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次回は

 投稿者:ディラン  投稿日:2011年 9月 1日(木)11時24分9秒
返信・引用
  ニトベイビーさんのメール読みました・・。
実は久保さんのほうが無理だったら、ニトベイビーさんに声をかけようと思ってたんです。
次回は必ずニトベイビーさんにも声をかけるようにします。

留萌でもSHYやるんですね。
熱い魂全開のいいライブになると思います。
 
 

ロック原始人館事件の歌

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2011年 8月29日(月)15時39分34秒
返信・引用
  Well I been ♪ちょっとだけ、見よっ!Meat City to see for Mr.♪北海道★芦別市から、ずっと。ディラン
Been Meat City been Meat City
Just got to give me some ルーディ、こらえるんだ。'n'roll
>ちょっと心配してましたが、佐渡山GO!GO!ウチナンチュー!ライブ成功おめでとうございます。

■ディランさんのカキコミを読んで、ディランさんが私とほとんど同じ気持ちでいたことに驚きます(笑)。

呑み過ぎなきゃ、いい人なんすが(笑)。夜高あんどん間際の忙しいさなか、お疲れ様でした。

■確かに、佐渡山さんを聴いてもらいたい若者ほど、あんどんの製作の締め切りや、踊りの練習などで来れませんでしたが、
こーゆーのは縁ですから、ディランさんに佐渡山さんのライブをする紹介を受けて、
しかも、佐渡山さんを知らなかった文雄ちゃんが曲を聴いて大ノリ&ノリで、実現したのですから、これもまた☆いかしたハプニングでした(?)♪
■で、マジに佐渡山さんの曲が大好きになった文雄ちゃんは、夜高あんどん祭りの最中、カフェ昭和プラスで、佐渡山さんのCDばかりをずーーーっとかけていた、んだって♪
すると、いつも祭りの時はドリンク1杯で長時間ねばる客ばかりなのに、今年だけは客の回転が速かった!そうです。
なかには、「この曲、マスターの趣味?」と、渋い顔で帰ってゆく客もいたそうです(笑)。
佐渡山さん、ディランさん、いろんな意味で、ありがとうございます♪

>佐渡山さんが受け入れられるお客さんならあとはだれが来ても大丈夫ですね。

■私たちが勝手に抱くイメージは、シバや加奈崎芳太郎は貧乏で、高田渡はアル中。
佐渡山さんを少し知る者も、佐渡山さんにそんなイメージを勝手に抱いているだろーし、佐渡山さんもわざわざ、それを否定する作業はしないでしょう。
昨日の北海道新聞の書評欄で仲井戸麗市@チャボが、
「純潔」、の意味。原口統三(はらぐち・とうぞう、1927年1月14日~1946年10月25日)パラパラ・・・『二十歳のエチュード』
紹介していたのに驚く人もいるだろーけど、さもありなん。
佐渡山さんは彼の歌では想像もつかないほど、ある意味で器用な人であり、それは多くの表現者もそうなんですよね。
その事実は表現者の作品の質を低下させることはなく、むしろ、そうでありながら、さらに生々しい表現を行っている事実をこそ我々は体感すべきなんですよね。
佐渡山さんのインテリ度数の高さを確認できたのは、明らかに今回のライブを受け入れた側に立てたからこそであるので、
ライブ企画を紹介していただいたディランさんには、またしても、ありがとうございます、なのでした。
■そう&そう、あの芦別市ディランのアリーナ席で、私が佐渡山さんのライブを見たとき、
最後の曲をストローク一発で終えた佐渡山さんはギター・ピックを指から飛ばして、目の前の私にくれたんだけど、
その「佐渡山組」と金色で書かれた黒いピックは、私が4月の選挙で使ったピックなんでした~♪
そのピックをジーンズの尻ポケットに忍ばせていた私は、打ち上げでその話をしつつ、佐渡山さんにピックを見せてお礼(?)をいいました(笑)。

>あちらこちらで本当の音楽が響き渡るってのはいいですね。

■その奥底の仕掛け人こそが、ディランさんですね(笑)♪
今日の朝日新聞にアーティストのヤノベケンジ
インタビューで震災&原発事故以降の表現活動について語っていて、その中から抜粋。

「核の問題から目をそらせなくなったアメリカと日本、中央と地方など、大きな力と圧迫される側という構造が透けて見えた
「自分だけのスーツなのではなく、いわば媒体として機能するのが自分の役割」
「すべてがなくなったことを悲観するのではなく、何でも作っていいんだというポジティブな力に変えていこう」
「もう一つ作っているのは、実際に除染ができる作品です」
「カテゴリーに収まる程度のことでは、対抗できない時代になっている」


■佐渡山さんとは打ち上げで数多くのことについて話し合いましたが、
「佐渡山さんは沖縄フォーク村を作りましたし、エレックなどでフォーク・シンガーとして活動されましたが、
私は今回はあえて、”ロック・シンガー佐渡山豊”としてライブを企画したんです。」
と、私が言うと、佐渡山さんは、すごく嬉しそうにまた色々と語ってくれました。
それが、午後11時ごろで、佐渡山さんのボブ・ディラン論に拍車がかかったのは午前1時過ぎでした(笑)。
こんな貴重な時間をディランさん、またしても、ありがとうございました!

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/

 

おめでとうございます

 投稿者:ディラン  投稿日:2011年 8月27日(土)13時08分53秒
返信・引用
  ちょっと心配してましたが、佐渡山ライブ成功おめでとうございます。
夜高あんどん間際の忙しいさなか、お疲れ様でした。
久保さんのいうように、佐渡山さんが受け入れられるお客さんならあとはだれが来ても大丈夫ですね。
次はミチロウさんあたりイキます?
それともいったん八木のぶおさんと関ヒトシさんあたりのなごみ系で油断させるとか。
あちらこちらで本当の音楽が響き渡るってのはいいですね。
 

素直なレター。

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2011年 7月23日(土)02時30分58秒
返信・引用
  Wherever Ms.ローラにクーラーを!ミカキチああっろーら is, ♪クリックして、見よっ!you are here
>でも、元に戻れば満足なのか?と考えると、それともちょっと違って
>表で訊いてみてからの展開&判断を観れる方が、私には面白いし
>そっちの方がなんか共犯新聞的だわ~とか思ったものですから

■さすが、『共犯新聞』読者のプロ(笑)。

>活発な議論て口数が多いことではなく、言葉にならない分量がものすごく多くなってて、
>それを言葉に落とすことというか言葉として引き出し合える場をもつこと、
>みたいなことだと思ってたのだけれど、
>そういう意味での「裏の分量」を増やすようなやり方の方が
>ゲストブックについて言及するのにふさわしいような気がしたんでした。

■つまり、三代目ゲストブックのデビューを、ミカキチ風に祝福イベント(?)をしてみた、ってことか~。

>小田島雄志の息子さんの結婚式の受付とかもやっていたよ(確か。花嫁が友達だったんだったかな?)

■現在、日本経済新聞で絶賛連載中の
喜怒哀楽の情の総量で人生は決まる。だから、演劇!小田島雄志「私の履歴書」は彼の人柄(?)が文体とエピソードの選択に現れていて興味深い。
なもんだから、「息子さん」も誕生2ヶ月目の写真が掲載されている(7月17日付け)。
「息子さん」=長男・励志が生まれた1959年10月18日、小田島は初めて英文科の講師になり津田塾大で教えていたのだが、60年安保の騒動の真っ最中で、
「どんなにささやかでも反対の意思表示をしておきたいと思って、参加」したそうだ。
さらに東京大学の助教授になる筑前の1962年3月17日(私が生まれる2週間前だ。)にも「息子さん」=次男・恒志が生まれた時の写真も掲載している(7月19日付け)。
また、ねじめ正一『荒地の恋』を読んでいる私には、1951年8月の『荒地詩集』発売直後に手に入れたエピソードだけで1回分を書いている「「荒地」の衝撃」(7月9日付け)も面白かった。
さらに、その次の回には1952年の大学4年生のときに通っていた喫茶店が本郷の「ルオー」、新宿の「風月堂」で、
コーヒーを飲んだあと呑みに行くのが、東大の赤門前の通称落第横丁(がくっ。)の「梅ずし」や新宿「25時」や「どん底」だった、
ってディテールの固有名詞もおもしろい~。

>で、麻田さんは有機農研の会員でもあったんだけれど

■やっぱり(?)麻田信二さんとお知り合いだったのね。
私は、麻田さんの講演会の直後に、
沼田町の老人ホーム『和風園』の夏祭り黄倉良二さんから声をかけられ、「なんで、こんなトコで?」と驚きましたが。

>彼のそれまでの人生の経験の、最もいい還元と循環の方法

■麻田さんは、もともと転職組だからね。

>麻田さんに「裏切られた」気がした人もたくさんいたらしい。

■嗚呼、村人よ。

>要するに、「副知事を辞めるというからには
>次の、もっといい『権威』に乗り換えるってことだろう」と

■麻田さんは副知事は任期途中の2年目で辞めたんだよね?
北海道で副知事以上の権威ったら、知事しかいないけど(笑)。

>業界内の権威?なんて、比率で考えると
>全世界の0.2%にしか通用しない権威でしかなくて

■つまり、業界内の権威にアンチ(≒敏感)な者が、業界内の権威を維持している。

>出来ることも大きい位置というのは
>その力を利用しようとする動きに対する
>配慮にもエネルギーを削がれるし、
>相対的に、「出来ないこと」も生まれるし

■政治家が選挙で消耗したり、
各種の公式行事への参加や「お付き合い」が増えて、それを「仕事」と勘違いするようになり、「仕事」をしなくなったり。
その派生としての嘆かわしい現場が、「「国政」の場で、国民と対話が成立しない」だったり、「風穴が開く言葉を探す作業」へ向かうトリガーだったり、か。

>集団全体の知的力量を上げる為の努力

「できるだけ「バカが多い」方が自分の相対的優位が確保できると、エスタブリッシュメントの諸君は思っている」、か。
どうやら内田樹が松本龍の「暴言」をダシに言いたかったことは、日本のエスタブリッシュメントに「危機感」が無いってことだろう。
エスタブリッシュメントとは、「勝者」の別名でもあるのだから、危機感が無くて当然なのだろう。
しかしすでに日本の非エスタブリッシュメントたちは知性を身につけつつある。エスタブリッシュメントたちのインチキが分かり易すぎるのだ。
今年の統一地方選挙で、ほとんどの地域で「新人」が躍進したのは、その証明であり、スロー・レボリューションなのだろう、ね。

君がどんなに幼いかわからなかった

I didn't realize how young you were.

