ちになりました。
図式的な言い方になるかもしれませんが、都市が農村から農地を、しかも農地の形をしたままソフトな形で収奪しているという気がしました。
都市と農村とか、東京と地方とか、日本と世界の多数の国々とか、そんな構造の中でノン気な毎日を送っている自分に、どのように自覚的であるか、また一方では、毎日ノン気に過ごしていく生活というものは、誰が何と言おうと批判されるものではなくて、絶対的に擁護されるべき価値を持っているはずだということ、そんなことを脈絡なく考えてしまいました。
 

自分(だけ)の「有識者」を何人持っているか?が、豊かさの数値化。

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 8月11日(金)01時12分37秒
返信・引用 編集済
  And Mr.中野真吾 goes Bip bop, bip bop,bop♪
>カフェ・ミシシッピといえば藤島 晃一の…

■そうです♪
イギリス人のピーター・バラカンが日本に住んでずいぶん過ぎてから、イギリスのBBCラジオで信頼できるDJがかけた曲が、彼のThe Fujiiで、
その本人からピーター・バラカンへ突然、作品などが入った大きな小包が届き、今では藤井晃一は高知県に住み『Missy Sippy(カフェ ミシシッピ)』を経営していて(笑)、
ピーター・バラカンとは友人になって、定期的にそこでトーク・イベントをしている。
インターネットの時代は、覆面の時代ではなく、解放の時代であるべき、ですよね。

立山 (たてやま・せい)という
>ブルース青年がいて(東京でライブしたりもしている)、
>何年か前に藤島氏のライブを聞きに同所まで行ったので、電話で聞きました。

■わぁ、すげえ。中野さん、超さっそく☆ありがとうございます。直球が速球で返って来た快感です(笑)。

>山の中に2軒の建物があって

■私は、
『北大2014地方議員向け最前列で、かぶりつきで講義を聴いている久保元宏(笑)。サマースクール』宿題(笑)で、
こんなことを書いて&提出しました。

エンターティメント型議員?国は、地方に「施設の総量圧縮」の圧力をかけながら、

同時に東京だけは2020年の東京オリンピックに向けて、「施設の総量膨張」を計っている。

国は日本全体を、コンパクト・シティにしようとしているのか?

この非対称の理不尽さと、幼稚な未来設計に異議と議論の声を上げるのが、地方議員の役割だ。

今の日本に必要なのは「東京オリンピック」ではなく、「東京以外オリンピック」だ。

東京以外のすべての県で競技をするべき。政治とは分配の闘争であると同時に、分配そのものでもあるのだから。

■岡山県岡山市北区丸の内1丁目5-1の映画館『シネマ・クレール』で、
8月26日(土)から上映される映画やっぱ、映画館で観たい♪『彼女の人生は間違いじゃない』は、おすすめです。
監督の廣木隆一(1984年、福島県喜多方市、生まれ)が先日の北海道での上映会で、
「福島は(放射性物質の)汚染土を削り取って入れた大量のバッグが山積みのまま放置され、不気味な風景が広がり、ひどいことになっている。
現実がイメージを超えている。東京へ電気を送るために、こんな目に遭ったのに、東京は便利で快適な生活のまま
この矛盾の犠牲になったのが彼女 (みゆき)だ」
と語っていました。
世界中の魅力的な音楽や映画や小説やマンガを知っている私たちは、東京から自由でいられますが、
同時に東京は特権を持ったまま、「東京から自由」な者の批判から自由です。

