Reload


teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


書は人なり。

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2019年 2月21日(木)11時23分55秒
返信・引用 編集済
  If there’s a ROCK SHOW at the Mr.泰弘's blog♪
>日向守さんが解読してくれるかも・・・

■私が『共犯新聞』1面トップに「おじいちゃんの撃たれたい夜。支那事変 第3回」をUPした直後に、
またしても『泰弘さんの【追憶の記】です・・・』の泰弘さん&小嶋日向守さんに、祖父の文字を解読していただき、ありがとうございます♪
■私も祖父の文字を読み進めてきて、少しは崩し文字(?)を読めるようになってはきましたが、
泰弘さんのご指摘「(下段8行目) 二三発 落下した ?前回出てきた發の字」の通り、前回出てきたのに、気づかずにスルーしてしまい、反省~。
■また、お二人ともスグに読んじゃう「朝」は、小嶋日向守さんの解説で分かりましたが、
なるほど行書体のこれが、「朝」の崩し文字!よりも、より草書体のこれが、「朝」の崩し文字!に近い。
この草書体は、私には「朝」よりも「戦」に近く見えてしまうのですが、やはり、これは圧倒的ながーーーーーーん!教養の差ですね。反省リプリーズ~。
また、このことにより、私の祖父@1901年金沢市生まれ世代にとっては、草書体が主流だった?との仮説が堅牢に感じてきます。
先日、私の高校時代の同級生で石屋を経営しながら書家をしている男と久しぶりに呑んだのですが、「文字を知る」から「文字を作る」に進む境地の深さを語ってくれました。
確かに文字を読み込むだけで、祖父に多面的に深く近づくことができています。
あらためて、お二人に感謝を申し上げます。
前回ここに、「この祖父の戦記手帳の連載は、毎月1回づつ続けていきたい」と書いていながら、さっそく1月はサボってしまいました。
どうか、泰弘さん、引き続き、長い目で(笑)ご指導をよろしくお願いいたします。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 
 

最終行は不明

 投稿者:泰弘  投稿日:2019年 2月16日(土)17時52分53秒
返信・引用
  > 久保AB-ST元宏さん・・お久しぶりです。

(写真上段2行目) 萬難を受け
(写真下段11行目) 萬難を排し  ?この2か所は同じ字

(上段最終行) 早朝 交戦止まず

(下段6行目) 火を発し
(下段8行目) 二三発 落下した ?前回出てきた發の字

(下段最終行目)彼〇ママニ ?は 判りません。
 日向守さんが解読してくれるかも・・・

https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself

 

祖父の戦記手帳の連載は、毎月1回づつ続けていきたいと考えています~♪

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2019年 1月 6日(日)17時08分11秒
返信・引用 編集済
  Follows Mr.泰弘, Venus and Mars are alright tonight♪
>応戦2時間

■泰弘さん、そして泰弘さんのブログ『泰弘さんの【追憶の記】です・・・』掲示板で即対応していただいた小嶋日向守さん、
私が『共犯新聞』1面トップに「おじいちゃんの撃たれたい夜。支那事変 第2回」をUPした2018年12月29日(土) 午後4時49分から約5時間後(!)には、
全て解読していただき、ありがとうございます♪
それなのに、私からのお礼が1週間後になってしまい、たいへん恐縮です。
私はスマホとか携帯電話のたぐいを持っていないので、パソコンから離れると、まったく事情から離れてしまうのです。すみません。
今回は、年末&年始を急に福岡&熊本で過ごすこととなり、飛行機のチケットを12月28日に取り、ホテルを29日にとり、30日の飛行機で福岡に行ってた
のでした~。がくっ。

>出征兵士の外地からの帰還は、輸送船不足で昭和21年頃から始まり

■なるほど。そう考えれば、今回、入手した親戚の手記も合点がいきますね。
私の祖父の戦争の手記を『共犯新聞』で紹介したおかげで、泰弘さん&小嶋日向守さんとも知り合えましたし、
私の祖父のルーツにもっとも近い親戚とも再会できました。
急がば回れ(?)ではありませんが、こうして間接的に事象を置くことで、直接よりも、より交流が深いところから始めることができるのは、とてもスゴイことですし、
インターネットはヘイトなどで評価が下がり気味ですが、我らのような行為が再びインターネットの価値を引き上げることになるべきだ・と、私は確信しています。
そうそう、年末には私の住む沼田町の無料の古本市で、児島譲『日中戦争VOL3/1937-1945』(1984年7月1日、初版、文藝春秋)を入手いたしました。
こうして私の愚かな脳味噌を鍛えていきたいと考えています。
この祖父の戦記手帳の連載は、毎月1回づつ続けていきたいと考えていますので、泰弘さん、長い目で(笑)ご指導をよろしくお願いいたします。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