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/

 

普通の人々。

 投稿者:ミカキチ@ろーら  投稿日:2011年 7月21日(木)03時42分49秒
返信・引用
  サカタさん:

あわわー。すみません、たぶん全然何もおおごとにはなってなくて
基本どうでもいいことを私が取り上げただけで。すみません、ちびちびちび・・(←申し訳なくて小さくなってる音)

私も、たぶんサカタさんと久保さんが相談の上消したわけではなくて
サカタさんは何の気なしに「試験段階」は残さなくって、で、
久保兄だったら残したかも知れないけれど、でも、別に消したら消したでいいや。
と、全然執着なくそのままなんだろうな~~~~。
という風に思ってはいたんですよね。

だから、最初メールで久保さんに直接訊いてみようかな。と思った時も
その方が、あっさり「どうでもいいと思ってたけど、そっか、じゃあ戻すか」とかって
すんなり再録されるかなーとも思ったんです。

でも、元に戻れば満足なのか?と考えると、それともちょっと違って
表で訊いてみてからの展開&判断を観れる方が、私には面白いし
そっちの方がなんか共犯新聞的だわ~とか思ったものですから
こんな面倒なことに。
お騒がせしてすみません。

久保さま:

> ツールがホーム・ページである、ってことだけで、旧メディアには成し得ない乱反射の双方向性を持っているのだから、ゲストブックはその生命線だよ、ってことか。

→そんな訳で、個人的にメール出して訊けば
 どんな判断にせよ、それで自分は納得できるのは判っていたんだけれど
 なんか、表に出した方が
 結果は同じでも、裏に残ったものの分量が違うというか。
 それこそが、双方向性の醍醐味というか?
 (三体問題に持ち込んでカオスを誘うような~ってか)

 うまく言えないけど、「活発な議論を」とかって言葉が昔あったけど(今もあるのかな)
 活発な議論て口数が多いことではなく、言葉にならない分量がものすごく多くなってて、
 それを言葉に落とすことというか言葉として引き出し合える場をもつこと、
 みたいなことだと思ってたのだけれど、
 そういう意味での「裏の分量」を増やすようなやり方の方が
 ゲストブックについて言及するのにふさわしいような気がしたんでした。
 (あまりにもどーでもいいことでしたが~)

> 私は7月18日(海の日)にサッポロ・ファクトリーで、映画『コクリコ坂から』を観たんだけど、

> ちなみに、この映画で最もすばらしいのは動画でも脚本でも声優でもなく、
> チラシの裏に書かれていた宮崎駿が2010年1月27日に映画の企画のために書いた覚書「港の見える丘」だった。

→ 『コクリコ坂から』公開記念?で先週テレビで
 『海が聞こえる』と『ゲド戦記』を放送してたので
 『ゲド戦記』をやっと見た私です。

 7月15日に映画『Xmen ファーストジェネレーション』を観に行って
 お正月の寅さんみたいに、夏休みには毎年ジブリアニメが公開になるんだなあ。と思いながら
 『コクリコ坂』チラシを持ち帰り
 そして、 裏の「覚書」を読んだの。
 それまでフライヤーに使われてる絵をみて
 観る前から感動の質と幅が解っちゃってるような気にさせられてしまい
 興味湧かずにいた『コクリコ坂』だったのに、
 観に行こうと思った。

 宮崎駿の、あの手の文章はもともと好きなんだけれど(映画『ゲド戦記』で原案としてクレジットされてる『シュナの旅』というアニメージュ文庫も私は持っているんだよ~ん)、
 それに加えて
 宮崎吾朗監督の名誉挽回になりそうな出来だという何かで読んだ評判と
 『ゲド戦記』を今更にして観たことと
 ゲド公開当時紀伊國屋書店とジブリが共同で発行・無料配布した『ゲドを読む。』を読んで
 「父と息子」問題続く(じゃなく、正確にはそれを従来の意味での「問題」にはしないとすることをし続けててちゃんとやり遂げ続け?てる)と感じたというのも、
 理由にはちょっとあるのですが。

> たぶん、これは30年前(!)、私の書いた詩「戒厳令の街」にサカタが曲をつけようとギターを弾いていた「準備段階で、作成会議中」の、あの調布市「第3福葉荘」を再現してみたかったからなのではないだろうか。

→ホントに30周年記念行事ぽいです。

> たとえば政治家と官僚(=行政マン、県庁&市役所&役場の職員)の違いは、
> シンガー・ソング・ライターと詩人の違いにも似ていると想う。
> つまり、それぞれに扱っている商品は同じなんだけど、政治家とシンガー・ソング・ライターにはさらに「パフォーマンス」が付きまとってくる
> 官僚が立法や政策企画をし、政治家はさらにそれを路上やテレビや議場でスピーチする。
> 詩人は公園や書斎で詩を書き、シンガー・ソング・ライターは大勢の前で詩を唄として表現する。
> ■映画『コクリコ坂から』にこじつければ、新聞部の部長の「理念」に「パフォーマンス」を加味したのが生徒会長。
> ■なぜ、官僚や詩人だけではなく、政治家やシンガー・ソング・ライターが求められているのだろうか。
> 我らは乱反射の双方向性のド真ん中で、宇宙の孤独の乱反射を体感しつつ、自らの孤独の重層性をこっそりめくりながら、そのすきまにいつの間にか芽生えたものを見つけることだろう。

→昨年、ラジオで逢坂誠二さんとクロストークする機会があったんだけれど、その時、
 逢坂さんが、若い頃、音楽が好きで、音楽評論家になろうかと思ってた、と言ったので、
 政治家は「伝える」ことが一つの重要な仕事だし、
 それは「翻訳」ということだから
 音楽評論家という、音楽を聴いた際のエモーションを言葉に置き換える仕事は
 政治家と通じるところがありますね。
 という話でスタートしたんだけれど
 パフォーマンスって、言語(という言葉も雑だけれど)だよね。

 逢坂さんは実際、その対話の中で、パフォーマンスって単語を使ってた気がする。
 それ(彼が使っていた意味)は、私なりの言葉に置き換えて云うと、
 その政治家の資質にあったパフォーマンス(言語)があるって話でだったけれど
 (鳩山さんの話をしていたのです)

 あと、実はその時、政治家と役人?の仕事の違いについての話にもなったんだ。
 「政治とは、すぐには解決できたり、結果が出るものではない部分を担うこと」
 ということを話したんだけれど、そう考えて
 久保兄の上記の文章を読んで、改めて
 パフォーマンスに長けているということは政治家にはすごく重要な資質だよね。と思った。
 「空白の意味を説得力をもって翻訳する」には、パフォーマンスが一番有効な気がしたから。

 とは云え、私が逢坂さんと話してる時は
 時期もあって、どうしても「国政」の場で、国民と対話が成立しないことについて、
 ってことをとりあえず俎板に乗せての話だったけれど
 久保兄の日々を(共犯新聞で)推測していると
 どちらかというと上記の「空白」の落とし穴にどっぷりはまって?
 すぐ伝わるべきものも伝わらなくていい言い訳が成立してると勘違いしてしまったままでいる状況に
 風穴が開く言葉を探す作業みたいだよね。
 でも、どっちも結局は同じことだよね。

 「伝える」って同時に「汲み上げる」であることだよね。
 で、「空白」は「言葉を呼び込む」んだよね。
 そして「空白」は「空白ではない」部分があって初めてそこが「空白」たり得るし
 「空白のフリ」では「空白」は支えられないんだよね。

> >『法の外で生きるには 誠実でなければならない』
> ■そうか。「上品」とは、「誠実」ということか。

→世界初のツィッターである共犯更新赤文字一行日記によると
 今月の日経新聞の「私の履歴書」は小田島雄志だそうですが
 同じ負け犬組とはいえ、私よりはるかにフツーの女の子の人生を送ってる私の妹は
 友達の結婚ラッシュ時にきちんと
 「結婚前に花嫁友人同士でラブホテルに泊まってどんちゃん騒ぎ」とか
 「披露宴発起人」とかを経験していて
 小田島雄志の息子さんの結婚式の受付とかもやっていたよ(確か。花嫁が友達だったんだったかな?)

