Reload


teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 <思いやりのあるコミュニティ宣言>
 teacup.掲示板は、皆様の権利を守りながら、思いやり、温かみのあるコミュニティづくりを応援します。
 いつもご協力いただきありがとうございます。

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


「自分で考える」ことを、革命と呼ぶ。

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2020年 8月18日(火)13時30分25秒
返信・引用 編集済
  I tell Mr.中野真吾 to beware my love♪
>量がいけない

■私が札幌で1985~1990年に食品の卸会社でサラリーマンをやっていた時に、西武の重役が私の仕事をお忍びで視察に来たことがありました。
当時の私は、ゼロックスのJスター2を使って、
スーパーマーケットの商品が並ぶゴンドラに、どの商品を入れると効率的に売り上げと利益が上がるか?ってな企画をしていました。
今から考えれば、それはコンビニエンスストアの思想と親和性がありますし、
当時の西武は社内でのセブンイレブンの存在の巨大化のバランスを調整する時期だったのかもしれません。
私は、弱小企業ながら、当時、考えられる最先端のゼロックスのJスター2を駆使して、
自分でそのシステムと、説得力を持ったプレゼンの資料を独自に開発していました。
その西武の重役は、私の作業と説明を見ながら、巨大な企業がこれからやろうと取り組んでいることを、
入社2~3年のシロウトがオリジナルで構築していたことに驚いていました。
私としては、幅90cm×高さ160cmのゴンドラに、
味の素の小瓶を入れるか、もしくはSBコショウを入れるか、その両方を何個入れるか、並んだ色合いをより美しくするのは?
さらに、元祖をたくの本領発揮で、膨大な商品を分類分けすることで、よりユーザーのニーズを先回りする準備としました。
とゆー古本屋でより安く欲しい本を買う感覚(?)で構築しただけなのですが(微苦笑)。
そのおかげで当時の私は国内に流通していた加工食品の数百万個以上のサイズや形状や容器の素材を体感で記憶していました。
その情報を、営業マンから、「ニチイ千歳店が600坪でオープンするから、ゴンドラ内容の提案をしてくれ。」とか、
「中野商店が改装して、店舗をゴンドラ10本に縮小するので、新しい店名と、外装と、売れる商品構成を企画してくれ。」とかいただいた仕事にコンバートしていました。
で、西武の重役は、私の横でイスに座ってじっくり見た後で、近くにあった紙に、
「塩→しょう油→ソース→パスタ・ソース→味の素クックドゥ→日清カップヌードル」と書いてから、
「久保さんはエンド・ユーザーのニーズに沿う分類分けを現場のニーズにマッチングさせるお仕事をされているようですね。
それと同時に、私が書いたように、食品にかかわらず、
すべての存在は、単純なものから複雑なものへ、もしくは、便利なものへ、さらには、限定された使いみちのものへ変わってゆきます。
それは、進化と呼ばれたり、商品開発と呼ばれたりします。」と、述べてから当時の我が社の社長室へ入ってゆきました。

>対象化できているのに、無化できていない

■思想の問題。

>なくしようとすればいろいろ面倒な話をせねばならなくなる

■思考停止。

>万世一系をくつがえしても、「天皇制を無化し、対象化する」ことはできない、
>それは言ってしまえば「ぼくたちは信じていないものを信じているように装い、しかもそれをみんなで了解している」からだ

■同調圧力を「空気を読む力」と好意的に受け入れる組織は、一体化しやすく、闘いに強い?
もしくは、手法の多様性を取り入れにくいために、フレキシブルな対応ができず、闘いに弱い?
もちろん正解は、その両方のバランスであり、それを政治と呼ぶのでしょう。

「作家としての中野重治も新人である。」と紹介されている中野と佐多。中野重治が書いた「五勺の酒」の方が、ぼくの実感には合う

■さらに、中野重治(1902年~1979年)は1923年12月、四高時代に室生犀星に傾倒し、金沢の彼の自宅を訪ねた。
そして私の祖父(1901年~1984年)が北海道に渡る前に住んでいた金沢の近所に、
詩人の室生星野源じゃねーよ!犀星(1889年8月1日~1962年3月26日)が住んでいた。
1923年、金沢で中野重治と私の祖父は、すれ違ったのだろうか。

>民主的天皇

■その言葉の矛盾にこそ、システムとしての天皇が位置付けられていますし、護憲主義者としての天皇が担保されていると思います。
島田雅彦Haruki Murakami『1Q84』、『佐々木マキ』、穂村弘『鳥肌が』、島田雅彦『虚人の星』、吉本ばなな『下北沢について』。『虚人の星』 (2015年9月24日、初版、講談社)の最後は、
反戦デモに参加している国民も天皇陛下もスパイもオレを支持してくれるだろう。」という首相(!)のセリフです。
池澤夏樹1993年から、ずーっと読みたかった池澤夏樹『マシアス・ギリの失脚』を、よーやく今、読み始める。『マシアス・ギリの失脚』(1993年6月20日、初版、新潮社)には、
1943年4月に少年だった主人公に日本軍の将校(!)は、
天皇陛下を戴いたまま負けることで、日本人はいよいよ一体となって結束し、次の、まったく別種の戦いに結局は勝つ。」
と、語っています。
両方ともフィクションですし、発行した順番は逆ですが、私は上記の順番で読んだので、なぜか続きを読んでいる錯覚になっています。

>吉本の考える革命とは、どのようなものだったのでしょうか。

■1960年安保に参加した吉本の現場主義に学生や労働者は感激しましたが、1970年代は肉体を使わず、それ以降も使っていません。
私は、それでもいいと思います。
私が考える革命とは、「自分で考える」ことです。

>内なる天皇制から自らを振り払うこと、それが(少なくとも日本人の)自己解放

■私は、中野さんが今回、共犯ゲストブックに書いてくれた、
私の安彦良和サブカル・アナーキズム。『革命とサブカル「あの時代」と「いま」をつなぐ議論の旅』の感想文の感想文すべてに賛成です。
私が陥りかけそうになっていた危うい部分にも気づかされました。ありがとうございます。

>T氏に至っては、吾妻ひでおの郵便受けにCDを入れていく

■それを、インターネットと呼ぶのでしょう。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 
 

年寄りのゆうことは聞いとくもんだぁ

 投稿者:中野真吾  投稿日:2020年 8月10日(月)16時50分53秒
返信・引用
  「革命とサブカル」ついに読みました。全編をとおしていちばん刺激的だったのは実は氷川竜介の「それでも情報の量が、人の心を抑圧する。たぶん量がいけないんだと思うんです」という発言だったんですが、それはともかくとして、吉本隆明=革命、の超克、について雑感です。

久保さんが注目された安彦良和の発言、「天皇制を無化し、対象化する」ためには、『南島論』は要らない」という部分は、まことに同感です。しかし「天皇制の命は「万世一系」」なので「これをくつがえせばいい」というのはぼくの実感に合わない。ぼくの実感としては「天皇家が「万世一系」だとは、とおの昔から誰も信じていない」のであり、にもかかわらず「天皇制を無化し、対象化できていない」、より正直に言えば「対象化できているのに、無化できていない」のです。自分について言えば、ぼくは「天皇陛下」と呼ぶことに多大な抵抗を持っていますが同様に「天皇」と呼ぶことにも多大な抵抗があり、また「佳子さま」なんて口が裂けても言うものかと思うものの、「佳子」とか「佳子さん」と呼ぶのはそれ以上にそぐわないと感じるわけです。

多くの日本人にとって天皇制は、ちょうど仏教やお寺や坊さんや念仏が占めているのと類似の場所を占めているのではないでしょうか。多くの日本人は仏も地獄も来世も輪廻転生も信じていないけど、お寺に参り、坊さんにあいさつをし、お墓に参る。言ってしまえば「なくても困らないけど」「あってもさほど邪魔にならないし」「なくしようとすればいろいろ面倒な話をせねばならなくなるので」「とりあえずみんなと同じようにふるまっている」のだと思います。なおかつ、まわりのみんなもそうであることを疑っていないわけです。