全て解読です・・

 投稿者:泰弘  投稿日:2018年12月30日(日)08時26分38秒
返信・引用
  > 久保AB-ST元宏さん、お早うございます。
祖父さまの字は、丁寧な字ですので解読はしやすいですね。
(3行目)応戦2時間にて一時止む
(9行目)当地引き揚げの下(もと、または事)
(13行目)前進意の如くならず
(15行目)夕食の仕度中、両高地より敵の射撃を受け、食事もそこそこに前進す。
(次12行目)両側の高地に進み
以上の様になります。
http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html・・のサイト。

私の知る限り、出征兵士の外地からの帰還は、輸送船不足で昭和21年頃から始まり、シベリア抑留者などは昭和25~6年帰還というのが普通でした。

https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/37891113.html#37892042http://

 

君は僕の絵を描く、僕は別の僕に変わる

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2018年12月21日(金)11時12分17秒
返信・引用 編集済
  Were searching Mr.中野真吾, for the band on the run
相似形の現実例として示されたのが「誰も僕の絵を描けないだろう」というだけで感涙なのに、遠藤ミチロウがうたっているのは、わが岡山県の笠岡市にある「カフェ・ド萌」

■そりゃ&また、すげー超法規的&超放棄的なグーゼン♪
あの私の記事 「ゲーム世代の言語化、もしくは、異邦人とザムザの結婚」は、
実は翌日に沼田町議会で、私から町長に一般質問『金平町長の政治違う文字は、「宏」?「議」?手法を問う』を行う準備をしていたんだけど、
どーも気持ちが乗らず(笑)、
脳味噌のレッスンとして、11月9日に行われた『2018年度 誰も僕の絵を描けないだろう。沼田学園公開研究大会』を自動筆記(!)の手法で論じてみたんです。
横軸では、「ぼくらは理解し合えない」現場としての教育を、私が自動筆記で書いてしまった(笑)天才的かつ詩的なラインの「異邦人とザムザの結婚」に置き換え、
さらに、それを歌に消化&昇華&唱歌した現実例として、友部正人さんの超名曲「誰も僕の絵を描けないだろう」に結び付けたのです。
んで、縦軸に同じ曲を時間と表現者を替え、つまり、「相似形の現実例として」遠藤ミチロウさんの今年8月4日のライブ動画へと結びつけて、
私の脳内バーチャル空間をでっちあげたわけです。
そして、今年ほぼほぼ最後の共犯ゲストブック書き込みで、
ミチロウさんが、あの動画の直後の8月中旬に体調不良により医師の診察を受け、8月下旬に入院、
検査を受け、すい臓がんであることが判明し、手術を10月22日に行い、自宅で療養&リハビリ中、
って、あの動画の意味を、こーして、ここに書き留める機会を中野さんから与えていただき、
早川義夫さんも今年から歌から遠ざかっているし、メリー・クリスマス!

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

カフェ・ド萌だ!

 投稿者:中野真吾  投稿日:2018年12月19日(水)21時49分17秒
返信・引用
  いや感激ですね~。
大兄の問題提起とかみ合ってるかどうかわかりませんが、「ゲーム世代の言語化、もしくは、異邦人とザムザの結婚」にあった動画、相似形の現実例として示されたのが「誰も僕の絵を描けないだろう」というだけで感涙なのに、遠藤ミチロウがうたっているのは、わが岡山県の笠岡市にある「カフェ・ド萌」ではないですか!
笠岡市にはぼくのスピリチュアルな意味での姐御みたいな人がいて、ずっとライブなど行ってなかったぼくを「あんたあがた森魚好きじゃろう」と誘ってくれたのが萌でのあがた森魚ライブでした。そこでまた大昔の知人に会ったこともあって虫が起きだしました。しばらくしてまたあがた森魚のライブに行き、早川義夫+佐久間正英に行き、早川義夫+熊坂路得子に行き、またまたあがた森魚に行き、遠藤ミチロウに行き、今年の5月には平井正也に行ったのがカフェ・ド萌です。2年に1回くらいですが、かけがえのないライブに行かせてもらっています。
添付されているミチロウのライブは今年のもので、ぼくが行ったライブではないですが、それにしても…です。そういえばどれかのライブの後、姐御に連れられて行った店で初めて飲んだのがラフロイグ15年で(姐御の父君のボトルを勝手に飲ませていただいた)、一口飲んだ瞬間に「ああおいしい…!」という言葉が転がり出てきました。

また萌に行かなくては!ありがとうございました。

 

キワモノ・マイ・ハウス

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2018年12月12日(水)12時16分3秒
返信・引用 編集済
  Oh Mr.つぶやきシローも、やっているのだろうか?ナベブルトン男爵 ever left alive in 1985, will ever do♪
>久保さん紹介してくれたブラック浦さん