>まだ知らない場所にはまだ出会っていない人がいるわけだ

■それが、東京への復讐。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

有識者レポート

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 8月10日(木)23時09分21秒
返信・引用
  カフェ・ミシシッピといえば藤島晃一の…
ぼくは行ったことがないんですが、岡山県倉敷市在住の立山青(たてやま・せい)というブルース青年がいて(東京でライブしたりもしている)、何年か前に藤島氏のライブを聞きに同所まで行ったので、電話で聞きました。
いわく「山の中に2軒の建物があって、1軒はカフェ、もう1軒のほうでライブがあったんですが、周りの田舎の風景からいい意味で完全に浮いてました。藤島さんは怖いって感じじゃなくて、まさに高知の男って感じ。食べ物は外国っぽいものが出てきて、藤島さんもそういえば外人みたいだし、外人のお客さんもよく来るみたいです。飲み物はビールしか飲まなかったので、それしかわかりません」とのことでした。
岡山にもぼくが初めて友部正人を見ることができた「ペパーランド」、いつもいろいろなことを教えてくれる「キング・ビスケット・レコード」や良元優作のライブをさせてもらった「ながいひる」、おまつとまさるを見た「コマンド」、早川義夫を見た笠岡市の「萌」、とっくになくなってしまった「みるくほーる」や「コスモグラフィア」とか、いろんな場所があったし、今もあります。あがた森魚が「函館ハーバーセンチメント」をうたってくれた「スイング」という店など、その時はじめて知ったのですが、もう何十年もやっているということでした。
それらの場所を教えてくれた人やそこで会った人もいるわけで、そうするとまだ知らない場所にはまだ出会っていない人がいるわけだ、と、当たり前のことを考えています。
 

問題は欲しいものが、年々少なくなること

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 8月10日(木)11時31分56秒
返信・引用 編集済
  Take it Mr.中野真吾's Mumbo♪
>ぼくは「 おまつとまさる氏」の渡辺勝とか、

■私のバンドが1984年の年末に、あがた森魚さんと共演した時のベーシストが、はちみつぱいの和田博巳さんで、
その後、早川義夫さんが復活した時に和田さんが押し掛けマネージャーを買って出た、って、とっても、いい話ですよね。
その縁で、渡辺勝が組み合わされたのかな、って私は当時、感じていました。
札幌で観た渡辺勝のギターは、想いの方が前のめりになっていて、まだ技術は追い付いていないと私は感じましたが、
むしろ、そんな渡辺勝の不安定さこそが、復活した早川義夫がロックであることを最も証明していたようでもあり、
そのことに早川義夫も感じていたような気がしました。
その後、まもなく渡辺勝が早川義夫のツアー・メンバーから外れたのを知った時にも、やっぱり、そうか、と思いつつも、
しばらくしてから、裏方ばかりが続いていた佐久間正英をステージに出したのも、私には心地よい納得と嬉しい驚きでした。

>早川義夫と 佐久間正英の共演とか見て

■佐久間さんも、亡くなられましたものね。
ジャックスの水橋春夫のギターは、渡辺勝~佐久間正英に直結していて、
その先見性があまりにも超プログレッシブなので、むしろ普遍性に感じてしまうほどです。

>早川義夫+あがた森魚+渡辺勝の因縁ツアーとか、ないでしょうか。

■デビュー前のあがたさんが喫茶店で待ち合わせた早川さんにギターを弾きながら歌を聴いてもらった、ってのも、いい話ですよね。
ライブ&バーずっと、ここから。『Rock House DYLAN』の伊藤忠司マスターに、
6月に中野さんが体験した、あがたさんの話を伝えました。

中野真吾 2017年6月6日
いいことありました。
「古本ながいひる」のあがた森魚ライブに行き、打ち上げであがたさんの隣に座らせてもらい、
「函館ハーバーセンチメントが好きなぬですが、ライブで聞いたことがありません」みたいなことをしつこく言ってたら、
「それじゃ明日のライブ(岡山である)でうたおう。来てもらえますか」と言われました。
行きますとも!

中野真吾
先ほど、函館ハーバーセンチメント聞けました。何と言葉にしたらいいのか…

中野真吾
ライブ終盤、「君はハートのクイーンだよ」で、お客さんが何人も、低い声で口ずさんでいて、
それが友達のうたう唄を聞いているみたいで印象にのこりました。

ずっと、ここから。伊藤 忠司 2017年8月9日
この方、ちょうどアングラフォークど真ん中世代ですね。
あがたさんは、ライブの出来不出来のある人だけど、決まった時は鳥肌もののステージを見せてくれますね。

伊藤 忠司
アーリーの野澤さんからです。
「このアルバムは知りませんが、これに関わっている札幌のキコキコ商店の人とは何度かお会いしました。エミグラントは1枚だけ持ってます。」
とのことです。

うぇ~ん!久保AB-ST元宏
ありがとうございます。
そーか&なるへそ~。
キコキコ商会ねぇー。私が大昔にメジャー・デビューした時に、チャクラとLPを作りましたが、ここで交差しました(笑)。
『共犯新聞』ゲストブックによれば、岡山県の還暦の彼は、オトナ買いをするようです(笑)♪
それにしても、またしても、伊藤大兄、お世話になりました。
これからも、よろしくお願いいたします~!