つまり、ぼく(たち)の内なる天皇制(古い言葉ですが)はそのようなものであって、「とりあえずみんなでそう決めているからそこにある」けれども「それを無くしていく契機も方法も必要性も、どこにも見つけることができない」という状態なのだと思います。かぎりなく希薄でしかし間違いなくぼくたちをみっしりと取り巻いている空気や磁気や重力。安彦良和の言うように『古事記』・『日本書紀』を読み解いて万世一系をくつがえしても、「天皇制を無化し、対象化する」ことはできない、それは言ってしまえば「ぼくたちは信じていないものを信じているように装い、しかもそれをみんなで了解している」からだと思えるのです。

天皇制の呪縛は時代をさかのぼるほど強いから、そこから身を離すための力は大きなものにならざるを得ない、という気もします。ぼくたち(一緒くたにして申し訳ありません)は安彦より若いし、安彦は吉本より若い。しかし吉本隆明よりも年寄りの中野重治が書いた「五勺の酒」の方が、ぼくの実感には合う気がします。この小説の主人公は「中学生などがいい気になって(天皇と天皇制が提起している問題を←中野)ふふんと鼻であしらい、その実いつまでも、せいぜい民主的天皇に引きずられて仰ぐものとして心で仰ぐことになるのだ」「天皇を鼻であしらうような人間がふえればふえるほど、天皇制が長生きするだろうことを考えてもらいたいのだ」と独白しますが、吉本風に言えばその逆立した姿として「天皇制が長生きすればするほど、天皇を鼻であしらうような人間がふえている」ように見えるのではないでしょうか。

ところで吉本の考える革命とは、どのようなものだったのでしょうか。銃弾と流血の中から生まれてくるとか、各個に自立した人間同士の討議から生まれてくるとか、そんなふうに考えていたとは思えません。単にある種の必然の流れの中で、総和としての人類が少しずつ自分たちの夢や願望を取り戻していくこと、そんなふうにぼくには思えるんですが、吉本にとっても安彦にとっても、内なる天皇制から自らを振り払うこと、それが(少なくとも日本人の)自己解放には不可欠だったということなんだなと思います。

話は変わるんですが、吾妻ひでおの「うつうつひでお日記」を読むと、ファンのTさんからジャックスのCDを送られ、ジャックスと早川義夫の熱烈なファンになるくだりが出てきます。「やっぱり「からっぽの世界」が最高。早川のCDでは「桜」「赤色のワンピース」「いつか」が良」とかいろいろ書いてます。早川義夫を介してのあがた森魚と吾妻ひでおとか想像するのも楽しいんですが、吾妻ひでおとそのファンのT氏が、近所に住んでるのに一面識もなくて、ジャックスとそれに関係するさまざまなやCDやビデオを郵便でやりとりするくだり(T氏に至っては、吾妻ひでおの郵便受けにCDを入れていく)が、いかにもで楽しいです。
 

ヒョウ柄のふちなし帽

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2020年 7月28日(火)14時50分46秒
返信・引用 編集済
  Mr.中野真吾’s taking me by surprise♪ She’s my baby♪
>「リアル・ライブ」の後に(オモロナイでェ)とつけときゃ良かった。

■(笑)でも私の修業として(?)ディランのアルバムはいつかすべて入手しよう★と、決めていますので、いい機会でした(笑)。
それと、私が自分のライブ活動に熱心だった1984年7月に、ディランがどのようなライブをしていたかが知れて良かった♪そーゆー意味でも、オモロい(笑)です。

>初来日( 大阪まで見に行ったのです)の余波で「ストリート・リーガル」

■ディラン初来日1978年2月20日~3月4日の当時、私は高校1年生3学期とゆーブルーにこんがらざるをえない時期。
その後、私が1981年以降に住んだ東京で出会ったバンド・マンたちは、ふつーに、「ボブ?ディランもマーリーも観たよ。」と言ってて、
やっぱリアル・ライブを観ることができる都会人はすげえや、と、都会人の音楽リテラシーの高さを実感したわけですが、
一方でディラン初来日当時の雑誌『ロッキング・オン』は編集後記に、「ボ。」。
その理由は、「ボブ・ディランが来日したのに、ボブ・ディランのボの字も書かないのか!と言われないように。」と橘川幸雄っぽいやつが書いていましたよね。
私はすべてのレコードが買えるわけが無いので、それを読んで「ああ、アメリカ・ロックは買わなくていいのか。」と、勝手に、いや、経済的にわざと誤解しておきました。
それでもがまんならずに買った『追憶のハイウェイ61』のかっこいいこと。私がロックに求めていて、まだ見つけられていなかったもののいくつかが、そこにはありました
その数カ月後に、高校の同級生で最も仲が良かった能澤浩司 (のざわ・ひろ し、1961年4月27日~2015年4月19日)の家に遊びに行けば、
ザ・ビートルズのLPが、4人のソロも含めて(!)ぜんぶそろっていた。まだ高校生だぞ~。こいつ、金持ちか?
そこに、出たばかりのディラン『ストリート・リーガル』もあったので、聴きました。
英語が赤点な私は、アルバム・タイトルを『ストリート・ガール』と誤読し、しかも、あのジャケットだし、
「イズ・ユア・ラブ・イン・ヴェイン」の曲調やケーシー高峰のように(?)「セニョ~ル、セニョ~ル」だし、
こりゃ、街娼を唄ったコンセプト・アルバムだな、と、大いにかんちがい。がくっ。
まぁ、そんなことで、能澤も死んだし、私のディランのアルバム・コレクションも、時系列では『ストリート・リーガル』の手前で止まっていたので、
このアルバムをいつも中古CD屋で探していたのでした(笑)。
中野さんもお気づきかもしれませんが、なぜか中古市場に、『ストリート・リーガル』の出回りは極端に少ないんです。
その理由は、初来日直後でLP買いした客層が多いから、中古CD屋の客はすでに持っているからか、
ディランのキャリアでもシングル曲も入っていない地味なアルバムだし、ディラン史でも重要な意味が薄いからかな?
それが今回、『リアル・ライブ』を探しにBookoff札幌南3条店に行ったら、売っていたんでした~。
ちなみに中古価格・税込みで、
『ストリート・リーガル』 1,380円
『リアル・ライブ』            980円
Bookoffの値段は、デタラメに付けているんじゃないことが、この価格差で、よ~く分かりますね(笑)。

>「リアル・ライブ」の中川五郎の訳詞はよかった

■ああ、そうそう。
そう言えばぁ天辰保文がライナーノーツで、
「この『リアル・ライブ』で彼は、「ブルーにこんがらがって」の歌詞を、以前レコード化したときと大きく改めて歌っている。」
と、書いていて、歌詞カードにも
対訳の方はライヴ・ヴァージョンに忠実な訳を載せております。」
と、小さな文字でひかえめに(微笑)書かれていました♪
私はまだ『リアル・ライブ』を1回しか聴いていない(がくっ。)、そう言えばぁヤングですが、これから『血の轍』の歌詞カードと比べながら聴くのが楽しみです♪
たとえば、イタリアの詩人が13世紀に書いた詩集って何だろう?って想いながら。

>無名で、ありふれていて、律儀で、世間並みの苦労に首まで浸りながらそれを淡々とかき分けて行っている

■私は遅れてきた吉本隆明ファンとして、古本屋でランダムに買った順番に1950年代~1990年代の彼の著書をフラットに読んできました。
この読み方は明らかに、60年安保を一緒に闘った世代や、全共闘として思想の根拠を求めた世代とは明らかに違います。
それは、どれが正しいか、ではなくて、ロマンチズムの濃さの違いのようなものかもしれません。
分かり易く&雑に言えば、
吉本を愛している=60年安保世代、
吉本に恋している=70年全共闘世代、
それらをひっくるめたすべての先行世代から可能性を導き出そうとしている私の世代、
の違いなのかな。
実際、私はインターネット普及時に有名な吉本ファン・サイトの常連の愛読者&ゲストブック書き込み者でしたが、立ち入り禁止になりました(笑)。
たぶんそこのホームページの主宰者は70年全共闘世代であると推察するのですが、
私が「吉本は芸術論ばかりではなく、現在進行形の政治にも発言=『リアル・ライブ』してほしい。」的なことを書いたら、立ち入り禁止になりました(笑)。
そこは長い時代を一緒に考え&行動してきた世代ならではの、吉本純愛であり、
吉本の激しかった時期を知っているからこその「とつとつとした口調」親衛隊でもあると思うのです。
ですから、私はそんな姿勢も愛しています。