■私をジミー・ペイジな歴史のページ。ナベブルトン男爵に紹介してくれたのは、どらーる坂本公雄翁かと思っていたら、
そーか!ブラック(笑)浦澤貴雅@美術フリーペーパー『elan』だったのかっ。・・・すっかり、忘れていました。がくっ。
実は私は、浦澤さんから原稿を頼まれて『elan』に書いたけれど、彼とはいまだに(?)一度も会っていないんだよね~。
そも&そも、まだ生きているのか?政治の闇に、もぐりっぱなしなのか?
■ナベちゃんが大阪に戻ってから、
2010年10月30日~1月30日に札幌芸術の森美術館で『美術評論家なかがわ・つかさ』展が開催されたんだよね。
今から考えても、地方の美術評論家で展覧会をやるなんて、すげえ企画だし、センスぐんばつ。
そこの展示の最後の最後に、『elan』が展示されていて、私は凍り付いたよ(笑)。
もしも、ブラック浦さんが中途半端な選挙に溺れず、どらーる坂本が死なず、久保が本気になっていて、ナベちゃんの画廊『エルエテ』が黒字(?)で、
この4人が同時期に結び付いていたら、北海道の画壇=美術界=美術史も、もっと面白くなっていたかも?とか(微苦笑)。
まぁ、ほんとに、超ニアミスな4人だったんでした~。

>ロック聴いてるだけでキワモノな中学の時にキワモノ中キワモノのクィーン

■うん。あの頃、北海道新聞の国際面(←文化面では無く~。)のコラムにキッスの写真が掲載され、
単なるキワモノ=ゲテモノな話題で、
確かに厚顔無恥な中学生の私は、その写真が怖かった(笑)。
その少し前にNHKで日本のバンドが化粧をして腰をくねくねして歌っていて、気持ち悪かった。もしかしたら、サンハウスかな?
そうそう、ロックってキワモノだった。
今回のキング・クリムゾン札幌ライブに私と一緒に行った方は、1952年に芦別市の炭鉱で産まれ高校まで過ごして、
1960年安保の時は、クラスメイトに「あんぽくん」とゆー少年がいて、彼を「あんぽ、反対!」と、からかって、
中学生の時に三島由紀夫の盾の会のユニフォームが話題になり、三島が割腹自殺したのにショックを受け、自衛隊に入り、
その後、クラッシック好きがこうじて音楽の教員になり、校長へ。
いわば、クリムゾンど真ん中世代なんですが、彼が言うには、
当時は「ロックを聴いている人は、マイナーでしたよね。
少し前にビートルズがはやり、すぐグループサウンズになり、
それから、あっ!とゆーまに、フォークの時代になり、みんな吉田拓郎とか聴いていましたから、
ロックなんて、誰が聴いていたんだろう?」ってな、ことらしいです(笑)。
その方と同じ高校の数年後の後輩が、今でも芦別駅前でロックバー『ディラン』をやっているのに、このロック格差社会(笑)!
ロックとゆー難民キャンプ『デリンジャー』へようこそ、なんだわなぁ~。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

思えばカモンちゃんとこ、紹介してから何年になるかしら。

 投稿者:ナベブルトン男爵  投稿日:2018年12月12日(水)08時34分5秒
返信・引用
  デリンジャーに久保さん初めてご紹介して、呑んで帰った後、次に呑みに行くと、カモンちゃんがやたら、私に久保さんの事をあの人は誰?何者?ってひつこくひつこく聞いて来てたの思い出しちゃった。
写真見てカモンちゃん元気なのが分かるし、久保さんとも愛し合ってるのも分かる^_^
クリムゾン大阪1日だけ行くつもりが物足りなくて、2日目も当日券で行っちゃったら、2日目が断然良くて席も良いし、ガラガラ…^_^
でここの書き込みも何年振りか?
あの久保さん紹介してくれたブラック浦さんの事も思い出しちゃった!
話変わって共犯新聞にあるように、ボヘミアンラプソディーは、映画館で観た方がいいのかな?私は観る気がしないんですよ。全く世の中はフレディフレディって言ってるけど、おまえら、最近知ってって思ってしまう。
あれはロック聴いてるだけでキワモノな中学の時にキワモノ中キワモノのクィーン(大体バンド名ネーミン自体キワモノ)なんて出て来て、わあいなんだこの変態っなのが、カッコいいってなってハマってしまうわけで、今見ても懐メロでしかない。しかし映画は同世代からも評判がいいので、良いのかな?って行くべきか行かざるべきか、だって最近は息子に付き合って、アニメしか観ないから、一人で映画館に行かないとダメだし。寂しいし…
 