ずっと、ここから。伊藤 忠司
やはりアラ還世代は、大人買いですね。
問題は欲しいものが、年々少なくなること…。
大工哲弘さんの10枚組でも買っちゃおうかな~。

うぇ~ん!久保AB-ST元宏
「問題は欲しいものが、年々少なくなること」←あ!なんか、すごい&するどい。
そーゆー時は、自分でCDを作っちゃうか、まったく違うジャンルに飛び込むか、新しいトモダチから紹介してもらうか(笑)?
最近、ピーター・バラカン『音楽日記』を読んで、アイルランド音楽や、アフリカ音楽を再学習しかけたけれど、
読みながらYouTubeで、さわりをさわる☆だけで満足しちゃうたんぱくな私(笑)。
それでも、この本に紹介されていた高知県の『Missy Sippy (カフェ ミシシッピ)』がめっちゃ面白そうなので、
今ではFacebookで追っかけています。いつか行きたいなぁー。とゆー店に、芦別市DYLANもなっていますな♪
あ、そーだ!私、明日、芦別市に行きます(笑)。ライオンズクラブの会議で。がくっ。
こんな日程。
2~4:30Pm 芦別市総合福祉センターで会議
5~5:30Pm 芦別市内の歩道で、交通安全運動 がくっ。
6~7:30Pm スターライトホテルで懇親会

■さて、中野さん。
高知県の『Missy Sippy (カフェ ミシシッピ)』に行ったこと、ありますか?
私や伊藤さんや野澤さんよりも、中野さんは近くに住んでいますので(笑)、
もし行かれましたら、共犯レポートお願いいたします♪

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

大兄と呼ばせてください

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 8月 9日(水)20時42分2秒
返信・引用
  わけのわからん問いに、手を尽くして調べてくださり、感謝の言葉もありません。
ユーチューブを見せていただき、おすすめの言葉もいただき、決心しました。大人買いいたします。
久保さんは、早川義夫と渡辺勝の共演を見られたんですね。ぼくは「おまつとまさる氏」の渡辺勝とか、早川義夫と佐久間正英の共演とか見て、どちらも忘れられません。
早川義夫+あがた森魚+渡辺勝の因縁ツアーとか、ないでしょうか。
伊藤さんや野澤さんにも、よろしくお伝えください。ありがとうございました。
 

オトナに問うオトナ買い

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 8月 9日(水)16時56分42秒
返信・引用 編集済
  Dear friend, Mr.中野真吾's the time♪
>自分では聞いたことがないし、ネット上にも音源がなくて、皆目見当がつかないとのことです。

■すまん。
私も、深くは知らない世界。
そこで、北海道の音楽の巨人、ライブ&バーずっと、ここから。『Rock House DYLAN』の伊藤忠司マスター
にメールで訊いて、こんなやり取り。

ずっと、ここから。伊藤 忠司
関島さんや鈴木翁二さんなども参加しているってからには、かなりな凄腕集団なんでしょうが、まったく聞いたことがありませんでした。
すみません。
コッチ方面は、アーリータイムスの野澤氏がくわしいので、ちょっと尋ねてみます。

うぇ~ん!久保AB-ST元宏
私も鈴木翁二さんに激しく反応しました(笑)。
北海道の表現者たち、奥が深いっすねー♪
お忙しい中、ありがとうございます♪

ずっと、ここから。伊藤 忠司
渡辺勝さんとかもね(笑)
ウチのおんぼろピアノであんなすごい音出した人、初めてみました。
いちおう野澤さんにもメッセージ送っておきました。

うぇ~ん!久保AB-ST元宏
あざーーーっす!
渡辺勝さんは、早川義夫さんの復活ツアーでの震えるギターが忘れられません。

てなコトからぁ~の、ググれば、YouTube発見♪
とか、 とか。
いんじゃね?
実は、今日の私はamazonからケンドリック・ラマー『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』を買った、っー、ミーハーなのですが、
今日のところの結論=④で、いかがでしょ?
旭川市のライブハウス『アーリータイムス』野澤さんからのメッセージが届きましたら、また紹介いたします♪