 で、私の方は、友人の結婚披露宴体験が人生で一度きり。
 (友達が少ないんじゃなくて、
  披露宴をしない人ばっかりだったんだよー)
 なんだけれど、その一度きりの披露宴出席&花嫁友人代表挨拶をやった親友の結婚披露宴の際、
 主賓挨拶っていうんだっけ?をしたのが
 先日、久保兄が、妹背牛での議員研修会で講演をきいた麻田信二さんでした。

 私がまだ店をやったり、ラジオパーソナリティーをやったるするはるか前の若いころ
 農家の友人たちとうちで開いていた「菜園ティスト」パーティーにも
 麻田さんは来てくれてました。
 当時、まだ高校生だった、ブルガリア旅行帰りの息子さんも一緒に参加してくれて
 詩を朗読してくれたり(笑)
 で、麻田さんは有機農研の会員でもあったんだけれど、
 道の農政部にいて、有機農業的にとても開いた人であっても
 実際に会員になる人はとても珍しかったのです。

 麻田さんが副知事を辞めて、酪農学園大学の理事ほかに就任するまでは
 それなりのタイムラグがあったんだけれど
 麻田さんが酪農学園大学の理事に就任したというニュースを聞いた時、
 私やうちの家族は、けっこう能天気に「わーそりゃいい!」って感じに受け取ったんだよね。
 酪農学園大学は、既にとてもいい大学で
 その学校に集まる学生や若者たちにとって
 麻田さんのような人が理事であることは
 べつに、有機農業に興味があるかどうかとかいう狭い意味ではなく
 より良い影響があるだろう、と感じたから。
 そして、それは、彼のそれまでの人生の経験の、最もいい還元と循環の方法だと
 単純に私(や、うちの両親)は思ったんだよね。

 でも、実際には、そう受け取らない人もやはりいたのですね。

 私はそういうことどうも疎いのですが
 有機農業界にも「業界」的なものがあるらしく
 そこでは、麻田さんに「裏切られた」気がした人もたくさんいたらしい。
 「農家になるんじゃなかったのか」って。
 つまり、酪農学園大学の理事というのも
 (たぶん、他の『肩書』も)
 全部、「権威」に見えるものなんだということらしかった。

 そう云えば、「副知事を辞める」という話が出た時も、
 「じゃあ、次は何をするの?」って
 いろんな人に散々訊かれたんだけれど
 私は、「農家になるんじゃないの(そう言ってるじゃん)?」ってその都度答えてて
 何をみんなが訊いてるのか全然わかんなかったんだけれど
 要するに、「副知事を辞めるというからには
 次の、もっといい『権威』に乗り換えるってことだろう」と
 とらえた人が多かったってことだったんだね。

 私が一番おどろいたのは、その、麻田さんに対する戸惑い(と、
 なんか他にも、実際に業界内政治的なことがあったらしかったけれど
 ナンだったか完璧に忘れた)を私に伝えてくれた人が
 私から見ると、とても世界も視野も広く
 有機農家としての実践も経験も、農業技術としての意味ではなく
 地域社会を運営し担っていくという意味で信頼できるタフさを兼ね備えて深めてる人だったので
 彼らが私に伺いを立てるくらいなのだから
 実際、相当のショック(もしくは疑い?)がそこには存在してるってことなんだなあ。
 と感じたのです。

 でも、もちろん、私は「実際のところ」なんて全然知らなかったんだ。
 麻田さんとは、互いに、当時も今も、
 相手のことを好きで敬意も抱いてるとなんとなく確信してるんだけれど
 実際には一対一で、何かについて深く論じあったりしたことなんか無いし。

 だからその時は、「私は、麻田さん本人と話した訳じゃないけど」とことわってから
 私が考える処について、私の意見だけを話しました。
 業界にいると、その業界が、世界全体の、90%、とまでは云わないけれど
 それでもけっこう、70%くらいにはいつの間にか思えてしまったりするものだけれど
 実際には全世界の0.2%ぐらいだったりするんだけれど
 それでも勿論、そこが大事だという切実さには変わりはないんだけれど、
 つい、その比率でものをとらえてしまうものだって。

 だから、業界内の権威?なんて、比率で考えると
 全世界の0.2%にしか通用しない権威でしかなくて
 権威としての効用なんて大したことはないけれど
 自分がやりたいこと・こうしたらいいのではないか、ということを実現していったり
 自分がしたくないことをしないでいたりするのに
 一番有効な位置を選ぶ、ということは
 責任ということを考えるとすごく重要なんだよね。
 出来ることも大きい位置というのは
 その力を利用しようとする動きに対する
 配慮にもエネルギーを削がれるし、
 相対的に、「出来ないこと」も生まれるし、
 物事を進める上での、時間のかかり方も、その位置で全然変わってくる。
 その計算の上で、麻田さんは選択したのではないか。

 今もって、そのことについて、麻田さんと話したことはないし
 本当のところは私には全然わかんないんだけれど。

 でも、べつに麻田さんということではなく、
 私は、その仕事をしてる人や役割を担ってる人は
 どこかで、その最も崇高な「理想」であるカタチを内に秘めて
 そこに就いた筈。
 と、思ってるところがあるんだよねー。
 個人だけではなく、もっと全体に、
 たとえば、「政治家」とか、「公務員」とか、「先生」とか。
 悪く云われる一方でも、そこが「もって」いるのは
 その中に、20%、と私はそのことについて話す時言ってるけれど
 実際には5%とかかもしれないけれど
 まともな人や、部分があって、だからまだ維持されているのだと。
 60%まともさを保持してる人もいれば
 限りなくゼロに近い人もいるだろうけど。

 で、そこの、ほんの少しの「理想」であり続ける部分にむかって
 常に語り続ける、その人の「その部分」に向き合い続ける。
 ことで、互いにそれを「育てあう」ことが
 とても重要な気がしてるのです。
 もちろん、現実に何かを為そうとか、行動する時は
 慎重にすべての言動をサンプルに、見極め続けていくことになる訳だけれど。

 なんか遠回りになったけれど
 松本復興相辞任の際に、内田樹が
 「暴言と知性について」http://news.livedoor.com/article/detail/5687407/?p=1
 で書いていた、集団全体の知的力量を上げる為の努力、として
 たぶん、私が自分に出来ることとして
 実践し続けてることなんだろうと自分では感じたのだけれど
 でも、ちょっとそのことでは最近弱気なのでね。

 自分のやり方を続けるしか出来ることはないのだけれど。


 ◇今年もうちわありがとう~(前回書くのを忘れたのでした)



   君がみんなに笑って「じゃあね」と言った時
   僕は何も気づいてなかった
   本当の「さよなら」だとは知らなかった

   でもいずれ 誰かが気づくだろう
   君は役割を果たしたに過ぎないと
   いずれ誰かが知るだろう
   僕がどんなに君の傍に行こうと必死だったか

   君がどんなに幼いかわからなかった

          ・・・・ボブ・ディラン 『スーナー・オア・レーター』

http://blog.livedoor.jp/lora2003/?blog_id=2080014

 

犬の馬脚

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2011年 7月21日(木)01時40分55秒
返信・引用 編集済
  And ♪クリックして、見よっ!I know just how Mr.♪はぁぐれたぁ~・フロム・カナダァ~!共犯夜中作業員サカタカナダ feel
>何も考えずお前の犬となり

■それは、(お互いに)「自分で維持できないものにすがりつく」行為に似てはいないか?
ならば、それは「アブストの次のバンド」の次のバンド、か?

>自分で維持できないものにすがりつくのはもう嫌だ

■つまり、バンドとは前近代的な手段の遺物、か。
もちろん、「前近代的」=ダメ、とは必ずしも言えないのだ。そして、そこからの思索がたぶん、すげー魅力的なのだ。

>手段は軽くステップは少ないほうが俺はいい。

■サカタの「ツイッター論」は、明らかに私の「編集という手続きの、よりクールな省略」の換言であると思う。
それを踏まえて、「アマチュア革命」論の馬脚ではなく、蛇足をずる&ずる引きずってみよう。
■北海道新聞2011年7月3日(日)の書評ページで、岡崎武志は、豊崎由美パラパラ・・・『ニッポンの書評』の書評で、

パソコンを開いて、書名を入力して検索すれば、たちまち読書ブログやamazonカスタムレビューなど、一般人が書いた書評が見つかる。
文字を書ければ書評が書ける。いちおう。
この「書評カラオケ化」現象を前に、書評って何なのか?

と、書き始めている。
書評カラオケ化!
まさにバンドはカラオケ化、している。(あー・やだ&やだ。しかも、そんなやつらが上手だったりする・・・。うへぇ~。)
ニッポンのSNS大手のmixiは、プロフィールの趣味は、こう分けられている。

映画鑑賞、スポーツ、スポーツ観戦、音楽鑑賞、カラオケ・バンド、料理、グルメ、お酒、ショッピング、ファッション、
アウトドア、ドライブ、旅行、アート、習いごと、語学、読書、マンガ、テレビ、ゲーム、インターネット、ギャンブル、ペット、美容・ダイエット

嗚呼!なんてこった。「スポーツ」と「スポーツ観戦」、「読書」と「マンガ」が分けられているのに、
「カラオケ・バンド」は一緒なのだ!
■アマチュア革命は、一種のオフィス・オートメーションだろう。
誰でも複写機を使えば瞬時にコピーをとれる、からと言って、それが写経にはならない。
私はもちろんサカタのブログ&ツイッターのファンだが、ブログ&ツイッターのファンではない。←あたりまえ~。
職人やエンジニアのすばらしさも私は知っているつもりだ。
ただ、私は先に紹介した豊崎由美の本に書かれているように、「書評にも”その人にしか書けない”」ものがある、ってものを愛しているのだ。
だから私が読みたいのは、”その人”だ。
私が愛する”その人”が、よりお手軽に「手段は軽くステップは少ない」ままに、「表現」をしてくれるのなら、何の不満があろう。
そんな”その人”を(有名、無名にかかわらず)何人知っているかが、我らの人生の勝利の数値化だ。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/

 

俺が創刊準備号を消したことがこんなおおごとになるとは

 投稿者:共犯夜中の作業員サカタ@カナダ  投稿日:2011年 7月19日(火)10時49分57秒
返信・引用
  > つまり、サカタは最終的には削除したのだが、私とサカタだけの閉じられた「双方向性」においては、ふたりの「会話」を緻密に記録していたのだ。
> たぶん、これは30年前(!)、私の書いた詩「戒厳令の街」にサカタが曲をつけようとギターを弾いていた「準備段階で、作成会議中」の、あの調布市「第3福葉荘」を再現してみたかったからなのではないだろうか。

いやまったく何も考えず創刊準備号を消してすいませんでした。今後は
何も考えずお前の犬となり、社主の指示なしに何かを消したりしません。

◆ツイッターについて

私は日々思うことをツイッターにリアルタイムで書いて、1週間くらい
寝かせてからそれを日記としてまとめ直してブログにアップロードして
ます。インターネット以前からなのでもう20年近く私はネットになに
かを書いてるんだけど、ネットに日記みたいな散文的なものを書くとい
うことは、散文的な言葉しか持たない私の表現なんだと思う。