The Letters

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2018年12月 3日(月)18時12分10秒
返信・引用 編集済
  Picasso's Last Words (Drink To Mr.中野真吾)♪
>横浜市在住の知らない人からの手紙です。

■誰だろう。
すぐに思いつきませんが、むしろ私が知らない方の方が面白いですね(笑)。
私たちはインターネットに何度も裏切られながらも、手紙としてのインターネットにいまだにささやかな可能性を感じています。
私が中野さんと出会えたのも、このインチキな箱=インターネットのおかげですし。
だから、インターネットを私たち側からも裏切る回路として、手紙は有効なのかもしれません。
言い方を変えれば、インターネットを豊かにするのは手紙なのでしょう。
だから私は中野さんに夜高あんどん祭りのウチワとゆー手紙を送ったのですし。
札幌のススキノの地下に『デリンジャー』とゆーロック・バーがあるのですが、私はここにも毎年、夜高あんどん祭りのウチワとゆー手紙を送っています。
キング・クリムゾン札幌ライブの前乗りで札幌で呑んでいた私は、12月2日(日)午前2時過ぎ、2年ぶりぐらいに『デリンジャー』に行きました。
そうそう、キング・クリムゾンは札幌で1971年の曲「The Letters」をやりましたよ。

>不定形の塊である世界を、不自由な記号である言葉に写し取る

かたわとしての私たちが多様性の海に浮かんだり、沈んだり。
ここから先は、メディア論ですね。

>古本屋の外の100円のワゴンにあった「さようなら、ギャングたち」

■もちろん(?)私は1982年10月27日に発行した当時、すぐに買い、読みました。
高橋源一郎『さよなら、ニッポン ニッポンの小説2』には、伊藤比呂美『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』が「詩か?小説か?」で議論していますが、
まさに「さようなら、ギャングたち」はそうですよね。
当時、私は高田馬場の居酒屋でグーゼン出会った早稲田大学の学生数人と、文学論を戦わせたことがあり、
その時、「さようなら、ギャングたち」をどう評価するかも語られました。
その深夜、議論の勝者は、とーぜん私でしたが(笑)、最後に早稲田大学の学生が、
「君は、何学部だい?仏文?日本文学?」と聞かれた時に、
「私は、明星大学の経済学部です。」と答えたら、
品行方正な早稲田大学の学生たちは、とーぜん(がくっ。)私も早稲田大学の学生だと思った前提で長時間の議論をしていたよーで、
んで、とーぜん彼らは明星大学とゆー名前すら知らず、その場にいた私以外の全員が、「?」状態でした。
で、私は、その場に早稲田大学生だった町山智浩がいたよーな記憶もあるのです。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

手紙

 投稿者:中野真吾  投稿日:2018年12月 1日(土)22時41分27秒
返信・引用
  今日、家に帰ると手紙が届いていました。横浜市在住の知らない人からの手紙です。もしかしてと震える気持ちで封を開けると、ナカノ日報送ってほしいとのお便りと5枚の82円切手。間違いなく共犯新聞の読者の方からのお手紙と思います。久保さん、本当にありがとうございます。
もしもこの欄を読んでおられたら、横浜市の○○さん、ありがとうございます。うれしい夕刻をすごすことができました。郵便局が開いたら送らせていただきます。

>この本で高橋は答えにまでたどり着けない。では高橋は答えが分からないのか?いや、高橋は答えを分かっている。ただ、その答えを言葉にできないだけだ。言葉にしようとする純情が、文学だ。
  ↑
そうですね。言葉を使う人間というのは言葉を自由に操る人間のことじゃなくて、複雑怪奇な不定形の塊である世界を、不自由な記号である言葉に写し取ることを選んでしまった人間のことなんですね。とうていできるとは思えないそのことが、あるときほんの瞬間でもできてしまったと思える、それを忘れることができない人間なんだと思います。
先日年若い友人がメールをくれて、社会と自分との関連の理解しがたさ、違和感、無力感、その中で考え続けること…などが書いてありました。久保さんの「純情のアップデート」につながるるものを感じ、コピーしたものを添付ファイルにして送りました。
彼は古本屋の外の100円のワゴンにあった「さようなら、ギャングたち」で高橋源一郎を知ったのだそうです。

 

時間と空間を縮める2つの方法

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2018年11月29日(木)00時16分37秒
返信・引用 編集済
  No words for Mr.泰弘さん's love♪
>北海道から日本の南端、西端まで

■私の沖縄は2015年元旦に続いて2回目なんですが、
ステーキ・レストラン『サムズ』に行くと、2015年と同じ畑地誉に、クリソツ!シェフが担当でした(笑)。
ここはチェーン店で、シェフが無数にいるのですから、これは、かなりの確率?
客の目の前でコショウの瓶を、くる&くる回すのが売りなんですが、前回は一度落としたんですが、今年はバッチリでした(笑)。
帽子がから白になっていたので、出世したようでした(笑)。