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

有識者に問う

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 8月 8日(火)22時22分16秒
返信・引用
  迷っております。ご存知のことあればお教えを願います。
「JUST A NORTHERN SONG  夢の隊列2005」というアルバムをご存知ですか。
オフノートなる音楽集団が北海道で行ったライブを収録した6枚組CDということです。
関島岳郎、中尾勘二、船戸博史(いずれもぼくにとってかけがえのない存在である友部正人や良元優作と共演した人たち)さらに渡辺勝といった面々が参加していて、反応しかけているのですが、何しろ聞いたことがなくて。
かのキングビスケットレコード店主小野氏も、注文を受けて入荷したものの、自分では聞いたことがないし、ネット上にも音源がなくて、皆目見当がつかないとのことです。
そこで、北海道と言えば…音楽と言えば…久保さんなら何かご存知ではないかと、ご相談した次第です。
さて、久保さんのご判定は、次のどれでしょう!
①6枚全部買うべきである②6枚のうち〇枚目と〇枚目は買うべきである(セット売りのほかバラ売りもある)③1枚も買うべきでない④知らないが、買うべきである⑤知らないが、買わないほうがいい⑥知らないから、知らん
忙しいさなかつまらんことを問うでない、と言われるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

http://www.offnote.org/SHOP/AUR-1-6.html

 

羽田試論

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 4月 4日(火)17時43分35秒
返信・引用 編集済
  Oh! Mr.中野真吾, don't you let me downtomorrow♪
>「はみだしっ子」というタイトル自体、「はみだし野郎」と無関係に存在したはずなどなく

■優れた表現は、常に時代と深い関わりがありますよね。
「はみだし野郎」が発表された1969年~1971年、小学生だった私は、怖くて読めませんでした。
「はみだしっ子」が発表された1975年~1981年、中学生生だった私は、怖くて読めませんでした。
それが、
1979年~1980年に発表された森脇真末味『緑茶夢』は、高校生だった私に、ビンゴだったのです。
もしかしたらそれは、「新左翼」が希望から「怖くて」直視できないものへと変遷し、公権力もパブリック・イメージをそうコントロールしたからかもしれません。
そこで優れた表現者たちは、「怖くて」直視できないものを、「怖くて」直視できないままに表現したのでしょう。
さらに時代と表現がユニークなのは、次のステージに更新することも忘れてはいないことです。
『緑茶夢』を読んだ18歳の私は、ニュー・ウェーヴと呼ばれ始めたジャンルの音楽を始めます。

百合コレクション♪「1970ハネディアン」

日本の新左翼は、羽田で始まって、羽田で終わった、とも言えるかもしれません。
『共犯新聞』常連の故・答えの先。答えの元。青木昌彦さんは、20歳の時、1958年12月に共産主義者同盟(一次ブント)を名付けて結成しました。
その結成大会で、青木さんはソ連や日本共産党をこき下し、日本の左翼運動が共産党のコントロールから決別して、「新左翼」となりました。
この運動は60年代安保闘争の中心として巨大化してゆくのですが、
最初の大きな「闘い」は1960年1月、羽田空港で青木さんが多くの学生と一緒にバリケードを築き、岸信介首相の訪米を阻止しようとして、現行犯逮捕された事件でした。
青木さんはこの後、活動から身を引き、経済学者へと進みます。
樺美智子が国会前で虐殺された1960年6月15日の最大のピーク時にも青木さんは先頭には立たなかったそうです。
この「迷い」を青木さんは、私も登場する『私の履歴書』(2008年4月24日、日本経済新聞社)で、「先見性と決断、勇気に欠けていた」と述懐されています。
そして、「羽田で終わった」のは、私の8歳のおたんぢょうび、1970年3月31日、羽田空港の「よど号」ハイジャックでした。
このハイジャック犯人には、
ロック・バンドの俺たちは、あしたのゴダールだ!裸のラリーズのベーシスト俺たちは、あしたのゴダールだ!若林盛亮もいましたよね。
若林は、2010年に北朝鮮の平壌でのインタビューで、同志社大学軽音楽部時代をこう振り返っています。
「ビートルズがなかったらここ(=北朝鮮)にはいなかった。
高校時代は優等生だったが、このまま大学卒業していい会社に入って何になるのかと考えていた時に、ビートルズの『抱きしめたい』を聴いて衝撃を受けた。
バンドから学生運動へのきっかけは、10・8羽田闘争(注:佐藤総理ベトナム訪問阻止で山崎博昭が死亡)。
命かけてやってるんだと見直し、社会を変えるためバンドを辞めた。」
羽田のきっかけも、羽田だったのです。