アブストの次のバンドを解散した時に、結局俺は自分で歌を作り歌えな
いからバンドを維持できない、自分で維持できないものにすがりつくの
はもう嫌だ
と思い、バンド以外で表現できる方法を模索したわけですよ。
んで文筆業になるような力もなくて悶々と(まあその他の生活部分は楽
しくやってたけど)してた頃にコンピュータとネットというものが出て
きて、これはありがたいと飛びついたわけです。これがあれば誰も「表
現のプロ」にならずとも表現をすることができる。アマチュア革命だと
思ったよ。今もそう思っている。

なにごとかを表現しそれが人に届くことが俺には必要なわけで、それが
達成できるならば手段は軽くステップは少ないほうが俺はいい。重く多
数のステップが必要なのが書物や音楽の制作と出版であり、その正反対
がツイッターなわけです。
 

乱反射の双方向性と、パフォーマンス試論。

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2011年 7月19日(火)01時17分31秒
返信・引用 編集済
  ♪クリックして、見よっ!Only people just know how to talk to people
Only people know just how to change the world
Only people realize the power of people
A million heads are better than Ms.ローラにコーラを!ミカキチああっろーら,
So come on, get it on !
>訊くなら個人的に問い合わせればいいか。ということで挫かれてしまう何か、
>みたいなものの掘り起しこそが「双方向性」という言葉を探し求めていた際に
>そこに含まれていた役割にあった重要な意義なんではないか~。

■つまり、「あちこちで言われてる」双方向性の限界は、
A←→B
ってことだったんだけど、
ミカキチが言いたいことは、一斉メールのよーな乱反射こそが、双方向性である(べき)、とゆーことでしょ?
■朝日新聞やCNNのよーな巨大メディアに比べれば、ほとんど誰も訪れない人外魔境&限界集落(がくっ。)な『共犯新聞』だけれど、
ツールがホーム・ページである、ってことだけで、旧メディアには成し得ない乱反射の双方向性を持っているのだから、ゲストブックはその生命線だよ、ってことか。
■しかし、メディアってーのは新 or 旧にかかわらずに、リリースされた瞬間、世界に向けて無防備になるのだから、そのリスクこそが可能性の代償なわけで。
私は7月18日(海の日)にサッポロ・ファクトリーで、映画やっぱ、映画館のあのシートで観たい♪『コクリコ坂から』を観たんだけど、
準主役の男子高校生は、1963年の横浜郊外の高校で新聞部の部長をしていて、ガリバン印刷で(たぶん)B5サイズの新聞を発行しているんだけど、
それは、たぶん教師の検閲のない、牧歌的なアジ・ビラのよーなもの。
私も1979年の北海道で高校の新聞会の会長をしていたんだけど、ガリバンを使ったほぼ最後の世代だろーな。
で、トーマス・ペインのアジビラ(?)『コモンセンス』のように、すぐれた言葉が、すぐれたメディアに載れば、それだけで「運動」となりえるんだよね。
映画の物語は、その少年の親友である生徒会の会長が、彼らが住む生徒寮を学校が廃止する動きへの反対運動を始めることで大きく動き出す。
ちなみに、この映画で最もすばらしいのは動画でも脚本でも声優でもなく、
チラシの裏に書かれていた宮崎駿が2010年1月27日に映画の企画のために書いた覚書「港の見える丘」だった。
■私も見習い(?)「政治家」を始めて、数ヶ月。
たとえば政治家と官僚(=行政マン、県庁&市役所&役場の職員)の違いは、
シンガー・ソング・ライターと詩人の違いにも似ていると想う。
つまり、それぞれに扱っている商品は同じなんだけど、政治家とシンガー・ソング・ライターにはさらに「パフォーマンス」が付きまとってくる
官僚が立法や政策企画をし、政治家はさらにそれを路上やテレビや議場でスピーチする。
詩人は公園や書斎で詩を書き、シンガー・ソング・ライターは大勢の前で詩を唄として表現する。
■映画『コクリコ坂から』にこじつければ、新聞部の部長の「理念」に「パフォーマンス」を加味したのが生徒会長。
■なぜ、官僚や詩人だけではなく、政治家やシンガー・ソング・ライターが求められているのだろうか。
我らは乱反射の双方向性のド真ん中で、宇宙の孤独の乱反射を体感しつつ、自らの孤独の重層性をこっそりめくりながら、そのすきまにいつの間にか芽生えたものを見つけることだろう。

>正気から変態まで(笑)を網羅して本流へ

■「準備段階で、作成会議中」を削除したのは、私ではなくてサカタだから、
ケチでヲタクな私であればたぶん削除しなかっただろーけれど、
まがりなりにも国際的に活躍されているITエンジニア(?)のサカタは無駄な部分は削除してスタイリッシュに「本流」を再開したかったんだろーな。
とも想いつつ、実はミカキチが盗み見していた、私とサカタの裏ゲストブックでの「会話」は、
実は私とサカタとのEメールでのやりとりであったものを、サカタが同時進行で裏ゲストブックにもUPしていたものなのだ!
つまり、サカタは最終的には削除したのだが、私とサカタだけの閉じられた「双方向性」においては、ふたりの「会話」を緻密に記録していたのだ。
たぶん、これは30年前(!)、私の書いた詩「戒厳令の街」にサカタが曲をつけようとギターを弾いていた「準備段階で、作成会議中」の、あの調布市「第3福葉荘」を再現してみたかったからなのではないだろうか。

>ホームページ本体が社主の作品でゲストブックが読者の作品、と整理されると
>ちょっとこぼれたものが多すぎると感じてしまう(笑)

■同時に、ホームページ本体が読者の作品でゲストブックが社主の作品、とも言えるわけで、
ならば、ほんとーの作者は誰か?と問われて、「時代だよ。」と嘯く時代錯誤かな(笑)。

>ツイッターは「おしゃべりが発散になる」人にとって
>すごく有効なのかなって感じたことがあるの。
>・・・・・・(中略)・・・・・・
>ツイッターと「作品」の違いは
>文章の長さとか、スピードとかよりも
>担う言語の違いというか・・・

■それらも、そうだろう。
しかし、私の説の中心は、編集という手続きの、よりクールな省略としての<ホーム・ページ→ブログ→mixi→ツイッター>だ。
たとえば先日、『共犯新聞』1面トップにも紹介した作家・矢作俊彦の反原発「鼻をつまんで菅を支持する。」ツイッターを「まとめた」、Togetter(トゥゲッター)とゆー展開。
確かにここでの矢作も「おしゃべりが発散にな」っているが、ここでの「言語」は彼の小説やエッセイと同じものだ。
つまり、作家が表現の場としての出版社を選択し入稿する、とゆー手続きを省略した。同時にそこで得られるはずの経済行為を犠牲にしてでも「作品」化する衝動があった。

>見聞きしたことを抱え込まないですぐ共有し
>いちいち重くしないでひたすら受け答えし流すことを求められるようなのが
>すごく負担で、それから逃げ回ることが人生だったりしてるんだけれど

■その手の人がニヒリズムを抱えた公務員になっている場合が多い(=理由;学校の成績が良いから。)けれど、
そのままで、「パフォーマンス」が付きまとってくる職業を選択できると草花も喜ぶだろうな。

>そのおしゃれの仕方が彼の才能まんまだなって。

■これは上記に書いた「パフォーマンス」が付きまとってくる職業を自覚して選択した者の因果だね♪
ある時代ならば小西康陽は、優秀な裏方であっただろう。しかし、彼は「表」を選択してしまった・のだから。

>『法の外で生きるには 誠実でなければならない』

■そうか。「上品」とは、「誠実」ということか。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/

 

自身のための優しい回想

 投稿者:ミカキチ@ろーら  投稿日:2011年 7月17日(日)03時00分11秒
返信・引用
  サカタさん&久保兄:

◇返信フォーム?を使ってみた。

>うわ、俺は引越し告知に「2001年6月末」と書いてしまったのか。

→そして、「20011年」と、ロケット姉 扇柳トールさんのブログに書き込んでたのは久保兄なのだ。
 そこの記事をリンクした写真かな?がある共犯記事を(偶然)見つけたので
 この書き込みをする時はここを参考文献として載せよう~、と、思っていたのに
 メモしておかなかったのでどこだったか分からなくなってしまったのだった。
 おそらく、作成した本人の久保兄ももはやどこのことやらわかんないであろう。

> ■サカタ@カナダがすでに公式回答(?)しているよーに、『共犯新聞』のゲストブックは完全保存が原則です。
> なぜなら、双方向性こそが「共犯」とゆー理念を担保する最強の現場だから。
> すでに『共犯新聞』1面下段の、ゲストブックへの入り口の横に置かれたゲートの中は整備済みです♪
> ほら、ここんとこ。

→えへ。
 実は、ここ、ずっと、何度見ても、どこに最新のがあるのかわかんなかった私だったのだったー。
 もちろん、坂田さんが下記でリンク先として載せてくれたのはすぐ見れたけど。

 カキコミ質問する前も、何度か見て確かめて?やっぱりわかんなくて
 最初、久保兄にメールで問い合わせしようかと思ったけど
 なんだか、これこそゲストブックで訊いたらいいような気がしたんだよね~。
 「双方向性」って言葉が出てきたけど、あちこちで言われてる言葉でもあるけれど、
 送り手・受け手が一方通行ではない、という意味(のみ)でつかわれているようで
 それでもう意味が十分通じてるようになんとなく思わさって(←北海道弁ですね)しまってて、
 でも、
 例えば(という言葉は適当ではないかも知れないがー)
 自分には疑問だけれどでも他の人たちにとっては自明のことなんだろうから
 表だって今更訊かないでおこうとか
 訊くなら個人的に問い合わせればいいか。ということで挫かれてしまう何か、
 みたいなものの掘り起しこそが「双方向性」という言葉を探し求めていた際に
 そこに含まれていた役割にあった重要な意義なんではないか~。
 てなこともふと想ったので。