>小嶋日向守さんはコメント欄だけのお付き合い

■泰弘さんのブログを読むと、インターネットは時間と空間を縮めたと感じます。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

・・・・・

 投稿者:泰弘さん  投稿日:2018年11月28日(水)21時27分13秒
返信・引用
  > 久保AB-ST元宏さん、北海道から日本の南端、西端まで言ってこられましたか。
そりゃ楽しかった事でしょう。
今後、お力に成れるかどうか分かりませんが何なりと相談してみてください。よろしく・・

小嶋日向守さんはコメント欄だけのお付き合いなのですが「モノクロ写真のカラー化の達人で研究者」で「歴史に関する情報通」だと私は考察しております。
「日向守」とあるので宮崎県出身か? と思います。

https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/folder/989823.html

 

泰弘さんと小嶋日向守さんも私の戦友かも・・

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2018年11月28日(水)17時14分56秒
返信・引用 編集済
  Don't complain it rains for Mr.泰弘さん and me Mamunia ♪
>辰澤昇道さんは、お祖父様が赴任地でたまたま出合った戦友ではないだろうか

■実は、私も泰弘さんが想像されのと、まったく同じ想像をしていました(笑)。
お名前の最後に「道」が付くのもお坊さんらしいですしね。
この手帳も、中盤は入院生活が書かれています。入院したおかげで(?)祖父の命と手帳が無事だったような気もいたします。
私は、祖父が戦地の病院前で数人と一緒に写っている集合写真を見たことがあります。
我が家のどこかにあると思うので、発見しましたら、また泰弘さんに見ていただこうと思います。そこから新しい情報も出てきそうですし。

>部隊名からある程度の活動状況が判ってくる

■なるほど!
あわてて、祖父の手帳をざっと見てみましたが、それらしい記載はありませんでした。
これも、写真など他の資料から分かるかもしれません。
それにしても、泰弘さんのブログ内ゲストブックで、私には見ず知らずの小嶋日向守さんが祖父の手帳の文字を熱心に解読していただいたり、
ありがたいことの連続です。
私は11月25~27日まで、沖縄、石垣島、竹富島に行ってたのですが、
その間に、泰弘さん&小嶋日向守さんが祖父の手帳を分析されていたことに、感激しています。
旅行に行く前に私は金子光晴ぜんぶ初版、ぜんぶ108円!しかも、まんだらけ。がくっ。『どくろ杯』を138ページまで読んで、そこにシオリをはさんでおいたのですが、
そこに書かれていた1930年の上海の赤甕の屋根を「干いた赤いかさぶたのようにそれはつづいていた。」と表現した詩人の言葉は、竹富島の風景のまんまでした。
そんな偶然も含めて、私の脳味噌はしばらく1930年代の中国をさまようことになりそうです。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

辰澤さんは戦友かも・・

 投稿者:泰弘さん  投稿日:2018年11月24日(土)18時50分26秒
返信・引用
  >久保さん、こんちは・・
辰澤昇道さんは、お祖父様が赴任地でたまたま出合った戦友ではないだろうかと思います。
出身を聞くと金沢市の持名寺の者だ、とかでご住職かではないでしょうか?
「ウチの菩提寺は金沢の林幽寺だ」と、意気投合して住所を書き留めた・・ではないかと思われますが如何?。
お祖父様は、北海道で出征し入営されたのでしたら、旭川115師団の連隊で訓練を受けられたと思われます。
ウチの親父は松山で訓練を受け満州牡丹江へ赴任しましたが、郷里へ送った軍事郵便には必ず部隊名が記入されており(岩6418部隊)、数年後南方のラバウルへ移動した時には(剛6418部隊)となっていました。部隊名からある程度の活動状況が判ってくると思われますが・・・
https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/10914464.html

山西省占領時↓
file:///C:/Users/FUKUSH~1/AppData/Local/Temp/ZAJ201512_003.pdf

https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/folder/989823.html

 

支那&ロケッツ

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2018年11月24日(土)10時50分18秒
返信・引用 編集済
  Let me roll it to Mr.泰弘さん♪
>●●養部