>理念がどんな誤謬にみちていても、どうすることもできない。

■そして、吉本もそんな彼らと相思相愛なのでしょう。
私は、それを醜いとも、まちがっているとも思いませんが、
私が安彦良和サブカル・アナーキズム。『革命とサブカル「あの時代」と「いま」をつなぐ議論の旅』の感想文に書いた、
「「吉本隆明を読んでいる人は考えることにフタをしている。」と感じる。
つまり、外付けサーバーとしての吉本隆明につながっていることで安住しているのだ。
それは、吉本が初期から訴えていた「自立」とは真逆だ。」
とゆー私の現在の印象は、そこから出てきています。

>どうして2枚組CDの2枚目が17分の「最も 卑劣な殺人」1曲だけなのか。

■新しい=若い世代が自由であるのも、たのもしいのですが、
超大先輩が自由であることは、まったく違う意味で、恐ろしいに近い感情でうれしいことです。
もうディランにはボウイのセコハンなミック・ロンソンや、きらきらブルーズなミック・テイラーや、CDやサブスクやロックも必要ないんでしょう。
つまり、「考える」とは、「自由」ということなのですから。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

不在のファン=生活着の柄

 投稿者:中野真吾  投稿日:2020年 7月27日(月)22時29分27秒
返信・引用
  >中野さんのFacebookを読んで、ボブ・ディランの1984年の中古CD『リアル・ライブ』を7月23日(木)に980円で買いました♪
  ↑
あれを読んで買ってくださったんですか…「リアル・ライブ」の後に(オモロナイでェ)とつけときゃ良かった。
「偉大なる復活」から始まって「血の轍」「プラネット・ウェイブス」「地下室」「激しい雨」「欲望」とぼくはディランにもみくちゃにされ肉団子と化したわけで、初来日(大阪まで見に行ったのです)の余波で「ストリート・リーガル」や「武道館」もかなり熱心に聞いておりました。(けっこう??な作品でしたが)
しかし「スロー・トレイン」「セイブド」「ショット・オブ・ラブ」「インフィデル」とあまりに???な作品が続き、その時点ですっかり愛想が尽きていたんですが、たまたま遠くの友人が泊りがけで遊びに来てくれて、一緒に行ったレコード屋で見つけて買ったのが「リアル・ライブ」だったわけです。これは絶対にいいはずだ!!という期待はあっさりと裏切られ、久保さん同様にミック・テイラーにも裏切られ、その後30有余年、ぼくはディランの新譜には一切興味を持ちませんでした。(もっとも「リアル・ライブ」の中川五郎の訳詞はよかったですが)

>まだこのアルバム、私は1回しか聴いていないんですが~
  ↑
ぼくは30有余年で3回か4回です。

>「吉本さんの口調は予想外にとつとつとしていた。(中略)喧嘩腰のべらんめえ調ではなかった。」は、串刺しにされた「一行」を確認するはずだった現場での、悲しい違和感でもあると思いますが、いかがでしょうか
  ↑
いつごろ読んだかは覚えてないんですが、鮎川信夫が吉本の次の文章を紹介しています。

次に私(吉本)は斯う言った。「頭髪を無造作に刈った壮年の男が、背広を着て、両手をポケットに突込んだまま、都会の街路樹の下をうつむいて歩んでゆく。俺は若しなれるのならそんな者になりたい。」

学生3人が、冬の下宿で、もしこういうものになりたいということがあったらここで言おうと話したとき、吉本が言ったことです。真意がつかめているかどうかはわかりませんが、無名で、ありふれていて、律儀で、世間並みの苦労に首まで浸りながらそれを淡々とかき分けて行っている姿だと感じました。で、この姿に吉本のいくつかの言葉を語らせてみると、喧嘩腰のべらんめえ調よりも、とつとつとした口調が似合って聞こえるのです。その後コム・デ・ギャルソンを着るに至ったとき、鮎川信夫が何を感じたのかわからないし、吉本にしてみれば、まさにそれは青年期の吉本を「超克」した姿だったのかもしれません。でもぼくにとってみれば、60~70年代の吉本の、たとえば「(レーニンは)非政治的な大衆のなかに、究極的には権力が移行すべきであること、そのときは国家とか党とかが消滅すること、つまり自らが消滅することをはっきりとしたヴィジョンの過程をとって断言しているのだ」とか「青年が、はじめに決意を交わしてしまったことは、誰にも止めることはできない。その結末がどうであろうとも、また、その理念がどんな誤謬にみちていても、どうすることもできない。冷静に注視することができるだけだ。醒めて後にたたかい、そして生きることの困難さに、彼らが耐えることを願うだけだ」といった言葉は、さきほど吉本自身が描こうとした自画像と「とつとつとした口調」に語られる限り「無化」されることはないと思えます。

>ディランの新作アルバムのフォエヴァ~・ヤングぶりは、すげぇっすね
  ↑
それそれ!それですよ!どうしてあのメロディ、あのアレンジにあんな歌詞が乗るのか、どうして2枚組CDの2枚目が17分の「最も卑劣な殺人」1曲だけなのか。完成もめざしていないが未完成も不完成もめざしていない。こうでしかありえないからこうなっている、ってことなんでしょうかね?
 

ディランの不安=生活の柄

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2020年 7月27日(月)01時21分11秒
返信・引用 編集済
  But I read the note that Mr.中野真吾 never wrote♪
>すぐさまアマゾンに注文すればいいものを、(ケチなもので)

■中野さんの共犯よりも、私の中野の方が熱いからか(笑)、
私は中野さんのFacebookを読んで、ボブ・ディランの1984年の中古CD『リアル・ライブ』を7月23日(木)に980円で買いました♪
今日の、てか、もう昨日の渋谷陽一『ワールド・ロック・ナウ』で中野さんも買ったディランの新作が紹介されていましたね~。
渋谷さんが紹介していたディランの歌詞の中に、「犯罪 大通り」とか、いつも自問する・・・・。誰でしょう?『共犯新聞』キーワードも多くてびっくり。

>そのころには僕たちはお父さんのことを「センセイ」と呼ぶようになっていました。

■もしかしたら、人生の充実度数は「トモダチ」の数よりも、自分が自然に「センセイ」と呼んでしまった数でこそ数値化できるのかもしれませんね。

>「それ吉本隆明ですよね」

■今、まさにNHK教育テレビが『100分de名著』で『共同幻想論』が絶賛放送中ですよね~。
中野さん、観てますか?私は、映画館でバリスト中なので観ていません。がくっ。
この番組の本も売れまくっているようですね。もしや今、プチ吉本隆明ブーム中(微苦笑)?
てか、こーゆーコロナっぽい時こそ、やや時間を使って保留にしてきたものへの整理欲が芽生えるんでしょうね。

>70年安保のあおりで大学をやめたり仕事を変わったり、いろいろあった末に今こうしている、ということのようでした。

■あんなにいっぱいいた彼らは今、何をしているんだろう。

>吉本隆明の読者の中には、彼の思想というよりも彼の「一行」に串刺しにされて離れられずにいるという人が多い

■そうなんですよね。やっぱ、吉本は思想家である前に詩人なんですよね。谷川雁は、さらに、しびれる文章の天才でしたよね。
で、私が書いた安彦良和サブカル・アナーキズム。『革命とサブカル「あの時代」と「いま」をつなぐ議論の旅』の感想文に引用させていただいた、
安彦が吉本の講演を聴いての感想「吉本さんの口調は予想外にとつとつとしていた。自身の雑誌『試行』誌上から『新日本文学』の武井昭夫や花田清輝に投げつけていたような、喧嘩腰のべらんめえ調ではなかった。」は、串刺しにされた「一行」を確認するはずだった現場での、悲しい違和感でもあると思いますが、いかがでしょうか。

>時代の風圧の証しとして自殺

■私が書いたタイトル『世界の秘密を知りたいかい?吉本隆明革命超克』は、
もちろん、
吉本隆明=<革命の超克>
とゆー意味では無くて、
<吉本隆明=革命>の超克
とゆー意味です。