 それにしても実は、見方をやっと判ったようで
 ここ(共犯新聞い一面にある過去ゲストブック入口ゲート)から3代目移行直前のやりとりを観ることが出来たのはなんとつい先刻。。。
 自分が普通のことが普通に出来ない人間だとは十分知ってたつもりだけれど
 どうしてこうなんだろうか。
 お騒がせしてスミマセン(ぺこり)。

> >なんだか、普通にゲストブック的なやりとりだったから
> ↑
> ■確かに『共犯新聞』のゲストブックは、「普通にゲストブック的なやりとり」から遠いよね。

→それが、私が書いた「普通にゲストブック的なやりとりだったから」は、
 「『普通の』ゲストブック的なやりとり」という意味ではなくて
 「普通に『共犯ゲストブック』的なやりとりだったから」の意味だったの。

 だからこそ、ああ、このまま、勿論、また準備段階で、作成会議中なのは見てて判ったし
 気づいて覗いてる人は私も含めてかなり少数だろうけれど
 それを目撃した人と、
 そして、正式公開後?に、公的に完成スタートから参加する読者が
 この準備中の知らない時期を含めて目にする、っていうのになってるのかな。
 って思ったんだ~。
 それって、
 なんかこう、正気から変態まで(笑)を網羅して本流へ、という開始表現にもなってるようで
 なるほど。とかって勝手な解釈をしてみていたの~。

> それは長文家が多いこともあるけれど、たぶん本紙=1面記事に比例しているんだろーな。
> 社主の「作品」が『共犯新聞』なら、読者の「作品」が『共犯新聞』ゲストブックである、とゆーよーに。

→『共犯ゲストブック』は、読者の「作品」でもあるだろうけれど
 同時にそこから展開される社主の「打ち返し」「膨らませ方」の芸を見る場でもあるし、
 だから『共犯新聞』と『共犯ゲストブック』は、両方が
 読者と社主のコラボレーションをどう社主が料理するかの遊び方と技・手法が別仕立ての
 それぞれ違った意味での社主の「作品」でもある、とも思うんだよね
 (もちろん読者によって捉え方はそれぞれだろうけれど)
 なのでホームページ本体が社主の作品でゲストブックが読者の作品、と整理されると
 ちょっとこぼれたものが多すぎると感じてしまう(笑)

> ■しかし、その「公平」主義が短文スピード狂には排他的に見えてしまうのも事実だろ~なぁ。

> それが、『共犯新聞』ゲストブックでは「作品」に昇華してしまったのだから、これは設計ジャックとゆーか、想定ドロボーとゆーか。
> で、1行ライターのストレスを回収したのが、ツイッターだったんだよね。

→うん。
 私、ツィッターやってないんだけれど、
 3・11の震災後、ツィッターを覗くようになったんだけれど、
 それだけの経験?でうっすらと
 ツィッターは「おしゃべりが発散になる」人にとって
 すごく有効なのかなって感じたことがあるの。

 もちろん、ツィッターの果たす役割というか、
 以前からネットの可能性として云われていたことで
 ツィッターの普及でそれが証明可能&実践開始?になったことっていろいろあって
 (ちょっと前の朝日新聞論壇時評の「あすを探る」で濱野智史が書いてた自浄作用とか
  私の友人で、壮瞥で自給生活をしてる人が以前から
  ネット上では「コピーレフト」つまり、引用先を明確にさえしておけば
  情報や画像などの再配布など著作権で縛らず自由にすることを可能にすることが
  知恵を共有して全体の知力をあげ豊かにする目的を果たせる、と主張していたのとか)
 そっちの方がより重要?な性質だろうけれど
 それとはまた別の話で~。

 ここで書かれた「ストレスを回収」で思ったのが。

 なんていうか、ここで言及されてる、ツイッターと「作品」の違いは
 文章の長さとか、スピードとかよりも
 担う言語の違いというか・・・
 何によってどう解放される(する)か?の違いで
 選ぶ言語(手法)が違ってくる、ということというか
 (あたりまえか~)

 ええと、私自身は、日常会話の中の、おしゃべり的な部分、
 短く、その場で、すぐやりとりすること、
 見聞きしたことを抱え込まないですぐ共有し
 いちいち重くしないでひたすら受け答えし流すことを求められるようなのが
 すごく負担で、それから逃げ回ることが人生だったりしてるんだけれど
 だから、それでストレス、とまではいかないけれど
 その日常で溜まってくる澱みたいなものをなんとかするために
 「作品」てか、その澱全部に、間違った名前を付けないで
 互いに支配することもされることもないように
 生かし合う方法を探さなくてはならなくなる。
 起こったことは、消えないから。他の誰もそれに気づいてなくても。
 っていうのが、長文になりがちな文章を書かないといられない理由なんだけれど、

 だから、何かしらエネルギーに出逢ったとき(ぶつかったとき)
 それをどう経験(または処理・対応)していくか、の違いってことなのかな。
 それから得たもの(感動)を
 その興奮のまま発散する方法と
 抱え込んだ分を、翻訳することで潰されずにいる方法とが
 あるということなのかも知れないね、
 誰もが両方を持っていて、
 割合が違うということでもあるのだろうし
 個人差は、総量の差と才能の質の差の掛け合わせだから
 それにバランスが含まれてくるわけで
 実際には人をそれで整理することは不可能かも知れないけれどね。

 あ、でもこれは
 ツィッターは、おしゃべり的発散である。ということを言ったのではないよ。
 共犯新聞的「作品」のある種の「重量」あるエネルギーの連続を目の当たりにした際
 ストレスを感じる、というのは
 感動した時、それを「おしゃべり的に」反応してしまいたい衝動にとっては
 受け皿がどこにあるのか判らなくて不親切に感じるかも。
 ということを久保兄は書いてるんだな~、って思ったので
 確かにそういう機能はツィッターに含まれてるなと思ったというだけ。
 長々と書くほどのことじゃないね(笑)
 でも、うまく書けずじまいだったけれど、
 ここで書きたかったことって、以前久保兄がブログとホームページとmixiだっけ?の進化について述べていた際にももっとちゃんと自分で文章にすることで説明してみたかったことと
 ちょっと近い気もしたので
 再挑戦してみたかったのですが。

 > ふたりのやりとりを実況中継・風(?)に盗み見(?)していたみかたんこなら知っていることだけど、

→サカタさんをびっくりさせてしまい失礼しちゃいましたが~、
 私も、最初見つけた時は、「あ、もしかしたらこれは、間違ってつながってるだけで、ホントは観ちゃいけないのかも。」って思ったんだけれど
 2回目も3回目も見れたので、
 「つまり、これを見つけられた人には見る視覚、じゃない、資格を与える。ってことかな~」。
 と解釈することにして観に行くことにしていたの(笑)

 そうしたら、観るたびに、というか、打ち合わせ記事自体が、
 どんどんと『通常の共犯ゲストブック』的に膨らんでいくので、
 雑誌の創刊号前の準備号みたいなものとなるか~。とか思ったわけ。

 サカタさん&久保兄が再録してくれた

> > Subject: Re: つながりたいの実践のゲストブックだからこそ。
> > Date: Thu, 16 Jun 2011 12:46Pm

 →を観たら、ここの読者の誰もが私がそう感じたのも無理はない。
 と思ってくれるのではなかろうか。
 いずれにしても、この記事だけでも、やっぱり、あのまま無かったことになってしまっては
 もったいなかったと思うー。

>■さて、ではなぜ共犯3代目ゲストブックの準備期間に久保&サカタが「普通にゲストブック的なやりとりだったか」?
> 我らがやっていたのは、共犯3代目ゲストブックの1.デザイン、2.新機能のお試し、を書き込みながらライブで意見交換していたからなんだよね。
> つまり、主体が器になる前夜、主体が主体の言葉で主体を語ること(=脳味噌を考える脳味噌。)が可能だった夜の話のことなのだ。

→うん。
 でも、それこそが、『共犯ゲストブック』的である、のだ、とも、私は感じたような気もするな、と
 これを読んでちょっと思いました。
 既に起こっていることを語る(言葉になってしまっている言葉で置き換える)ことはそれを語ると同時に
 まだ起こってないことを感じるもの同士がそれを予兆のまま穢さないでおきしかも無視しないでいるための
 つまり主体になる・あれることを準備するための
 暫定的な作業であると同時に本番でもあって
 それらが全部ライブ~。みたいな。

> >BGMは小西康陽の新譜
> ↑
> ■みかたんこの高校のセンパイだー。

→これ、出身校を云うとよく言われる(笑)
 でも、自分では指摘されるまでほぼ毎度完ぺきに忘れてる。。。

 私、小西康陽のこと、名前しか知らない時期が長くて、
 あまり彼について詳しいことを知らないままでいて(でも興味はあって)
 そして初めて彼をテレビで見たとき、
 彼、スカート履いてたんだよね。スコティッシュキルトだったと思うけど。
 で、それがもう、(彼自身の)すべてを表現してる!って感じで、
 その時の彼のはにかんだ感じとかも含めて、
 なんかもうこの人のすごいこと丸出し~、って感じ、
 おしゃれって、してもしなくても、そのしてるしてなさ加減(と、してるしてなさ加減がかっこいいか説得力あるかないか)がその人の表現になってたりするものだけれど
 そのおしゃれの仕方が彼の才能まんまだなって。
 その同じ感想を、ラジオを聴いててまた思ったり、
 新譜のピチカート・ワンを聴いて再確認したりしています。

> その目的は、NHK金曜日11Pmの渋谷陽一と、日曜日2Pmの山下達郎を書斎で聴きたかったから、なんだけど。

→昨年の6月から私が髪を切ってもらってる小樽のヘアサロンの店長は
 達郎のファンなんだそうだけれど
 達郎の話が出来る人というのが周囲にいなくて
 地元バーの店主ひとりがその相手なんだそうです。
 なので最近は、私が行くと、必ず何かしら達郎の曲をかけてくれて、達郎談義をします(けっこう楽しい)。