>60年代から70年代へかけて「羽田を発った」友と、「暗い山で道に迷った」友とに対するついえることのない慰謝

■「羽田を発った」=よど号ハイジャック、
「暗い山で道に迷った」=『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』♪連合赤軍事件
と、書いてみるのは、あまりにも図式的すぎるでしょうが、それは音楽や人生が図式的でもあるのと似ているからなのかもしれません。

>あの頃映画館の暗闇に座った映画青年や
>ロック喫茶「ブラックホーク」(追悼71年夏、“ブラック・ホーク”のすぐ近く、歩いてものの2分の距離にロック喫茶“BYG”が出店した。松平維秋さん)の暗がりに座っていた音楽少年達の意志や想念や営為

■こうして中野さんと共犯幻想をしていると(笑)、
登場人物の多くが、1970年代後半のマンガ批評誌『だっくす』、『ぱふ』にリアル・タイムで登場していたことに驚きます。
それは編集者たちの高感度なセンサーであり、
北海道や岡山の少年のキャッチが、次の時代の更新となるバトンになるような無意識の願いだったのかもしれませんね。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

雪山と羽田の空

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 4月 3日(月)22時38分48秒
返信・引用
  ていねいに読んでくださり、感想まで書いていただき、ありがとうございます。持つべきものは共犯者…とか言わせてもらっていいでしょうか。
それにしても、久保さんの発想力には驚かされます。ぼくは雪山から連合赤軍を思い出すことも、爆発事件から新左翼を連想することもなかったし、まして共犯幻想との関連など、想像もしませんでした。しかし「はみだしっ子」というタイトル自体、「はみだし野郎」と無関係に存在したはずなどなく、このことはよく考えてみたいと思います。
そこで思い出すのが、あがた森魚が「日本少年2000系」のライナーノートで書いた「1970ハネディアン」にまつわる文章です。「映画のように死んでくのも/羽田を飛び立ってゆくのも」という歌詞を持つこの曲を、「羽田から飛行機でロンドンへ/ぼくの嘆きもってお嫁に行くんだね今日は」という歌詞を持つはちみつぱいの「塀の上で」との関連で語り始めるのですが、続いてこう書いています。
『そして、個人的回想として、この詞から連想される川本三郎の世界がある。60年代から70年代へかけて「羽田を発った」友と、「暗い山で道に迷った」友とに対するついえることのない慰謝を、この「塀の上で」とはまた違う立地から押しだまりながらもじっと見ていた川本三郎の「マイバックページ」(ディランやバーズによって焼きつけられた歌でもあるが)さらには「朝日のようにさわやかに」(ソニー・クラーク風に)といった、静かに誠実に時代を照射した書物によって確認させられた同時代体験をまた想いかえしもする』
『あの頃映画館の暗闇に座った映画青年やロック喫茶「ブラックホーク」(追悼松平維秋さん)の暗がりに座っていた音楽少年達の意志や想念や営為は、はるか今、30年後のこの99年の空の下の誘導灯や広告塔にどのように映し出されているだろう』
 

ねじりの回転

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 4月 3日(月)14時21分3秒
返信・引用 編集済
  Mr.中野真吾 is my song,I am your singer♪
>お誕生日、おめでとうございます。すごい日ですね。

■ちなみに曜日は、土曜日です。
当時の銀行は土曜日も営業をしていましたので、年度末の商店主だった私の両親は、てんてこまいだったことでしょう。
つまり、私は生まれた瞬間から、モットーは、「ギリギリ・セーフ」なのです。がくっ。

>久保さんは「はみだしっ品のいいノスタルジアを持っているけだものの悲しさが美しい。 子」について書いておられますね。
>ぼくは「はみだしっ子」を連載途中から読みはじめ(といってもコミックでですけど)、あの結末がどうしても納得できず、忘れては考えを繰り返したあげく、
>6年ほど前に文章にして、知人の同人誌に載せてもらいました。