■私たちが子どもの頃、オトナに届く手紙の表書きは、達筆すぎて、ほとんど読めなかったのですが、
いつか自分もオトナになったら読めるんだろう、と、根拠のない未来予想図を描いていましたが、
おかげさまで(?)ワープロ→PCの時代、もはや誰も、そんな文字を書かなくなりました。
この過程で、1980年前後に「丸文字」と揶揄される角を丸くした手書き文字が流通しましたが、あれも今から考えると、PC時代の準備だったよーな気もします。
つまり、これはグローバル化を準備した文字のユニバーサル化なのでしょうか。
コドモに読めない文字は、ガイジンに読めない。それじゃ、文字の意味が無いじゃん。ってな時代の無意識のニーズだったのでしょう。
しかし、同時に我々は何か巨大で重要で魅力的な文化を簡単かつ永遠に失ってしまったのも哀しい事実であると私は思います。
いずれにせよ、「達筆」時代に読み込んでいた郵便配達員は、優秀だったんだなぁ~と、今でも時々思います。

>私も親父の戦死までの事情を詳しく知らなかったのであらゆる資料を調べた経験から、久保さんのお力に成ればと思っただけです。

■あらためて、泰弘さんのやさしさ、能力、ロケットのようなスピード感に感謝申し上げます。
『共犯新聞』はブログではなくホームページなので、整理されておらず、アナーキーな紙面(?)で読みづらくて恐縮です。
その点も、泰弘さんの編集能力の高さに感心しています。
『共犯新聞』1面トップの記事は、定期的にガラリと変わります。
この連載は、毎月1回づつ、読み進め&解読進めしながら続けていこうと考えています。
ここに保存しておきますので、時折、泰弘さんにもご確認いただき、指摘事項などを気軽にご教授いただきたいとお願いい申し上げます。

「おじいちゃんの撃たれたい夜。支那事変」

>久保さんも金沢市の持名寺へお問い合わせされれば辰澤 昇道さんのことが詳しく判明すると思われますよ。

■なるほど。
その泰弘さんのご指摘で私は思ったのですが、当時は戸籍の管理で最も信頼があったのが、自分の寺だったのかもしれません。
明治期に人が大移動した後、さらに戦争や焼け跡で住所や、生死までが不安定になるので、役所よりも寺が戸籍の根拠にになったような気がします。
我が家も、林幽寺に行けば今でも、久保の墓へすぐに案内してくれますし。
だから私の祖父も、「辰澤 昇道さん」の住所(?)として金沢市の持名寺を書き留めたのかもしれません。

>「支那事変」の写真はココを見れば、当時は兵隊の顔まで判別できます。

■すばらしい。
お世話になっているついで(?)に、泰弘さんに教えていただきたいのですが、
昭和12~3年の支那事変が書かれた良書を紹介していただきたいのです。
私はとりあえず、11月4日に古本『目撃者が語る昭和史・第5巻・日中戦争』(新人物往来社)をブックオフで買って読みました。
よろしくお願いいたします。

http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html

 

・・・・・

 投稿者:泰弘さん  投稿日:2018年11月23日(金)12時19分5秒
返信・引用
  > 久保AB-ST元宏さん
1面トップ記事も拝見しました。余りにもお褒め戴いてほぞ痒くなってしまいます。
私も親父の戦死までの事情を詳しく知らなかったのであらゆる資料を調べた経験から、久保さんのお力に成ればと思っただけです。
親父や友人からの読み辛い手紙の判読したりしましたので大体は判ります。↓
https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32976649.html

久保さんも金沢市の持名寺へお問い合わせされれば辰澤 昇道さんのことが詳しく判明すると思われますよ。
それから「支那事変」の写真はココを見れば、当時は兵隊の顔まで判別できます。↓
https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/folder/989823.html

https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/folder/989823.html

 

ご訪問ありがとう・・

 投稿者:泰弘さん  投稿日:2018年11月22日(木)19時31分13秒
返信・引用 編集済
  久保AB-ST元宏さん、
本日コメント戴いたので、ご返事の後ブログを拝見しました。
その中で、お祖父様の手帳の裏表紙の文字が草書の為、読み辛い部分(下記)
 ●●昇道
 持名る
 重慶市初●町
 北京兵站病院 ●●●部 受付係・・・は

縦書きの為、左から読むため
 北京兵站病院 ●●養部 受付係
 金澤市卯辰町 持名寺
 辰澤 昇道     と読めます。

(金沢市卯辰町 持名寺)を検索しますと実在しますので、
 そこの辰澤さんという意味でしょう。

https://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32731906.html#37837768

 

答え合わせから始まる問い。

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2018年11月12日(月)11時03分35秒
返信・引用 編集済
  Leave Mr.中野真吾 alone, Mrs Vanderbilt♪
>共犯新聞ご転居おめでとうございます。

