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不幸福な王女

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 9月 4日(月)21時35分40秒
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  「彼女の人生は間違いじゃない」見ました。そこにある現実の風景と、主人公の表情やそれが作り出す息苦しい空気感と、凄いものを見たという気がします。ありがとうございました。
もっとも、映画の最終盤、主人公を訪れる解決か解消か回復が唐突なものに思え、物語の筋としては理解できてもやはり腑に落ちないという気持ちは残りました(ぼくのピントが外れているのかもしれませんが)。つまりそれは、四分の三あたりまで提示され続けた被破壊のリアルさが、ほとんどの解決や解消や回復を作り物っぽく見せてしまうということなのだと思います。しかしもちろん、作品を作るうえで、解決等を提示しようとすることは義務のようなものであり、この映画はラストを含めて果敢な試みだったのだと思います。
主人公が昔、恋人に言われた「こんな時にデートしてていいのかな」という言葉が、主人公の今に至る心象を表しています。なぜかという理由を抜きにして、主人公は自分からすべてを奪わずにいられない。デリヘルの面接を受けた時の「しなくちゃいけないから」という言葉がそれをまっすぐに示しています。
おそらくこれは、震災直後に多くの人を襲った感情で、かなりの人が少しずつそこから回復していく途上にある。主人公はそこからまだあまり回復できておらず(あるいは回復を罪悪と感じ続けており)、それが父親や元恋人へのほとんど理不尽な反発として現れているのだと思います。
ではなぜ主人公が回復できていないのかといえば、ぼくはそれが「若くて美しい女性だから」なのではないかと思いました。死んでしまった人たちと同じところにたどり着くまですべてを失ってしまおうとするとき、すべてを奪われなければならない。その時の痛みは、多くを持って(持たされてしまって)いるものにとって、より激しいのではないかと思うのです。若くて美しい女性は、見苦しいヲッサンにくらべて、はるかに多くのものを所有して(与えられてしまって)いるわけで(「容姿に恵まれている」とかいいますよね)、それを身から引き離すために、彼女はデリヘル行きを選択せざるを得なかったということなのでしょう。
元恋人に「自分はいまサイテーなことを言っているか」と問い、「いやでしょ、デリヘル嬢が彼女だなんて」と言い、「こんなふうにしか」と言うとき、彼女はついに何もかもを失い、それが最終盤の転調につながって行くんだろうと思います。
そう考えると、デリヘルの舞台が東京だということの意味合いに思い当ります。福島でそれを行うなら、もしかしたら奪われつくした者たちに何かを与える行為になったかもしれない。福島を収奪し尽している東京で行うことで、自分もまた根底から収奪されることとなり、いなくなってしまった人たちと同じところまで落ちていくことができるということではないでしょうか。
つまり彼女は、苦しんでいる人に自分のすべてを与える幸福な王子ではなく、自分が憎むものに自分のすべてを奪われようとする不幸福な王女なのだと思います。この映画は、その不幸福な王女を何とかして笑顔にしたいという、果敢な力業だと思うわけです。
福島に行ったこともない自分がわかったようなことを書いて、とも思いますが、見終わっての素直な感想です。
 
 
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