>実際にやったことが最善

■ボブ・ディランの1984年の中古CD『リアル・ライブ』を私は、たぶん今夜、初めて聴きました。
1984年と言えば、まさに私が「犯罪大通り」とか曲を多作し、静岡→名古屋→京都→長野のツアーに行った年なんですが、
当時の私は1981年にディランの中古じゃない(笑)新品LP『ショット・オブ・ラブ』を買ってから、しばらくディランを聴いていませんでした。
今夜、初めて聴いてまず感じたのは、ディランはロンドンのパブ・バンドをやりたかったんだろーな、ってこと。が、
しかしか・・・・・・・・・死?し、
ディランが期待していたミック・テイラーのギターが期待ハズレで、つまんなかった。
このアルバムでのミック・テイラーのギターは、手クセ程度のブルーノート・スケールで、かつてのストーンズ『ヤギ頭』時代のキラメク創造性が消えていた~。がくっ。
だから、このアルバムはパンキッシュなノリのバンド・コーナーも確かにスピーディーだけど、
むしろディラン単独のアコギ・コーナーの方が表現力が上だし、
ミック・テイラーがダメだったから(?)急遽、呼んできた(?)カルロス・サンタナが参加した「トゥームストーン・ブルース」がクライマックスになっちゃった。
このテイラー←→サンタナな構図は、
ディランが1975年から始めたライブ・ツアー「ローリング・サンダー・レヴュー」のジプシー臭からメキシカン料理への以降の流れの中で、
いったん1960年代中盤のフォーク・ロックの進化系の1970年代エリック・クラプトン寄りなフェイセスをめざしたいから、
デヴィッド・ボウイからの放出品なグラム美青年ミック・ロンソンでロンドン下町色がうまく出たから、
2人目のミックからの3匹目の土用の丑の日どぜう鍋おさみな美青年ミックとおされに仕掛けたら、
テイラー+イアン・マクレガンでは弱すぎて、ダメだこりゃ@いかりやディラン長介と、一気にジプシー&メキシカンに力技で戻すためのサンタナ・アビガンだったんじゃね?
とか言いつつ、まだこのアルバム、私は1回しか聴いていないんですが~。がくっ。

>山は見えなかったけど、雨の梓川や森が見えて良かった。

■だから、それでもディランは『リアル・ライブ』をお蔵入りにしないでリリースしたんだろーなぁ。
え?そんなことを書いていたら、
ストーンズ+ジミー・ペイジのお蔵入り「スカー レット」がリリースされたニュースが。
これらは、海賊盤をたく満足のため(だけ)ではなく、長生きの果実であり、
ディランは1984年の段階で長生きを確信した証拠が『リアル・ライブ』のリリースであり、意味深なアルバム・タイトル『失敗も不安な演奏も含めて~の、そのまんま生身』なんだろーなぁ。
それにしても、ディランの新作アルバムのフォエヴァ~・ヤングぶりは、すげぇっすね。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

吉本隆明ファン=生活の彫刻

 投稿者:中野真吾  投稿日:2020年 7月24日(金)07時47分48秒
返信・引用
  久保主筆の「吉本隆明=革命の超克」を読み、これはえらいこっちゃ「革命とサブカル」を読まねばと決意し、すぐさまアマゾンに注文すればいいものを、(ケチなもので)県立図書館を調べたところ、蔵書にあることがわかりました。ただし貸出中だったもので予約して、今日か明日かと待っていたのですが、なかなか返却してくれないようでいまだに連絡なし。だもんで、吉本隆明にまつわる思い出話をひとつさせてもらいます。

2年ほど前、ぼくは少し年少の友人2人といっしょに、上高地から槍ヶ岳をめざしておりました。もともと天気予報は悪く、何とかなるんじゃないかと歩きはじめたものの、予想以上に雨脚が強く、10時すぎには戦意つきてギブアップ、徳澤園に転がり込みました。ここは山小屋の料金で旅館なみの食事を出してくれるところで、ぼくたちは受付をすませ、11時から外食堂でビールを飲み始めたわけです。

昼寝をして夕食は内食堂です。われわれおっさん3人組は、3人連れの家族と相席になりました。60代半ばくらいの少し陰のあるインテリ風のお父さん、そこに寄り添うようなお母さん、いかにもしつけ良く育てられた感じの娘さんの3人です。最初はあたりさわりのない話だったんですが、何がきっかけだったのか、おっさんトリオとお父さんはけっこう話し込んでしまいました。食事が終わり、僕がお父さんを「どうですか、ウイスキー持ってるんですけど外食堂で飲み直しは」と誘うと、お父さんは顔をほころばせ、これまた持参のウイスキーを持って来てくれました。そのころには僕たちはお父さんのことを「センセイ」と呼ぶようになっていました。

たいてい山小屋には、持ち込んだ酒とつまみでぼそぼそ話ができるスペースがあるもので、初対面の人間がまるっきりうちとけて話し込み、名乗りもしないまま翌日には別れていくこともよくあるんですが、この日もそんな感じでした。そのうちセンセイが「なんだかんだ言ったって、日本の規律正しい軍隊は、ガムをくちゃくちゃやってるアメリカ軍に勝てなかったんだよ」と言いました。驚いたぼくが「それ吉本隆明ですよね」と尋ねると、センセイも驚きながらうなずいてくれました。それから話はセンセイの若かりし日に移りました。酔っぱらってかなり忘れてしまったし、センセイもあまりはっきりとは言わなかったんですが、70年安保のあおりで大学をやめたり仕事を変わったり、いろいろあった末に今こうしている、ということのようでした。

吉本隆明の読者の中には、彼の思想というよりも彼の「一行」に串刺しにされて離れられずにいるという人が多いような気がします。ぼくもそうですし、センセイもたぶんそうだったのではないかと思います。(ぼくは「岸上大作小論」の「安保闘争の座礁から、指導部が四散したとき、すでに孤立した焼けのこりの杭がとりのこされ、風に吹き晒されて、文字通り孤立のうちにこの風圧に抗わねばならなくなった」「岸上大作は、その風圧に耐ええなかったとき、時代の風圧の証しとして自殺した」という一行が忘れられません)(ところで若き日の椎名誠が書いた「書店はとてもエライのだ」の中に「だまれ!痴れものめ。そうじゃあないんだ」というところがあって、この「そうじゃあないんだ」、吉本病患者の症状に思えません?)

次の日、天気が回復したらせめて槍の穂先の見えるところまでと思っていたのですが、晴れ間は少しあるものの山の大部分は雲に隠れていて、僕たちは山をあきらめることにしました。明神池を歩いているとセンセイ一家にまた出会って、センセイはもちろん、静かな奥さんや賢そうできれいな娘さんも、にこにこ笑って挨拶をしてくれました。

僕の友達二人はいずれも北アルプス初体験で、せめて穂高の稜線くらいは見せたいと思っていたのですがそれもできず、悪い日に誘ってしまって申し訳ないとわびました。すると友人の一人が言ってくれました。「ぼくは、どんなことでも、実際にやったことが最善だったと思ってるんです。雨の日に上高地に来て、山は見えなかったけど、雨の梓川や森が見えて良かった。それにこの日に来たから、センセイとも話すことができたんですよ」
 

巣ごもり日和

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2020年 7月22日(水)12時09分28秒
返信・引用 編集済
  Let‘Em In Mr. 泰弘さん knocking at the door
>中々うまく判読されていますよ。

■おかげさまで、いつも自問する・・・・。誰でしょう?『共犯新聞』の連載「おじいちゃんの撃たれたい夜。支那事変」も回を重ねて8となり、
祖父の文字のデーター(?)も増えてきましたので、
分からない文字が出てくると、過去のページの似た文字に戻り、その時に泰弘さんと小嶋日向守さんの解読からいただいた答えと合わせてみるようにしています♪
たとえば今回は、18日の1行目の「支部と共に石家荘発」の「発」が現在とはかなり違った書体なのですが、
1の1938年7月7日で「午前五時 自動車ニテ 出発」と「発」が出てきていたので、読めました(笑)。

>「八時の列車で中隊當駅に来り」と書いてあり(戦前の旧漢字で今の「当」です)

■この「」=「当」も、
実はすでに2の1938年7月30日に、
地、 引き揚げのこと。」と読むように泰弘さんからがーーーーーーん!ご指導を受けていたんでした~!
いかんなぁー。同じミスを繰り返してしまった。がくっ。

>つまり「中隊が彰徳駅に来た」という事でしょう。

■なるほど!
この泰弘さんのご指摘で、祖父は旅の途中で中隊と合流したので、
「石家荘から新郷に向かいながら、途中の彰徳で引き返し」たことが分かりました。
ただし、それは状況説明であって、理由や根拠にはなっていません。やはり、ここで祖父のv-87手帳は一気に説明が薄くなる印象です。
それもまた戦争なのでしょう。
祖父がこの日に何気なく最後に書き添えている
「毎日 討伐に出る
時折 犠牲者あり 干場少尉
も戦傷す」
こそが、通常であれば書くべきことなのでしょうが、むしろ戦いは日常なのでv-295書く必要が薄かったのかもしれません。
それを証明するかのように、翌日の日記から「討伐」がv-27激しくなってきます。
引き続き、泰弘さん、ご指導をよろしくお願いいたします。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