■三原順が白泉社の少女まんが雑誌『花とゆめ』に連載した1975年~1981年の時期は、ミニコミ誌ブームでもありましたので、
当時は、多くの愛読者が「はみだしっ子」について書いていたんだろーなぁー、とは私も思っていました。
が、ししか・・・・・・・・・死?かし、
「6年」前とは!
その思索の持続力に敬服します。
さらに、読まさせていただきましたが、すごく面白かった♪最後の謙遜の文章が必要ないぐらいです。いや、あの謙遜が、さらに「はみだしっ子」的にしています。
そして、岡山県の周囲(?)には、いまだに、文章≒活字で思索する文化がタフに生きていることを純粋に尊敬いたします。
以下、読まさせていただいた、
中野真吾『もう一度「はみだしっ子」を読む』から文章を抜粋しつつ、私の感想を書き加えさせていただきます。

>伏線に満ちた

■まさに、そうですよね。
そして、物語に慣れた読者たちは、伏線は「再会」や「どんでん返し」などとして「回収」されるべきものなのですが、
「はみだしっ子」は回収されずに、増幅するための伏線であり、長期連載中に、どんどんスパイラル状に伏線は増加してゆきます。
実は、これって「物語」よりも「人生」に似ています。
だから、読者は回収されない伏線に恐怖を感じるのでしょう。これが「はみだしっ子」全体を通じているムードです。

>歪んで傷ついている心は、癒されようとしないことを自分の支えとするが、
>歪んだ心が自己を治癒することはそもそも可能なのか

■私は昨日、映画『ムーンライト』を観てきました。
何度も観せられた予告編で、テーマは、人種、貧困、世代の間の「差別」だろーなぁ、と、私は観る前から観た気分になっていたのですが、
実際に観ると、さらにそこに同性愛の「差別」も加わっていて、
こりゃぁーとーちゃん、笑い過ぎだろ。トランプ大統領が嫌いなもののパレードだな、とアカデミー賞の政治性を強く感じたしだい。
この映画に比べれば、マジ?うっそー♪『ラ・ラ・ランド』は黒人音楽を植民地化した白人の物語ととらえることも可能です(笑)。

>自分に何かを行う資格があるのか

■ねじまがった度合いを個性と呼び、「整理」ができるのならば、そも&そも、中野さんが指摘する問題は起こらない。
我々は、精密なダイヤルのように、ねじまがった度合いを数値化し、数値が正確に合った存在ごとに棲み分ける政治を選んではいません。
我々は、「回収」や「整理」の機能を持った物語から、宙ぶらりんにされているのです。

>グレアムの中で何が解決されたか、あるいは何が断念されたかがよくわからない、
>というか納得が行かないのだ。

■迷える若き共同生活者たちの雪の中での殺人、と言えば、1971~2年の連合赤軍リンチ事件を連想させるし、
それを「誰もが忘れてしまったように」している中で起こる
「爆発事件を起こして守衛を死なせた」にも、70年代★新左翼の暗い影を感じさせます。
つまり、真崎守『共犯幻想』の主人公たちのその後が、「はみだしっ子」である、と幻想してみるのは、間違っているでしょうか。

>僕にはなぜフランクファーターがグレアムにとってそれほど大きい存在なのか、よくわからない。
>そしてきっと、それがわからない限り、「はみだしっ子」の結末もわからないのではないか

■「ねじまがった度合いを個性と呼ぶ」のなら、
「ねじまがったエディプス・コンプレックスも個性となる」、のか?
いずれにせよ、タイトルに「子」を付けたからには、対峙する「オトナ」を描く必要が三原順にはあったと思います。

>社会は彼を矯正しようとするだろうが、
>歪みの上に歪みを重ねるか、踏みつぶすことしかできないだろう。

■そこが、更生保護の課題であり、
乗り越えなければならない「社会」の限界であり、
その「社会」のツールとしての「教育」や「政治」、「法」などの課題ですね。
そして、「社会」の課題の未解決を自覚したまま、我々は、個人の課題によりそわなければならない。
それを、我々は、ときどき、愛とか呼ぶのですが。