■まだ「転居」なかば
昨夜も、『共犯新聞』1面・最上段の、
みなさまの『共犯新聞』のアドレスが「お気に入り」アドレスの変更を、してね♪変わりました。This home page's address was changed !⇒http://kyouhanshinbun.hp2.jp/index.html
のアドレスに「index.html」を付け加えました。
なぜならば、昨夜の『共犯新聞』の更新が、うまく転送されなかったので、こーしてみたわけです。
「更新」は私のルールですが、「転送」は公のルール。
でも、この場合の「公」は、国家や権力の支配の下ではない。
だから、岩谷宏がインターネットの初期に関心を持ち、関連書を書いたり翻訳していたりしていたのでしょう。
で、この民間の「法の支配」(?)という新しい国家(?)に住む住人たちは、
今回の「Yahoo!ジオシティーズ」が来年の私の誕生日で終了=「いちやーめた」のよーな理不尽を理不尽とは言えない穴に住んでいます。
■また、『共犯新聞』ジオシティーズ・サーバーは私が管理しているものばかりではなく、
カナダのサカタが彼のジオシティーズ・サーバーで保存してくれている旧ゲストブック・ページもあるので、それも転居しなきゃならない~。
さらに、膨大なすべてのページに、膨大な『共犯新聞』ジオシティーズ・サーバーへのリンクが貼ってあるし、画像もあるので、
それらも手作業(!)で来年の3月31日までにやらねば、消えちまう。
IT社会とは、家内制手工業社会。
ううううう・・・・・・。

>大兄は村上春樹の熱心な読者

■私の村上春樹好きは、彼が私にとっての最初のデビュー作から読み続けている小説家であるから、が最上位の理由です。
さすがに私も彼の自己模倣などに「やれやれ。」だったことは何度もありますし、安原顕がボロクソに言い倒した時にも共感しました。
■そー言えば、私は安原顕がスーパーエディターを自称(がくっ。)していた当時の書評誌『リテレール』の熱心な愛読者でした。私の名前が載った号もあります。
『リテレール』がインターネットで「書評道場」をやっていた時の最初の「横綱」(?)が私でした。
当時、私はインターネット上に投稿し、それを不特定多数の読者がどこでも&いつでも読め、レスポンスも双方向も可能であることに大きな可能性を感じていました。
しかし、『リテレール』を運営する「メタローグ」の経営不振や安原顕の死などで、インターネット「書評道場」は何の前触れもなく消えてしまいました。
そーなる前までは、私の書いた数十篇の書評は、そこで常に読むことが可能でした。
ある時期は、『共犯新聞』よりも、そちらでの私がより「有名」でした。私の名前で検索すれば、そちらが優先されていた時期もありました。
が、突然の消滅で読めなくなったと同時に、私は自分が書いた書評を保存していなかったので、それも同時に消えたわけです。
ですから(?)私にとっての理想の『共犯新聞』は、私が死んでも残りここのゲストブックに誰かが書き込むことによって永遠に更新されることです。

>原田義人 訳「城」を読むと、ところどころ村上春樹の語調を感じる部分があるんです。

■で、もちろん
私も作品とは抽象化することである、と言ってるかのよう な、カフカという文学フィルター。その具体に触れることができるとすれば、この上ない文学的興奮だ。カフカが好きですので、もちろん読んでいます。

>村上春樹は15歳で「城」を読んでカフカの世界にはまったと書いている

■そうですよね。
また、さすがの村上春樹でもまだ15歳ではドイツ語は読めないので、ベテランの原田義人(はらだ・よしと、1918年8月5日~1960年8月1日、享年41歳!)訳で読んだ可能性も高いことでしょう。
もちろん、新潮では前田啓作訳ですが。
11月10日の日本経済新聞の書評欄で、歌人の斉藤斎藤が『日本語誤用辞典』を紹介していました。
『共犯新聞』得意の(?)よりぬき抜粋。

日本語を学ぶ外国人の、気持ちはわかる「間違い」がてんこ盛りだ。
「はやく子供ができたいです(バングラデシュ)」
「その人はこのちかくにのろのろして、何の悪事をするにちがいない(韓国)」
「私はこの映画見る後で、もし世界の中で戦争はない、いいわねと思いました(インド)」
子供が「ほしい」より「できたい」のほうが切実だし、「近所をうろうろしている」よりも「このちかくにのろのろして」るほうが不審者だ。
「戦争はない、いいわね」は、インドの人の脳内で、世界平和がいちど実現されている。
どの「間違い」もびんびん伝わってきて、フェイスブックなら「いいわね!」を押してしまいそうだ。


違和感のある翻訳の魅力に私が合点がいったのは、
リチャード・ブローティガン夜の直線は、曲がっている。『西瓜糖の日々』(藤本和子訳)を読んでからなんでした。
これを読むずいぶんまえに読んだ野崎孝訳のJ・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』(白水社、1964年)にも、確かに心地よい日本語の違和感がありました。
違和感を違和感のまま、整理せずに、いや、違和感として整理する(?)。
言葉の最前線とは、そーゆー、ひりひりとした現場のことなのでしょう。
村上春樹が翻訳から文学に入った理由も、そこであると私は思っています。
ですから、「村上春樹の良い読者ではない」方の多くは、
村上春樹の作品は彼が刺激を受けた違和感のある翻訳から学んだ器用さによって整理されすぎていて文学から遠くになってしまっているから、だと私は思うのです。