> その中でも一番、衝撃的だったのは、3・11以降の小西康陽のラジオ番組の展開。
> その決定打は、3・11に捧げる曲としてザ・タイガースの超名盤『ヒューマン・ルネッサンス』からジュリーの「光ある世界」と、トッポの「廃墟の鳩」を選んだこと。

→この回、私も録音して何度も聴いた。

> もちろん彼の番組の魅力は選曲すら手で触ることができる、ささやかな世界の優しいパーツに感じてしまうほど、番組全体を1曲の音楽に立ち上げるすばらしい自然体の才能。

→この文章と、
 共犯更新赤文字1行コメントの
 「NHK-FM、毎週水曜日11Pmの 『小西康陽 これからの人生。』、うまいなぁー。ギミックしまくりなのに自然体なのが、すげえー。」
 って、『これからの人生』という番組の素晴らしさを完璧に言い表していると思います。

 (いま、コピペしてて気づいたけれど
  『これからの人生』は毎月最終水曜日の月イチ番組だから
  毎週 っていうのは要訂正ではないだろうか~)


>7月2日の朝はピーター・バラカンはアコーディオン特集

→ロケット姉妹のレパートリーにも作品が取り上げられてて
 昨年はボブ・ディラン、ジェームズ・テイラーに続く春の来日予定だったのが
 アイスランドの噴火で9月に来日が延びたマリア・カラニエミや
 私がアイリッシュんいはまるきっかけのアーティストであり
 共犯お買いもの帳にも登場するビル・ジョーンズが登場しましたね~。

>吉田秀和が現役DJぶりを発揮してくれる。

→ハイドン中でした。

> 吉田秀和は今月の朝日新聞の連載コラムでも、リアルタイムの問題に対して最高に品のある戦いをしていた。まさに、日本のボブ・ディランである(?)。

→『ブロンド・オン・ブロンド』は、私が最初に聴いたボブ・ディランのアルバム(2番目はフリーホィーリン)。
 ちょっと理由があって、ボブ・ディランを聴きなおしてたんだけれど
 「スーナー・オア・レーター」の次に
 「I WANT YOU 」が来る、っていうのがなんてすごいんだろう、と
(しかもその前にジョアンナのヴィジョンがある)
 今更なことにあまりに感動して
 自分のブログで「スーナー・オア・レーター」の歌詞を紹介した後に
 ラジオで I WANT YOU をかける、という誰も気づかない自己満足なことをしていました。

 でも、ブロンド・オン・ブロンドを聴きなおしていたのは
 4月に観た映画のパンフレットに載ってたこのフレーズを読んだからでした。

 『法の外で生きるには 誠実でなければならない』
        ・・・Absolutely Sweet Marie

◇岡村志野が構成・選曲に参加してる番組教えてくれてありがとう♪

http://blog.livedoor.jp/lora2003/?blog_id=2080014

 

カメラ!カメラ!ガメラ?

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2011年 7月 2日(土)00時53分58秒
返信・引用
  ♪撮影許可っ!Out the blue Ms.♪ムーン・ニャァ~!月見猫 came to me
>町議会の公正な運営のために…!

■すでに沼田町の近くの町でも、議会の生中継を役場の中でテレビ放送してるんだよ。
役場にふらりと住民票とかをとりに来た町民が、ふと目にしたテレビで、議会が生放送されている、ってやつ。
沼田町も今年からNTTフレッツ光が整備されたから、あとは議会の本気さえあればネット中継&動画保存&アーカイブ24時間ネット閲覧は、すぐにできるよね。
ネット中継は、役場内でのテレビ生放送よりも経費がかからないしね。
で、私はその(ココロの)準備&(ハードルの)接近のために、まずは、と、「議会の傍聴席からの写真撮影の許可。」を議長に要請したけれど、断られました。
その理由は、
1.議会での撮影は許可されていない。 ←うぇ~ん!そんなコトはありません。定められているのは、議長の許可が必要なだけです。
2.他の傍聴者が、撮影者を不審に思う。 ←うぇ~ん!議会事務局長から「撮影許可された者に腕章などをしていただきましょう。」と案をいただいていましたし、それなら不審にも思われないでしょう。なによりも、傍聴席の入り口にそれを明示すればいいだけです。

だったんだけど、
私は、新聞記者が使うフラッシュと撮影音はむしろ議事の集中を妨げるけれど、
それらを行わない傍聴者の撮影は許可されるべきだと思う。
同じ理由で、録音、録画も許可されるべきだろう。
なぜならば、議会は町民の財産なのだから。
町民ではない新聞記者が許されて、町民が許されない理由はどこにあるのだろうか。
議会がネット中継されたとき、撮影の禁止の意味はどこへ彷徨うのだろうか。
もちろん、撮影に反対の意見を持つ議員にも理由はあるだろうし、彼らも彼らの理由から良かれと思ってそうしているはず。
だから、議論が起こるんだよね。
そこで議論を起こさずに、思考停止になってしまうのでは何よりも議会の精神を否定することになるよね。
いずれにせよ、目的が達成する前にケンカになっても、現状維持が好きな方の思う壺だから、私はタイミングを見定めながら慎重に説得してゆきます(笑)。

>つか、傍聴に行かれないあたしのために。

■海外旅行でルーブル美術館やメトロポリタン美術館などの超有名美術館に行った人なら、
日本では許可されていない絵画の写真撮影が自由なことに驚くよね。
ゴッホの自画像の前や、ナポレオンの戴冠式の前で記念撮影をする人は多いよね。
そして、その写真は現地の記憶を生々しく保存してくれるし、行ったことのない人に見せると宣伝になる。
それらが議会には不必要であるという理由は、まったくない。

0周年どうなる?どうする?

■えーと。サカタ+クボのユニットで『共犯新聞』代目ゲストブックを記念に作りました~♪

>申し訳ありません。

■あー。ここまでは、生活クラブの許可は下りるんだ(笑)。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/

 

議会の動画

 投稿者:月見猫メール  投稿日:2011年 7月 1日(金)22時35分11秒
返信・引用 編集済
  >沼田町議会がネット中継&動画保存されていないのが残念

↑ぜひ公的にビデオ録画して ほしい もんですな。
警察の取り調べだって「可視化」の時代なんだから(笑)。
町議会の公正な運営のために…!
つか、傍聴に行かれないあたしのために。

アブノーマル・ストリッパーも30周年
ですか!
メンバー全員健在でおめでとうございます。
30周年どうなる?どうする?

>第90回が届いてないよ~!

↑あらら?
申し訳ありません。
あたしとしたことが~。

http://

 

サーバーいそうろう、3代目は、そっと出す♪

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2011年 6月30日(木)23時17分1秒
返信・引用 編集済
  On the blood of Mr.♪はぁぐれたぁ~・フロム・カナダァ~!共犯夜中作業員サカタカナダ you killed
Stop the killing now
Do it do it do it now
♪クリックして、見よっ!Bring on the Lucie
> Subject: Re: つながりたいの実践のゲストブックだからこそ。
> Date: Thu, 16 Jun 2011 12:46Pm
>
>   ■□ サカタともです
>
>  FC2 掲示板は自由度が低くてお話にならないので、
> できるだけ otd 同様フリーフォームなところを探し、ここが見つかりました。
>
>  デザインの自由度は otd より低くて、上部にある入力フォーム等の位置や
> サイズを変えられないんだけど、それ以外は otd 同様に使いやすい。
> 書き込んだものを後から編集できるのもナイス。
> もう10年以上前からある老舗なので、サービス中断になりそうにないのもありがたい。
> 見て、使ってみて。

■OK。サカタ、いつもありがとう。
何度も書いているように、富豪のお遊びの『共犯新聞』が無料サーバーにこだわる理由は、
我々がずべて死に絶えても、使用料金を払わずにも保存されるのが、無料サーバーだから、なんだよね。
■ついに共犯ゲストブックも3回目のお引越しになっちまったけれど、
せっかくサカタにめんどくせー手間をかけてもらったんだから、今までのゲストブックに無かった新しい機能をみんなに活用&楽しんでもらいたいね♪
その理念を、高橋源一郎馬の生活。『私生活』から引用すれば、

そこにあるその言葉はなんだろう。
ネットの向こうからやって来る新しい時代のシンデレラたち。
一つの小さな電子の箱が広大な夜に向かって彼女たちを解放する。
いままで、その言葉たちは埋もれ、隠されていた
彼女たちの内に潜む欲望は遠い伝聞として語られるだけだった。
そして、その欲望をかなえる手段をついに彼女たちは獲得したのである。

なんだけど、これってホントーは無料サイト『不倫パートナーをさがそう』へのコメントなんでした~。
まぁ、共犯も不倫もカルチャーは近いか?
・・・?がくっ。

--------------------------------------------------------------------------------

♪クリックして、見よっ!Nutopian International Anthem for Ms.ローラにコーラを!ミカキチああっろーら
>これまでのを今まで通りネット上で読めるように保存済なんですよね?

■サカタ@カナダがすでに公式回答(?)しているよーに、『共犯新聞』のゲストブックは完全保存が原則です。
なぜなら、双方向性こそが「共犯」とゆー理念を担保する最強の現場だから。
すでに『共犯新聞』1面下段の、ゲストブックへの入り口の横に置かれたゲートの中は整備済みです♪
ほら、ここんとこ。

★This is our past guest book since 2001.
Do you want know our secret?