お元気そうで何よりです・・

 投稿者:泰弘さん  投稿日:2020年 7月21日(火)20時09分24秒
返信・引用
  コロナウイルスも、当初北海道での蔓延が激しかったので、心配していましたがお元気そうで何よりです。
私も日々、注意していますのでなんとか持ちこたえております。

久保さん・・中々うまく判読されていますよ。
只、1ケ所だけ訂正があります。
18日の4行目の・・・八時の列車で中隊高駅に来り・・は
「八時の列車で中隊當駅に来り」と書いてあり(戦前の旧漢字で今の「当」です)
ですので「八時の列車で中隊当駅に来たり」が正解です。
つまり「中隊が彰徳駅に来た」という事でしょう。

https://y294maself.blog.fc2.com/blog-entry-688.html

 

墓無く鳴るキーボードの中野

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2020年 4月23日(木)11時17分22秒
返信・引用 編集済
  Crossroads for Mr.中野真吾
>その号をぼくは、何年か前に500円で買いました。(勝った…)

■そうなのです。私が、こんなに高額なお買い物をするはずは無いのです。
さすが中野さん、重要な違和感にお気づきになられていらっしゃられる。
私はヤフオク!落札で買ったのですが、
それも、期間限定の「1,000円以上の落札商品で使える500円OFFクーポンをプレゼント」がメールで届いたからだったんです。
で、それからジャスト「1,000円」で欲しいモノをヤフオク!内で物色しました結果、こいつを釣り上げた、ってわけです。
が、お見事♪落札してから、「500円OFFクーポン」を使おう♪と、クリックすれば、
がーーがーーーーーーん!ーーん。スマホを持っていないと、使えないクーポンだった。
そこで、出品者に問い合わせると、下記のようなレス。

申し訳ありませんがその問題をここに書かれても出品者側からは何もできません。
お取引を中止にできますがオークションシステムから自動的に「非常に悪い」評価が落札者につきます。
お取引を中止にするかはおまかせいたいたします。
出品者


これに対して私は、下記のようなレスを送りました。

「このケースであっても、
「お取引を中止にできますがオークションシステムから自動的に「非常に悪い」評価が落札者につきます。」ことをもともと承知なのですね。
申し訳ございません。哀しいシステムなのかなぁー。」

つまり、ヤフオク!の営業戦略に、まんまと乗った私と、その配下にいる哀しい出品者。
ある意味、あまりにも”樹村みのり”的な、システムの前の無力な出品者のネガティヴな文体に、なんだか私は1970年代的哀しみを久しぶりに感じたんです。
それを含めての「1,000円+送料205円―Tポイント7円=合計1,198円」でした。(やっぱ、負けた・・・のか?)

>「『怪獣』というマンガを描いている蔵前仁一って、『旅で眠りたい』の蔵前仁一か?」

■おお。そいつは、魅力的な発見ですね。
当時の、こーゆー小雑誌はミニコミの進化過程みたいな運動体だったので、私のここへの前回のカキコミのよーに、雑多な方が巻き込まれていて、
今から読み返すと、その後の歴史がネタバレのよーに分かっているから、おもしろい~☆ですよね。
海に沈んで死んだインド帰りのおっす、ひろみ嬢♪月見猫だったら、蔵前仁一と個人的な付き合いもあったっぽいけれど、死んだやつには聞けないね。
そー考えると、死んだやつよか、古雑誌の方が雄弁だー。

>(読みようによってはかなり色っぽい)やり取り

■うんうん、そうですねー。
私は「樹村みのりと真崎守の対談」に大きい期待をしていたんだけど、なんだか、歳の差レクチャーみたいで、肩透かしだったんだけど、
確かに深読み(微苦笑)できる対談ですね。
それこそ、「今から読み返すと、その後の歴史がネタバレのよーに分かっているから、おもしろい~☆ですよね。」(リプリーズ)
今の私たちは、その後の彼女が社会党系政治支援や、ジェンダー闘争など、かなりマジにやりはじめたのを知っているから、
28歳の女の子を素材にしている時代の輪切り感は、未来からの視線を獲得した今だからこそ味わい深いっすよね。
特に筆記で答えた「シリアス・インタビュー」は、当時では読み切れなかったことが、すでに書かれていて、表現者としての樹村みのりの完成度の高さが味わえますよね。

>約40年前、友人がぼくに何冊かの「だっくす」と「ぱふ」を貸してくれて

■以前、中野さんが私のほうが孤独度が高いって書いてくれたことの証明ですね(笑)。
1977年に私は高校生から通学し始めた、北海道深川市の書店で、
『だっくす』、『ロッキング・オン』、『マンガ少年』の雑誌を発見し、
売れ残っていたブロンズ社の『共犯の回路』、『爆発するロック』の単行本を発見したのです。
でも、当時、これらを読んでいた少年&少女に私は出会っていない。
書店も商売だから、売れない雑誌は置かないはずだから、北海道深川市のどこかに『だっくす』とかの読者がいたんだろうなぁ。

他人と共有できないもの(=『だっくす』)を抱いてしまったがために、それ(=『だっくす』)を共有できる人と巡り会うことだけを願って膝を抱える若者たちの物語(=『共犯新聞』)

>他人と共有できないものを抱いてしまったがために、それを共有できる人と巡り会うことだけを願って膝を抱える若者たちの物語

■facebookへの今年の私の誕生日に「妙に寂しがり屋な貴方の印象が、初めて会った自己紹介での記憶です。」と書き込んでくれた方もいました(笑)。

>猿園があってその猿に襲われたり、女生徒が猿にお弁当を分けてやったりしていたが、今は野生化して山に消えてしまった

■その猿が、私には何かのメタファーに感じます。

>久保さんはツイッターのアカウントをお持ちですよね!

■「中野@中年末期 @taiyofun  2019年10月29日;
けさ仕事に行く途中「カニコーセン」と書いた車を見て、びっくりして見直したら「カーコンビニ倶楽部」だった。禁断症状かもしれん。」
に、ピンクのハートひとつ、つけときました♪

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

はかなくなる記憶の中の

 投稿者:中野真吾  投稿日:2020年 4月20日(月)20時57分21秒
返信・引用 編集済
  >1,000円+送料205円―Tポイント7円=合計1,198円
  ↑
その号をぼくは、何年か前に500円で買いました。(勝った…)
ところがぼくはその号を買っただけでろくに読まずに置いていて
本日このさい読もうと思って開いたところ、樹村みのり特集に至る前に思わぬ発見が。
「『怪獣』というマンガを描いている蔵前仁一って、『旅で眠りたい』の蔵前仁一か?」
あわててウィキペディアを見るとまさにその通りで、加えて「だっくす」の改名にあたって「ぱふ」と名付けたのが蔵前仁一であるとのこと。なるほど…。

ところで樹村みのりと真崎守の対談を読むと、以心伝心としか言いようのない不思議なやり取りの中に
  真崎 何が見えたかな。
  樹村 何…何だろう。
  真崎 <菜の花>見たか。
  樹村 うふふ……そうかァ。
  真崎 ちゃんと云う?
  樹村 うーん。
  真崎 言わぬが花だとか。
  樹村 それは、漫画のテーマになりますので。私にとっては。
この(読みようによってはかなり色っぽい)やり取りに、わたくしは記憶がある!
約40年前、友人がぼくに何冊かの「だっくす」と「ぱふ」を貸してくれて、この号のことはずっと忘れていたんだけど、その時に読んだことに間違いありません。いや、思い出すもんですね。

>私はいまだに樹村みのりのマンガを1作品も読んでいません
  ↑
これは知らんかった。他人と共有できないものを抱いてしまったがために、それを共有できる人と巡り会うことだけを願って膝を抱える若者たちの物語を、これからどう読んでいくのか。楽しみです。