>自分の苦しみに気付いてくれ

■相対化する能力。

>「ボク行かなきゃ!」「今度こそ!!」

■再生を可能とするものは何かを読み取らなければならない。それが表現から個人へのバトン。

>殺人が誰にも知られずに終わるのなら、この苦しみも誰にも知られずに終わってしまうことの空しさだ。

■「知られない孤独」、「忘れ去られる孤独」。
その穴をふさぐツールとして言葉を覚えた「けだもの」としての人間。

>書く前よりもいくらか理解ができるようになった

■言葉で考える力。
グレアムは、小説家になるべきです。それが彼を救う数少ない進路でしょう。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

続き

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 4月 1日(土)09時23分40秒
返信・引用
  続きです。
2017年度、いい年になるといいですね。
 

はみだしっ子

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 4月 1日(土)09時21分27秒
返信・引用
  お誕生日、おめでとうございます。すごい日ですね。
ところで久保さんは「はみだしっ子」について書いておられますね。
ぼくは「はみだしっ子」を連載途中から読みはじめ(といってもコミックでですけど)、あの結末がどうしても納得できず、忘れては考えを繰り返したあげく、6年ほど前に文章にして、知人の同人誌に載せてもらいました。添付させていただきますので、お暇なときに読んでやってください。
ストーリーを追いながらでないと展開できず、かなり長いものになってしまいましたが、自分としては愛着がある文章です。

 

含羞

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 2月24日(金)02時19分55秒
返信・引用 編集済
  Mr.中野真吾 takes second best, but it's so,

Some people never know♪

>映画への愛を吐露するのは恥ずかしいことだ。

■ご存じのよーに、川本三郎(1944年7月15日生まれ)は今ではリスペクトされる評論家だけど、
麻布中学校→麻布高等学校→東京大学・法学部政治学科→大学院→朝日新聞社の記者
って、マンガのよーな(笑)エリートの途上で、1972年に朝霞自衛官殺害事件に関わり、退社。
5年間の沈黙後の1977年に出したデビュー作が、この『朝日のようにさわやかに 映画ランダム・ノート』、だよね。
で、私が川本三郎の名前を意識して読むようになったのは、またしても、まんが専門誌『だっくす』でした。
たとえば、1978年12月号の、「ティーチ・イン斎藤正治④もう、まんがには応援団はいらないんだ」の対談ゲストで。
中野さんも、そーかも(笑)。
んで、1972年の顛末を告白したのが、1988年の『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』で、
2011年に映画 映画館の暗闇という絶対孤独と相対自由。されましたよね。
ここらへんは、一般教養(笑)だけど、デビュー作の文庫本のみに書かれた批評ってのは、今回、私は初めて読みました。
またしても、中野さん、ありがとうございます♪
たとえば私は、「一人でからっぽの映画館に通いつづけた川本三郎氏」とゆーフレーズに、やられます。
そして続いて書かれた、「映画は、恥ずかしい文化だったのだ。」の指摘に、
私の脳味噌は早川義夫のソロ・デビュー・アルバムのタイトル『かっこいいことは何てかっこ悪いんだろう』を経由しつつ、
彼ら(=川本&早川)の本質にある含羞に頭を垂れつつ、共感という孤独の連帯(=嗚呼、つまり、共犯?)を、
それこそ早川義夫のバンド・デビュー曲のタイトル「からっぽの世界」である暗闇の映画館で、
他に誰がいるのか期待もしない情況ながら、同じ光を観ている他者を薄く期待している青春性こそが映画の本質なのではないのか、
と、気が付いている情況の全体を、私は抱きしめたい。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

畑中佳樹(続き)

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 2月23日(木)01時18分41秒
返信・引用
  最後のページが添付できなかったので送ります。  

畑中佳樹

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 2月23日(木)01時16分38秒
返信・引用
  こんばんは。
文庫本の解説といえば、ちくま文庫「朝日のようにさわやかに/川本三郎」に畑中佳樹が書いた「川本三郎-不倫の映画愛」がいいです。「映画は人目を忍んで見に行くものだ。映画への愛を吐露するのは恥ずかしいことだ。映画と僕らとの間には、不倫の関係しかない」素晴らしいと思います。
 

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