>と、共犯ゲストブックが3代目に入るのに遭遇したことで

■でもこれは世紀の節目のよーに数量計算されて到達した「新世紀」ではなくて、
無料サーバーを日夜、暗躍しながら探して&彷徨ってた辿り着いた今宵の仮宿のよーな、いわば「新大陸」、か?
■ところでドヴォルザークは交響曲第9番を、なぜ「新大陸」とせずに「新世界」としたんだろう?明らかにアメリカを指してのタイトルなのにね。
また1893年に作曲したのだから、「新世紀」と名付けることも考えられたはずなのに。
「大陸」と具体的にせずに、「世界」と抽象的(≒文学的?)にしたところに、ボヘミア(=チェコ)からニューヨークに来たおのぼりさん(?)特有の青春的興奮があったんだろーなー。

>なんだか、普通にゲストブック的なやりとりだったから

■確かに『共犯新聞』のゲストブックは、「普通にゲストブック的なやりとり」から遠いよね。
それは長文家が多いこともあるけれど、たぶん本紙=1面記事に比例しているんだろーな。
社主の「作品」が『共犯新聞』なら、読者の「作品」が『共犯新聞』ゲストブックである、とゆーよーに。
■しかし、その「公平」主義が短文スピード狂には排他的に見えてしまうのも事実だろ~なぁ。
そもそもホーム・ページのゲストブックは、訪問客の「挨拶帳」を想定して設計されたのだし、
別名の「掲示板」にいたってはなお分かりやすく名が体を示していて、かつて電車の駅に置かれた黒板の「掲示板」の役割が想定されていたのだ。
つまりチョークで書かれた、「○○ちゃん、午後4時まで待った。喫茶店レモンにいる。」など&など。
転じてゲストブック=掲示板は、「7月5日に、新宿LOFTでギグ。¥1200」とか、「今回の1面記事、ありゃ何だ!?」とかだけの1行のカキコミで良かったのだ。
それが、『共犯新聞』ゲストブックでは「作品」に昇華してしまったのだから、これは設計ジャックとゆーか、想定ドロボーとゆーか。
で、1行ライターのストレスを回収したのが、ツイッターだったんだよね。
1995年ごろのホーム・ページ掲示板の黎明期を知る者には、設計&想定直後のそれは、明らかに現在のツィッターへのニーズを対象にしていたことを実感で記憶しているはず。
■さて、ではなぜ共犯3代目ゲストブックの準備期間に久保&サカタが「普通にゲストブック的なやりとりだったか」?
ふたりのやりとりを実況中継・風(?)に盗み見(?)していたみかたんこなら知っていることだけど、
我らがやっていたのは、共犯3代目ゲストブックの1.デザイン、2.新機能のお試し、を書き込みながらライブで意見交換していたからなんだよね。
つまり、主体が器になる前夜、主体が主体の言葉で主体を語ること(=脳味噌を考える脳味噌。)が可能だった夜の話のことなのだ。

>BGMは小西康陽の新譜

■みかたんこの高校のセンパイだー。
私がFMアンテナを入手したのは出馬を決意したのと、ほぼ同時期。
その目的は、NHK金曜日11Pmの渋谷陽一と、日曜日2Pmの山下達郎を書斎で聴きたかったから、なんだけど。
副産物で、渋谷陽一の同じ帯の違う曜日に北山修、佐野元春、小西康陽がいて、びっくり。
北山”サム”修の相変わらずの新鮮味の無い心理学初級講座や、佐野元春の変わらない「特有の青春的興奮」。
それらの空白を埋めるかのように、それぞれに趣味のいい選曲。ラジオ的愉楽である。
その中でも一番、衝撃的だったのは、3・11以降の小西康陽のラジオ番組の展開。
その決定打は、3・11に捧げる曲としてザ・タイガースの超名盤『ヒューマン・ルネッサンス』からジュリーの「光ある世界」と、トッポの「廃墟の鳩」を選んだこと。
もちろん彼の番組の魅力は選曲すら手で触ることができる、ささやかな世界の優しいパーツに感じてしまうほど、番組全体を1曲の音楽に立ち上げるすばらしい自然体の才能。
7月2日の朝はピーター・バラカンはアコーディオン特集だし、その夜には、なんと吉田秀和が現役DJぶりを発揮してくれる。
吉田秀和は今月の朝日新聞の連載コラムでも、リアルタイムの問題に対して最高に品のある戦いをしていた。まさに、日本のボブ・ディランである(?)。

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Ms.♪ムーン・ニャァ~!月見猫's intentions are good, I use my ♪ちょっとだけ、見よっ!intuition
It takes me for a ride
But I never understood other people's superstition
It seemed like suicide
>タイトルがなつかしい~。

■このタイトル、すげーテキトーに部屋の中に散らばっていた広告や雑誌を切り抜いてコラージュして真ん中に手書きで、タイトルを書いたんだよね。
当時のスノッブなニュー・ウェーブのセンスからすればドロドロしているけれど、たぶん私の中では当時、観に行っていた唐十郎の状況劇場の新聞がイメージにあったのだと思う。
1983年6月26日なんだね。
6月19日の日本経済新聞に盛田隆二「スーちゃんと「ぴあ」の時代」とゆー魅力的なタイトルのエッセイを書いていて知ったんだけど、
盛田はスーちゃんが死んだ4月21日の翌朝、情報誌『ぴあ』首都圏版が7月21日発売号をもって休刊することが決まったと知る。
盛田は、かつては53万部の『ぴあ』の編集長をやっていて、
1978年の新入社員のときには『ぴあ』主催のキャンディーズのフィルム・コンサートをお忍びで来ていたスーちゃんと二人で調光室で観ていたんだって。
う~む。確かにスーちゃんの死と『ぴあ』の廃刊の同時性には、奇妙な納得感があるなぁ。
私ですら『ぴあ』には何回も取材されたんだから、『ぴあ』の情報収集能力はほとんど強迫観念のよーだったと思うな。
そして、そーやって収集した天文学的な(?)情報を、紙面でエンターテイメントとして整理&編集&デザイン化していたんだから、まぁ、ご立派。
私が『共犯新聞』デジタル版で画廊めぐりに熱中しかけた頃、『ぴあ』のよーに情報を収集して整理するメディアが欲しくて、一時、『共犯新聞』でそれを目指そうと思ったことすらあったんだけど(笑)。
今や『ぴあ』は紙メディアではなくて、チケット事業が主体になっているんだろーな。
まぁ、それも行き着く先ではあったけれど、取材先&情報収集先に自分がなっちゃった、ってことじゃんか。
■で、今、私が欲しいのは朝日新聞でも北海道新聞でも、毎日届く紙の新聞に札幌&旭川の映画館のプログラムだけではなく、その映画の監督&主演&写真&短評ぐらい載せて欲しい。
確かに映画は興業であるから、新聞社としては広告費をかせぐ必要はあるだろーけれど、テレビ欄は無料で載せているだろっ!
■で、『共犯新聞』ですが(笑)、今年はデジタル版の10周年記念イベント『沼田町ロック弐年』ってことで選挙をやってみたけど、
アナログ版からすると、もう28年!
2年後の30周年には何する(笑)?
てか、おいおい、今年であのバンド結成30周年記念じゃんか!気がつかなかった・・・。がくっ。

>たまに見に行くと、2号、3号と通信が自動更新されるのですか?

■いや、創刊号も保存しとかなきゃならんから、続きは違うURLになる・と思います(笑)。
私は4~5年に1回でいい(がくっ。)と思ったけれど、
後援会長は「定例議会は年に4回、6月、9月、12月、3月にあるからそのツド発行すべし。」とおっしゃっています(笑)。
じゃ、そろ&そろ第2号、発行しなきゃぁああ~。
■てか、君の『続・ペンギンの日々』、第91&92回が届いて『共犯新聞』に掲載済みだけど、
その前が第89回で、第90回が届いてないよ~!
ついに生活クラブと交戦したか!?

あなたの議会での質問、実施に向けての具体的な構想が

■ありがと。
君が読んでくれた文書は、定例議会が開催される数日前までに議長に提出する一般質問の「通告書」。
読んでくれたから分かると思うけれど、私の文章は他の議員たちより圧倒的に長い(笑)。
で、沼田町の議会は本番は質問は3回以内までと制限されているんだよね。
どこの議会でもそーだけど、議員は一般質問には力を入れて、たっぷり準備をしてくるから、第一声の最初の質問の発言は長くなるよね。
しかし、私は通告書の文面は誰よりも長いのに、最初の質問は、
「ごはん給食の検討委員会を、7月1日までに、遅くとも1学期中に設置しますか?」
と、だけしか言わなかったのさ。
当日は沼田町議会が始まって以来の傍聴席のイスが足りなくなるほどの、行列の出来る議会だったんだけど、
傍聴席も、まわりのセンパイ議員たちも、壇上の役人さんたちも、
久保のことだからどーせ長々と演説をするだろーと思っていたから、私がたった一言しか言わなかったことに☆ざわめいたね(笑)。
でも私の目的は長い演説を人前で行うカタストロフィを得ることじゃなくて、「ごはん給食」の実現だから、
「ごはん給食」のすばらしさを長々と説くよりも、もしくは、「ごはん給食」の実現を迫るよりも、
もっとも現実的で具体的な勝利の先端として、その「検討委員会」の立ち上げをできるだけ早く行う、とゆー確約が欲しかっただけ、なんだよね♪
で、私のベリー・ショート質問を受けて、町長と教育長は「1学期中に設置します。」、さらには「9月の実現に向けて久保議員が言うところのスピード感で・・・」と、
私が通告書に書いた言葉を使って長い回答をしていただけた。
長い回答には、つい過剰に言ってしまうことが多い(笑)。
そこを見逃さないのが、ライブな議員=久保元宏の腕の見せ所(笑)。
もちろん、私の2回目の質問は、どんな議員よりも長い質問になりました~。
そこからが面白いんだけど、
沼田町議会がネット中継&動画保存されていないのが残念です(笑)。

>朝8時、さなぎに異変を感じたあたしは

さなぎの夜明け前の午前4時に、くちびる盗む早わざは~♪シンドバッド

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/

 

いよっ三代目!