本日さっそく小野さんと会って「御前神社」のことをたずねると、学校の近くにあって、何度も普通に訪れた場所だとのこと。幽霊は出たか、怨霊は出たか、ミュージシャンは出たかと聞くと、特にそんなこともなく、昔は猿園があってその猿に襲われたり、女生徒が猿にお弁当を分けてやったりしていたが、今は野生化して山に消えてしまった…とのことでした。

ところで久保さんはツイッターのアカウントをお持ちですよね!
ぼく、まとまりのある文章が一向に書けず、ひと月ほど前から、その日見たり聞いたりした音楽やマンガのことを一日にひとつずつ(書けない日もありますが)ツイッターに書いています。しこ名(リングネーム)は「中野@中年末期」です。お暇があったら見てみてください。
 

吐かなくも杞憂なる岡山

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2020年 4月19日(日)15時27分45秒
返信・引用 編集済
  Treat Mr.中野真吾's Gently - Lonely Old People♪
>ぼく行ってます

■打てば響く、
とゆーか、ふりチン逃げかっ!ヒット&ラン、とゆーか、ゴング&エコー、とゆーか、
即☆反応、ありがとーごじゃります(=アベ語)♪
てか、期待通りの即レス。
こりゃ、まさに、「インターネットは、タコツボ内の壁打ちでは無い」☆とゆーいつも自問する・・・・。誰でしょう?『共犯新聞』可能性の闘いの到達点ですな♪
私も(?)都市計画コンサルタントなんですねー!伊達美徳さんのブログで、
岡山県上房郡高梁町(現・高梁市)の御前(おんざき)神社」を読んだ時、
「高梁市」と中野さんがお住いの「岡山市」は隣接してるじゃん!と、コジツケわらしべ長者センサーがレッド・ゾーンに振り切ったわけです。

>犬の記憶正・続/森山大道があるのを見つけて買ったりしました。

■一方で昨日の私には、ヤフオク!落札デビュー2冊目で、
まんが専門誌『だっくす』1978年11月号(特集:樹村みのり、真崎守対談、未発表作品「窓辺の人」掲載)が届きました。
本来であれば(?)高校2年生の私が320円で買っておくべきだったのを、
58歳にして1,000円+送料205円―Tポイント7円=合計1,198円で買いました(がくっ。)。
それなのに(?)私はいまだに樹村みのりのマンガを1作品も読んでいません。
おそらく、届いた『だっくす』に掲載されている1969年に描かれた”未発表作品「窓辺の人」”が、私が生まれて初めて読む樹村みのり作品になることでしょう。
2020年に、ドキドキしている58歳の樹村みのり童貞がいる純情(微苦笑)。
そんな私が中野さんが熱烈ご推薦される「贈り物」を読む日は、いつなのか?もしくは、来るのか?
ネット古本屋では、短編「贈り物」収録の本は入手が難しいようです。
もし、『樹村みのり全集』が出版されるのなら、今の私なら全集の全巻を予約購読しちゃうことでしょう。中野さん、小野さんと企画&出版してください。
■で、さらにこの『だっくす』1978年11月号は、多義的に複数の情報を抱え込んでいました。その、ほんの一部を下記に書いてみます。
橋本治は2号前の『だっくす』1978年7&8月号でマンガ評論をスタートし、1981年の休刊まで書き続けるし、
ついにはレイアウトもし、編集作業までもが橋本の自宅で(!)行われるほど『だっくす』にのめり込むんだけど、この号だけには不参加。
②同様に、『だっくす』が重要な批評の発表の場だった中島梓も、この号には不参加。
いつも自問する・・・・。誰でしょう?『共犯新聞』アート逍遥コーナーに何度も登場した画家が、今では結婚した相手である森雅之の、その時点での全作品(!)が掲載。
当時から私は森雅之の大ファンで、単行本が出た時は自分のように喜び即買いし、その書名『夜と薔薇』をいただいた曲を作ってバンドのライブで演奏もしました。
その彼と、彼女が結婚したのには、驚いた~し、なんだか、納得。
まついなつきが編集に協力している。彼女、当時は高校生だぞ。
彼女と1日違いで亡くなった血縁であるのは間違いない松井哲朗さんとの関係を知りたくて、私は高校の同級生立て、立つんだ場~!ステージ、に。KARM嬢にメールで質問していたら、
「まついなつきさんのことを佳織に聞いてみました。
亡くなったことは知っていて、ショックを受けてました。
お姉さんと仲が良かったそうです。
演劇に精通してる松井さんとの親子関係については、わからないけど演劇好きの家族だったからありえるかも、とのことでした。
はっきりはわかりません。」

とのメールが私に届いていたところです。

>また小野さんに聞いてみよう。

■1月26日は、三宅どじん伸也の7回忌でしたね。
今日は、能澤浩司の命日です。
こうしてコジツケわらしべ長者のコロナな日々は続きますが、そのスパイラルは上昇しているのか?下降しているのか?がくっ。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

はかなくも奇遇なるかな

 投稿者:中野真吾  投稿日:2020年 4月19日(日)00時00分30秒
返信・引用
  高梁市の御崎神社!
地図を見たら、何年か前にぼく行ってますよ。
街を用もなくうろうろしていて、神社がたまたま見つかったんで行ったというだけなんですけど。
そのあとなおかつ街をうろついていて、何の店か忘れましたが店の外に古本を段ボール箱に入れて売っていて
そこに犬の記憶正・続/森山大道があるのを見つけて買ったりしました。
なおかつ高梁市は
ぼくにゆうたろうや三宅【土人】伸也を教えてくれたキング・ビスケット・レコード店主小野さんの出生地&現在地=根拠地であるわけです。
また小野さんに聞いてみよう。
 

コロナ事変

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2020年 4月17日(金)01時07分51秒
返信・引用
  So won’t Mr.泰弘さん
listen to what the man said♪

>飲み会などお付き合いの広い久保さんなど、特に注意を要します・・心配しております。

■ついに「全都道府県を緊急事態がーーーーーーん!措置の対象」となりましたねー。
「ひきこもり」が正義(?)の時代が来るとは思いませんでした。
もともと私は「お付き合いの広い」っーよりも、オスカー・ワイルド「ナイチンゲールと薔薇」な人なので、そこから意識的に逃げまどうための「外出」だったので、
もとに戻る、もしくは、もう充分に人生を楽しんだから、もう、いっかー♪
もしくは、もー少し外出を自粛=長生きして、コロナ後の世界が、どーなっているのか見てみたい♪です。
てか、福島泰弘さん&小嶋日向守さんと3人で呑むまで長生きしますか(笑)♪

>「シベリア派兵の記録」

■来月、私の父の七回忌なので、そこで父の兄弟たちから、祖父の当時の情報を聞き出そう~、
と、たくらんでいたら、「全都道府県を緊急事態がーーーーーーん!措置の対象」で七回忌の法事は中止になりました。がくっ。

お祖父さんの日記の件ですが、2P目8行目は「戦友の骨を護りつつ・・」でしょう。

■あ!確かに。
「〇友」と書かれていると、「我友」と思ってしまうクリシェな私。
さっそく、いつも自問する・・・・。誰でしょう?『共犯新聞』1面トップ記事に、書き加えさせていただきました。
福島泰弘さんのブログ・コメントに、小嶋日向守さんからもご指摘をいただいていましたので、それは夜が明けたら、書き加えさせていただきます♪
お二人のいつもの的確&スピーディーなご指摘に、感謝♪

>娘子関のスタンプは日本風名所旧跡スタンプと同等

■さすが、資料を多く集めていらっしゃられるからこその発想&発見ですねー。
祖父は汽車で移動していたので、車窓から「有名な娘子関の嶮を回って」、と想像するのですが、そーすると、いつ、このスタンプを手に入れたのか?
とか、どん&どん些末なことが気になってゆきます。
そのわりには読解のペースが、どん&どん遅くなって恐縮です(笑)。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

久保AB-ST元宏さん、お久し振りです・・

 投稿者:泰弘さん  投稿日:2020年 4月16日(木)09時54分29秒
返信・引用
  北海道のコロナウイルスの感染状況を心配しております。
飲み会などお付き合いの広い久保さんなど、特に注意を要します・・心配しております。
市町村別感染状況・・↓
https://jagjapan.maps.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/641eba7fef234a47880e1e1dc4de85ce

お祖父さんの北海道居住の理由となったのがシベリア出兵に依るものとは初耳でした。
コメントに有りました「シベリア出兵」の記事は、既にアップしております。見て下さい。
参考になると思います。↓
https://y294maself.blog.fc2.com/blog-category-4.html 「シベリア派兵の記録」