>ぼくが知らないだけで常識

■発見の順番に価値はありません。むしろ、発見には絶対的な価値がある、と私は思います。
ですから私たちは、ジョン・レノンや早川義夫や『共犯新聞』(がくっ。)を発見したのですし、発見し続けているのだと思います。
ほらっ、例の「三角食べ読書」。あれから私は、再び、高橋源一郎『さよなら、ニッポン ニッポンの小説2』(2011年、文藝春秋)を読んでいます。
「三角食べ読書」のおかげで、この違和感のまま整理されていないメンドクサイ文体の評論(?)が読みやすくなったからです(笑)。
また新しい一週間が始まりました。今週の『共犯新聞』は、言葉を考える週になりそうです(笑)。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

お引っ越し祝い

 投稿者:中野真吾  投稿日:2018年11月10日(土)23時01分39秒
返信・引用
  共犯新聞ご転居おめでとうございます。

で、お祝い代りに、お暇な際の脳トレのネタを。大兄は村上春樹の熱心な読者であると思いますのでお尋ねします。
大兄は原田義人訳のカフカ「城」(角川文庫)を読まれましたか?ぼくは村上春樹の良い読者ではないんですが、この原田義人訳「城」を読むと、ところどころ村上春樹の語調を感じる部分があるんです。
特に末尾近く、Kとぺーピーの会話の中にはっきり感じる気がします。少し引用すると

K「もし、あの子が私のところへもおってきたら、私は幸福だろうけれど、でも私はまたすぐ、あの子のことをほうりぱなしにし始めることだろう。そういうことなんだ」

K「君はたしかにいい娘だ、ぺーピー。でも、それを知ることはそんなにやさしいことではないんだよ」

K「ちがうよ、ぺーピー、たといあの子がそんな矢をもっていたところで、こんな近い距離ではそれを射ることはできないだろうさ」

ぺーピー「ねえ、あたしたちは三人きりでも退屈なんかしなかったわ。にがい人生を甘く楽しいものにしなければいけないのよ。人生はあたしたちにとってすでに小さいときからにがくされていたのよ」

ぺーピー「いらっしゃいよ、ねえ、あたしたちのところへいらっしゃい!あなたにはどんな責任も生じることなんてないわよ。あなたはあたしたちのように永久にあたしたちの部屋に結びつけられてしまうわけじゃないのよ」

ぺーピー「ここでは冬は長いわ。とても長い冬で、単調なの。でも、下ではあたしたちはそんなことをこぼしはしないわ。冬に対してはあたしたちは安全なのよ。でも、いつか春もくるし、夏もきて、きっとそのさかりのときをもつでしょうね。でも、今、思い出のなかでは、春と夏とは短く、まるで二日以上はないみたいよ。そして、その短い日々のあいだにさえ、いちばんすばらしい天気の日に、ときどき雪が降るのよ」

いかがでしょうか。村上春樹は15歳で「城」を読んでカフカの世界にはまったと書いているようですが、それはもしかしてこの原田義人訳じゃなかったのか、カフカの世界とともに、この原田義人の文体にとらえられてしまったんじゃないか…とか妄想しているわけです。(見当違いかもしれないし、逆にぼくが知らないだけで常識なのかもしれませんが)

 

奇々怪々

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2018年10月24日(水)10時49分3秒
返信・引用 編集済
  Mr.中野真吾's a bluebird♪
>中島らも「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」と
>町田康「テースト・オブ・苦虫1」を購入したので、
>以前同店で買ったまま読んでなかった大槻ケンヂ「のほほん雑記帳」

■1984年12月30日(日曜日)に渋谷のライブハウス『ラ・ママ』で行われた、
オールナイト・ライブ『共犯新聞1984→1985ノンセクト・ラジカル・パーティ』に、
町田康@当時は町田町蔵と、大槻ケンヂ@筋肉少女帯が出演しています。
ちなみに、このライブには、あがた森魚さんも出演しています。
で、その当時、中島らもは雑誌『宝島』で脱力な戦略。「啓蒙かまぼこ新聞」を連載していたので、
まぁ、こちら側のヒトだったわけです(微苦笑)。
3は、魔法の数字~♪3は魔法の数字、とは、かつての『共犯新聞』の合言葉(?)でしたが、魔法は解けていないのでした~。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

レンタル掲示板
/14