 投稿者:月見猫メール  投稿日:2011年 6月28日(火)11時03分55秒
返信・引用 編集済
  タイトルがなつかしい~。

ホリエモンは獄中でも、雑誌の連載何本も続ける予定だと
「SPA!」のインタビューで読んだけど、ライブドアのゲストブックはなくなっちゃうんだねえ。

久保君、あたしのメールに議員生活が覗ける通信のリンクを
http://kyouhanshinbun.hp2.jp/tsu-shin001.htm
つけてくれたけど、このURLを「お気に入り」に追加して
たまに見に行くと、2号、3号と通信が自動更新されるのですか?
アンド、どのくらいの頻度で更新されるのかな。

読みたいので上記2点合わせて教えてください。

あなたの議会での質問、実施に向けての具体的な構想が
聞き手に伝わってくる内容で、よかったです。

『経済は地域でまわせ』
ごはん給食、実現させてください。

それから、我が家では6/25朝、クロアゲハが羽化しました。
さなぎになってちょうど2週間だったな。
朝8時、さなぎに異変を感じたあたしは
「あ、陣痛始まってる!」と、撮影しやすい明るい場所に
(本人は暗がりが良かったろうけど…笑)
虫かごをそっと移し、そう激変はしないさとタカをくくっていたら
1時間後、すでに殻を脱いでしまっていたのでした。

午後2時ごろまで、ベランダの洗濯物にとまっていましたが
元気に飛び立っていきましたとさ。

http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000026737611&owner_id=6527712

 

Re: タッチ。

 投稿者:共犯夜中の作業員サカタ@カナダ  投稿日:2011年 6月27日(月)02時11分4秒
返信・引用
  うわ、俺は引越し告知に「2001年6月末」と書いてしまったのか。

しかしそんな恥ずかしい間違いも、
この新掲示板ならば修正可能!
というわけで...

---------
ミカキチ@ろーら said:
>  そしてそして(こっちが本題)、2年前の6月末の共犯日記と同じく、
>  掲示板が第3世紀に入っても
>  これまでのを今まで通りネット上で読めるように保存済なんですよね?
>  (と、大丈夫だとは思いつつ、確認しておきたくて)

 大丈夫、2代目掲示板のメッセージは、全部保存&アップロードして
あります。共犯社主には知らせてあるんだけど、ネットにつながらない
状態なのか、告知されてなかったんですね。
http://kyouhanshinbun.hp2.jp/bbsbn/bkindex.html

>  ここの新掲示板を準備中から何度か観ていたのだけれど
>  その時のサカタさんと久保兄のやり取りが、そのまま保存されると私は思って読んでいたの。
>  なんだか、普通にゲストブック的なやりとりだったから、

 あれは作業連絡だったので消してしまいました。まさかご覧に
なっている方がおられたとは。ガサツな作業をしてすいません。作業ロ
グにコピペしてあったクボの1文だけ、創刊準備記念書き込みとしてこ
こに再掲しときます。今後ともご贔屓に、よろしくお願いします。

  =======================
> 脳味噌行きのスロウ・ボート 投稿者:久保AB-ST元宏 投稿日:2011年 6月17日(金)11時31分11秒 返信・引用
>
> On the blood of Mr.共犯夜中の作業員サカタ@カナダ you killed♪
> Stop the killing now♪
> Do it do it do it now♪
> Bring on the Lucie♪
>
> > Subject: Re: つながりたいの実践のゲストブックだからこそ。
> > Date: Thu, 16 Jun 2011 12:46Pm
>
> ■OK。サカタ、いつもありがとう。
>
> 何度も書いているように、富豪のお遊びの『共犯新聞』が無料サーバーにこだわる理由は、
> 我々がずべて死に絶えても、使用料金を払わずにも保存されるのが、無料サーバーだから、なんだよね。
>
> ■ついに共犯ゲストブックも3回目のお引越しになっちまったけれど、
> せっかくサカタにめんどくせー手間をかけてもらったんだから、
> 今までのゲストブックに無かった新しい機能をみんなに活用&楽しんでもらいたいね♪
> その理念を、高橋源一郎『私生活』から引用すれば、
> ↓
> そこにあるその言葉はなんだろう。
> ネットの向こうからやって来る新しい時代のシンデレラたち。
> 一つの小さな電子の箱が広大な夜に向かって彼女たちを解放する。 > いままで、その言葉たちは埋もれ、隠されていた。 > 彼女たちの内に潜む欲望は遠い伝聞として語られるだけだった。 > そして、その欲望をかなえる手段をついに彼女たちは獲得したのである。 > > ↑ > なんだけど、これってホントーは無料サイト『不倫パートナーをさがそう』へのコメントなんでした~。 > > まぁ、共犯も不倫もカルチャーは近いか? > ・・・?がくっ。  
 

タッチ。

 投稿者:ミカキチ@ろーら  投稿日:2011年 6月27日(月)00時12分52秒
返信・引用
  ◇先代よりも優秀だというせっかくの新掲示板の機能を、たぶん全然使いこなせない私が書きこんでいいのだろうか~と思いつつ、
 しかも社主はネットにつながらないとかな様子なのにその隙に、みたいだけれど
 何度も覗いてしまったので  タッチ。

◇で、新掲示板を用意して下さったカナダのサカタさんのアイコン、
 私、観るたびにダイアーストレイツを連想しています。
 理由は単純で、私が高校生だった、最も熱心にMTVを観ていた頃、
 ダイアー・ストレイツの Money For Nothing のミュージックビデオが流れまくりで
 その絵柄をなんとなく思い出すから。

◇第2掲示板が消えるのは、2011年の6月末で2001年とかもしくは20011年6月末じゃないですよね?

 (と書くとなんかどうでもいいことに揚げ足取ってみせる意地悪な人みたいだけれど
  単に本当に、自分はギャグやジョークが通じない、というより
  常識とかが足りなさすぎて対話の見落としが多すぎると
  地球に来て42年にもなるのに新にちょびっと反省しているのです。遅いんだけど。

  残りの人生は、常識を学ぶことにこつこつ費やしてみようかなと思って
  最近は橋本治を読み返しています。)

 そしてそして(こっちが本題)、2年前の6月末の共犯日記と同じく、
 掲示板が第3世紀に入っても
 これまでのを今まで通りネット上で読めるように保存済なんですよね?
 (と、大丈夫だとは思いつつ、確認しておきたくて)

◇橋本治の『失楽園の向こう側』のあとがきには
 「2000年に自分は52歳だと思った子供の話」というタイトルが付いているのだけれど
 私も、沼田にまだ住んでいたころ
 近所のよく遊びに行っていたお姉さんとお兄さんがいる家に
 50年分のカレンダーが載ってるペナント?みないな壁掛けが掛っていて、
 それが、1950年から2000年までの暦だったので
 当時から算数が苦手だった私は
 一年ずつ、「○歳、○歳・・・」と自分の年齢を指で確認しながら辿っていって
 その時初めて、2000年には自分が32歳になると知り、
 その年齢まで自分が生きるという実感が全然ないままの
 それが私の「21世紀の自分に思いを巡らす初体験」だったんだと思うんだけれど。


◇子供時代は「世紀の変わり目」に立ち合えるって、ものすごい特別な経験だと思っていたのです。
 次に個人的に記憶にある「世紀の変わり目」は
 「暮らしの手帖」が第2世紀から第三世紀に入った時。
 「暮らしの手帖」は年6回発行で100号で一世紀だったので
 考えてみたら16~17年?で世紀はめぐるのだけれど
 子供時代にそれははるかかなたの年月だったんだと思う。

 そして、「暮らしの手帖」は母の実家(沼田です勿論~)で祖母がずっと購読していたのを私がひらがなで読めるところから読むようになった雑誌で
 創刊号から母の実家の本棚に並んでいるのを観ていた子供時代の私には
 もう、戦前からの雑誌にしか思えなくて
 その第2世紀の途中、沼田を離れて最新号を読めなくなった為
 それだけは買って欲しいと親に頼み込んで購読し始めたという
 人生で初めて?購読を自らねだって読みだした本が
 1986年(←今、本棚に行って調べた)に第3世紀に突入した時は
 なんだかとても不思議な気持ちがしたこともよく覚えているのです。
 そういうことに立ち合う(大げさ)日はいつか来ると知ってはいたけれど
 でも全然自分が追いついてないような。
 そして、自分が全然きっと、その日が来ても追いついてないままだろうことを
 自分はずっと知っていたのに。という気持ち。

 と、共犯ゲストブックが3代目に入るのに遭遇したことで
 いろいろ思いめぐらせていたんでした。

◇もうひとつ、これも私的にはマジに重要な気持ちでなんだけれど、
 ここの新掲示板を準備中から何度か観ていたのだけれど
 その時のサカタさんと久保兄のやり取りが、そのまま保存されると私は思って読んでいたの。
 なんだか、普通にゲストブック的なやりとりだったから、
 このままこのやりとりが含まれて、「創刊0号以前」が収録されたバージョンで
 新世紀(じゃなくて3代目か)スタートなのかなって。
 そしたらそうじゃないみたいでなんとなく勿体無いなって思っているのです。

 ゲストブック的名文があったと記憶してるのに(笑)
 仕舞ってあるの?

BGMは小西康陽の新譜
ピチカート・ワン『11のとても悲しい歌』。
全部カヴァーなんだけれど
訳詞カードが入っていて、その訳がなかなかいいのです。

 「もしもぼくたちが山のてっぺんで暮らしていたら
  きっととても幸せだろうな

  山の上なら星たちにしっかり触ることだってできる
  そんなに遠くにはいないからさ

  それがぼくには最高の人生

  さあ、夢をみようよ」

    ・・・・IF WE LIVED ON THE TOP OF A MOUNTAIN
  

http://blog.livedoor.jp/lora2003/?blog_id=2080014

 

共犯第3ゲストブック完成

 投稿者:共犯夜中の作業員サカタ@カナダ  投稿日:2011年 6月25日(土)01時37分58秒
返信・引用
  共犯第3ゲストブックの完成です。
先代ゲストブックとほぼ同様、   画像直リンクOKのフリーフォーム掲示板で、

◆簡易HTMLエディター(入力補助)搭載
◆間違えても修正、削除が可能

と先代よりも優秀です。さらに共犯新聞も今回からケータイ世代に対応し、
「画像・動画・音楽の投稿」「ケータイ絵文字が使える」「RSS対応」
お絵描き機能付き」「かわいいケータイテンプレ」と新機能を
  搭載いたしました。たとえ間違えても直せるので、いろいろとお試しください。
 

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