さて、お祖父さんの日記の件ですが、2P目8行目は「戦友の骨を護りつつ・・」でしょう。
最終行の「松枡軍医見に来た」は「松栁軍医見に来た」かもしれない?
娘子関のスタンプは日本風名所旧跡スタンプと同等なので、既に現地入りしていた日本人の用意した物かと思われ観光地化している感じです。
 

転向論と「反核」異論の間

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2020年 3月21日(土)11時58分49秒
返信・引用 編集済
  Heard Mr.中野真吾 calling me,
Come on and
call me back again
>吉本隆明の「情況への発言」

■1980年代の後半か、1990年代の前半だったか、
新宿の紀伊国屋書店の入り口の平積みコーナーで私が立ち読みをしていると、
別々の方向から3人ほどのスーツを着たヤング・サラリーマンがやってきて、
「おっ。久しぶり~。」と穏やかに挨拶を交わし、
その数秒後に平積みされていた最新号の雑誌『試行』の存在に全員が同時に気が付き、ひとりが手にした。
穏やかな再会のシーンが、一瞬の別の種類の沈黙に変わった。
空気が変わったことに最初に耐えられなくなったであろうひとりが、
「最新号なんだけど、懐かしいね(笑)。」と言うことで、瞬時に彼らに穏やかさが戻って来た。
彼らは、まわりに迷惑をかけない程度のやさしい笑い声を立て、
お互いに「まったくだ、まったくだ。」とか、「確かに懐かしいけれど、これ最新号なんだよね(笑)。」と言い合い、
まもなく私の背中越しに夕暮れの呑み屋街の方へ消えていった。
おそらく、私より14~5歳年上なのだろう。だから、その時は彼らは40歳前後だったのかもしれない。
1968年前後、新宿騒乱などで紀伊国屋の周りでガスと投石の応酬の現場にいた「戦士」だったのかもしれない。

>ひとつひとつ運んで積む

■私は先日、生まれて初めてヤフオク!ってのをやってみたのですが、クレジット・カード詐欺にあっていないか、どき&どきしているスリリングな今日です。
そのついでに、吉本隆明で検索すると、
「吉本隆明の本70冊=3万円(送料無料)」とか、「大江健三郎の本40冊=1万円(送料無料)」っーのが出品されていました。
ちなみに、まだ売れていません。いかがですか(笑)?
おそらく私や中野さんのよーな、めんどくさいオヤジが死んだ後に古本屋が、こーゆーのの処分に困って~の、セット販売なんでしょうね。
私が20歳頃だったら、両方とも買ったかも、ですが、
それらのほとんどを持っている&読んでいる現在は、共犯書斎の在庫がーーーーーーん!金額の暴落ばかりに目がくらみます。

>人夫たちの<口惜しさ>と、わたしが代弁するとすれば、これを設計した著名な建築家の建築美学を批判するほかにないのだと、熱い気持ちで考えました

■たとえば、ビルの中に落ちているゴミをひろうと、
「ひろうのをやめろ。君の偽善がゴミをひろう労働者の賃金を奪うことになるからだ。」
ってなコトを言う人がいます。
もちろん私は、ゴミをひろいます。
なぜならば、私がすべきことは、既存のシステムの肯定ではなく、システムの再構築だからです。
私は熱心な吉本隆明の読者ですが、彼は旧左翼を標的にする時に、既存のシステムを肯定することで論理に新鮮味を加えるテクニックを安易に使うことがある、とも私は感じてきました。
その成功例が、転向論であり、その疑問例が、「反核」異論である、と私は感じながら読んできました。
特に『「反核」異論』(深夜叢書社、1982年)を私はリアル・タイムで読んでいたので、思索の訓練になりました(笑)。
■中野さんが例に挙げてくれた建築に関しては、『情況』(河出書房新社、1970年←嗚呼、狼の時代だ。)の中で、
102P「建築物や建築家を破壊しても無効なんだ。唯一の方法は、ただひとつの政治的な上層観念を破壊する以外にないんだ。」
と啖呵を切る吉本はめちゃ&くちゃ魅力的だけど、
111P「不覇なたたずまいこそが、現在の住宅難にあえぐひとびとが個別的にもしもちうるならば持つべき個々の住宅の様式である」
との部分には、1981年に読んだ19歳の私は、
「うむ?政府の住宅政策の援護とも読めるが・・・」と、書き込んでいます(笑)。

>否定をしようとしている対象の魅力

■「過去」の呪縛や、不器用な「パクリ」は、「引用」としてヒップホップなどによって可視化され、批評で整理されます。
過去の知恵を財産として有効活用しつつ、政治的な上層概念を破壊することで、システムをアップ・デイトする
その時、戦線を離脱した後衛の老兵士は、「確かに懐かしいけれど、これ最新号なんだよね(笑)。」と言うかもしれません。
ヤミ米屋や、白髪ロン毛スーツな田舎議員や、いつも自問する・・・・。誰でしょう?『共犯新聞』など&などは、そのフロントです(笑)。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

横浜銀蝿と著名な建築家の間~またはたこ焼き屋と吉本隆明の間

 投稿者:中野真吾  投稿日:2020年 3月19日(木)18時18分30秒
返信・引用 編集済
  横浜銀蝿ですか!!!
なるほど信じられませんね。
その昔友達がテレビで紳助バンドを見たというので「どうだった?」と聞くと
「横浜銀蝿に強敵あらわる、じゃな」と一行で総括したものです。
しかしあの「マリアンヌ」や「われた鏡の中から」のギターをひいていた水橋春夫が、よく横浜銀蝿の音を我慢して聞いていたものだと思います。

これも大昔の子供向けテレビドラマ(「ロボタン」だったかな?たぶん違うか)にたこ焼き屋の親父が出てきて、主人公が「たこ焼きっておいしいね」とか話しかけると突然怒り出して「あたしゃたこ焼きが大嫌いなんだ!!」と怒鳴り出すシーンがありました。やや大人になると「世の中の多くの人はあのたこ焼き屋のように、作りたくもないものを作ったり、大嫌いなことをやり続けたりしてお金をかせいでいるんだ」と思うようになり

そのうち吉本隆明の「情況への発言」の中に、著名な建築家が設計した公共建築物の<美的な装飾>のための積石をひとつひとつ運んで積む工事人夫たちを見て「かれらはきっと内心で<こんなつまらぬ醜悪な装飾のために、おれは石を運ばねばならないのか。生きることは辛く嫌なものだなあ>とおもっているに違いないと推察しました。そして人夫たちの<口惜しさ>と、わたしが代弁するとすれば、これを設計した著名な建築家の建築美学を批判するほかにないのだと、熱い気持ちで考えました」という文章に出会うわけです。

>歌詞にもメロディーにも、ある種の既視感があり、それが聴き手には安心感を与える。
>私たちは、その麻薬からは永遠に逃げることはできない。
>だから、それを前提に前に進むのだ(ね?)。
     ↑
その通りですね。
うたや音楽は「流れてきて聞こえてしまったものに出会ってしまい魅せられる」ところから始まるから、自分の中のうたや音楽を越えていこうとする試みはいやおうなく一度限りの全否定のかたちをとる。これを否定を試みる「現在」から見ると、否定をしようとしている対象の魅力からは、常に呼び戻されてしまう。しかしそれでもその試みは、永遠に繰り返すほかない…ということかなと思いました。
 

ジャックスと横浜銀蝿の間

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2020年 3月18日(水)11時50分32秒
返信・引用 編集済
  If Mr.中野真吾 keeps on sticking his hand,
In the medicine jar

>「水橋春夫グループ」ってご存知でした?

■もちろん(?)知っていて、当時、『共犯新聞』でも紹介させていただきました。
水橋春夫はぼく、おしっこになっちゃった。ジャックスで、
印象的&アヴァンギャルド&オリジナリティあふれるギターを弾いていたし、彼が作詞&作曲をした「時計をとめて」は永遠の名曲だよね。
そんな彼が元ジャックスのベーシスト谷野ひとしと水橋春夫グループを結成し、2015年1月7日にアルバム『考える人』を発表。
翌年の2016年7月27日に2ndアルバム『笑える才能』をリリース。
なによりも、驚いたのはこのトリオのもう一人が、松村 雄策だってことですよねー。
で、もっと驚いたのは、水橋のジャックスの脱退が、ジャックスの崩壊≒日本のロックの可能性をせばめた原因なのに、
その後の水橋は、1980年9月21日にアルバム『ぶっちぎり』、シングル『横須賀Baby』で同時発売でデビューな横浜銀蝿のディレクターになったんだよなぁー。
横浜銀蝿のメンバーは、嵐ヨシユキ(らん・ヨシユキ、ドラムス・リーダー、1955年4月15日生まれ)&翔(しょう、ボーカル・ギター、1958年6月8日生まれ)の田宮兄弟が中心なので、
私よりも4~7歳上なんだけど、私が在籍したバンド=アブノーマル・ストリッパーの活動時期とほぼ同じ。
当時の私は、あらゆる「横浜銀蝿」的を全否定するために、
ジャックスとゆー具体的な理念を対立軸
にしていたのに、
な、な、なんと、横浜銀蝿とジャックスががーーーーーーん!つながっていたとは!

>1回限りの表現方法をフーやジミヘンに使われてしまった後進の者たちは、本当に大変だなあ

■私が横浜銀蝿に感じる違和感&不快感は、表現方法のルーティン化による再生産システムがオーディエンスに受け入れられた、ってこと。
私が言う「ジャックスとゆー具体的な理念」とは、それの真逆だ。
「表現方法のルーティン化」は、もうそれだけで、すでに「表現」では無い。
たとえば、革ジャン、スリー・コード、チャックベリーなどのフレーズ、リーゼント、男らしさ、など&など。
ジャックスは、そこからから500マイル離れている。
そんなジャックスの刹那的な手法は、アルバム1枚で解散したセックス・ピストルズや、自暴自虐なフーやジミヘンや、衝動で壊されたギターにも共通するよね。

>カセットレコーダーというエフェクター

■考えてみたら、
水橋のジャックス時代の曲「時計を とめて」も、
表現方法のルーティン化による再生産システムがオーディエンスに受け入れられた」ことによって、「永遠の名曲」になりえたのかもしれない。
改めて聴いてみると、歌詞にもメロディーにも、ある種の既視感があり、それが聴き手には安心感を与える。
私たちは、その麻薬からは永遠に逃げることはできない。
だから、それを前提に前に進むのだ(ね?)。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

暴力衝動と暴力の間

 投稿者:中野真吾  投稿日:2020年 3月17日(火)13時19分4秒
返信・引用
  ぼくクリムゾンファンを名乗ってるんですが、一生懸命聞いたのは「太陽と戦慄」~「暗黒の世界」~「レッド」と「USAライブ」だけで、「クリムゾン・キングの宮殿」はそれなりに聞いたものの他はほぼスルー。その中でいつか聞きたいと思いながらそのままになっていたのが「アースバウンド」です。
「アースバウンド」は昔渋谷陽一が「21世紀の精神異常者」をかけて、そのひずみきった音と演奏の凄さにうわすごい!となったものの、当時は金もなく、持っている奴もおらず、レンタル屋にも並ばずだったんですが、再プレスされて廉価で発売!と聞いて購入しました。

で聞くと、期待どおりの凄まじさだったんですが、なぜ今こういう音が存在しないのかという思いもやって来ます。こういった、自分の中に存在するものを表現するすべがないことへの巨大な苦痛といらだち、現在でも間違いなく存在しているはずなのに、どこにそれはあるのか、、、とか。
「21世紀…」以外の演奏は初めて聞いたんですが、かなりはっきりと「太陽と戦慄」以降につながる音になっています。ただ、ライナーノートにあるとおり、今回加わったボーナストラックの演奏はむしろより初期のライブに近く、つまり、ロバート・フリップは最初発売の際に「太陽と戦慄」に続く道を選び取ったんだということが強く感じられます。
このライブは会場でカセット録音されたもので、そのため音質が大変に悪いということは以前から有名でしたが、それはまあ大筋そのとおりなんでしょうけど、疑問もあります。記録用にしろ何にしろ、許容入力をはるかに超えて、あれほど歪みまくってしまうような録音を、普通するものでしょうか?あれは明らかに意図的な作業であり、「クリムゾン・キングの宮殿」以来の丹念に刻み込まれたような音の世界を脱却するためには、一台のカセットレコーダーというエフェクターがどうしても必要だったということではないかと、ぼくには思えました。

このCDを買った時、次第にロック仙人化しつつある「キング・ビスケット・レコード」の小野店主が「ムカシはよくみなさん、ステージでギターを壊したりしてたもんですけど、今でもやるんですかね~」と聞くわけです。仙人いわく何某という有名ロックバンドのギタリストが、演奏中何気なく舞台袖に消えたと思ったら、高級ギターを持っていたはずなのに再登場したら安物に変わっていて、おもむろにギターを破壊しはじめた…とか、別の何某という有名バンドのベーシストは、ベースを破壊しようとしたがどうしてもネックが折れず、やむなく膝で粉砕しようとしたら逆に膝が粉砕されたらしい…とか教えてくれるわけです。
ぼくはあまりロックのステージというものは見ていないのですが、今やる人はいないんじゃないかと答えました。あれはたぶん、いま自分が出している音では、自分の抱えている苦しみや情念をどうしても表現できないということの表出であって、あれをいつまでもやっていたらただのアホだろうと思ったわけです。
でも考えてみたら、そういった1回限りの表現方法をフーやジミヘンに使われてしまった後進の者たちは、本当に大変だなあと思えてきました。ロバート・フリップのカセットもそういうものだったのかもしれません。

ところで「水橋春夫グループ」ってご存知でした?
 

大は小をカメレオン

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2019年11月 9日(土)16時54分17秒
返信・引用 編集済
  Spirits of ancient Egypt, hung on Mr.中野真吾
>そのネーミングセンス

■つい1時間半ほど前に、札幌白陵高校『久保AB-ST元宏大先生講演会』担当関係者が、
私の講演の観客となる150人の高校1年生の生徒に、私が行った事前(笑)アンケートを、わざ&わざ我が社にまで持ってきてくれました。
アンケートの内容は、「好きなものベスト3」で映画や読んだ本など14項目と、住みたい場所、20歳を過ぎて住む街にあったらいいと思うもの、です。
彼らの回答は、なかなか興味深いのですが、おじさんには分からない固有名詞も多く、そのダイバーシティぶりが、楽しい(笑)
で、『久保AB-ST元宏大先生講演会』担当者から、こんなメールをいただきました。

こんにちは。
今日もホームルーム委員長と昼休みに集まりました。
昨日のうちに、
いつも自問する・・・・。誰でしょう?共犯新聞を閲覧する事
あさひサンライズホールのホームページを見ておく事、
それとシモのツイッターを見ておくように、
という宿題を出して質問を考えました。
結構面白い質問を考えた子がいて、楽しくなりました。
そこはお楽しみに…


■今や高校教師が生徒に、『共犯新聞』を読むように!と指導(?)する、とっても★いい時代になったのですねぇ(しみ&じみ&がくっ。)。
それにしても、今夜から『共犯新聞』はグラ祝杯できないのは、ビアの呪いかっ!?ビア★ふれ!ふれ!雨は降るな!ール特集ウィークに突入するのだ。いいのか、教育現場?
さて、『共犯新聞』1面と違い、めったに読まれない、ここ共犯ゲストブックを読んでくれている良い子だけに教えよう、
今月のグラのヒントは、『久保AB-ST元宏大先生講演会』が行われる11月15日

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

北の大地の大平原の大居酒屋で大酒を飲む大兄

 投稿者:中野真吾  投稿日:2019年11月 9日(土)00時51分56秒
返信・引用
  >札幌の白陵高校の体育館で『久保AB-ST元宏大先生講演会』が無料で開催されます。その後、ススキノの居酒屋で呑む予定です。いかがですか?
  ↑
なんと魅惑のお誘いでしょうか!ほとんど腰が砕けたんですが、残念ながら行けそうにありません。
しかしいつぞや書いた「いつかは北の大地で大兄と」という気持ちに変わりはないので、引き続きチャンスをうかがわせていただきます。
それにしても「大先生講演会」とはすごい。いや確かに「大」先生であるとわたくしも思うのですが、そのネーミングセンスに、かつて大山昇太が名付けた「大四畳半」を思い出したわけです。講演録または音源のアップを熱望するものであります。
 

レンタル掲示板
/15