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ねじりの回転

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 4月 3日(月)14時21分3秒
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  Mr.中野真吾 is my song,I am your singer♪
>お誕生日、おめでとうございます。すごい日ですね。

■ちなみに曜日は、土曜日です。
当時の銀行は土曜日も営業をしていましたので、年度末の商店主だった私の両親は、てんてこまいだったことでしょう。
つまり、私は生まれた瞬間から、モットーは、「ギリギリ・セーフ」なのです。がくっ。

>久保さんは「はみだしっ品のいいノスタルジアを持っているけだものの悲しさが美しい。 子」について書いておられますね。
>ぼくは「はみだしっ子」を連載途中から読みはじめ(といってもコミックでですけど)、あの結末がどうしても納得できず、忘れては考えを繰り返したあげく、
>6年ほど前に文章にして、知人の同人誌に載せてもらいました。

■三原順が白泉社の少女まんが雑誌『花とゆめ』に連載した1975年~1981年の時期は、ミニコミ誌ブームでもありましたので、
当時は、多くの愛読者が「はみだしっ子」について書いていたんだろーなぁー、とは私も思っていました。
が、ししか・・・・・・・・・死?かし、
「6年」前とは!
その思索の持続力に敬服します。
さらに、読まさせていただきましたが、すごく面白かった♪最後の謙遜の文章が必要ないぐらいです。いや、あの謙遜が、さらに「はみだしっ子」的にしています。
そして、岡山県の周囲(?)には、いまだに、文章≒活字で思索する文化がタフに生きていることを純粋に尊敬いたします。
以下、読まさせていただいた、
中野真吾『もう一度「はみだしっ子」を読む』から文章を抜粋しつつ、私の感想を書き加えさせていただきます。

>伏線に満ちた

■まさに、そうですよね。
そして、物語に慣れた読者たちは、伏線は「再会」や「どんでん返し」などとして「回収」されるべきものなのですが、
「はみだしっ子」は回収されずに、増幅するための伏線であり、長期連載中に、どんどんスパイラル状に伏線は増加してゆきます。
実は、これって「物語」よりも「人生」に似ています。
だから、読者は回収されない伏線に恐怖を感じるのでしょう。これが「はみだしっ子」全体を通じているムードです。

>歪んで傷ついている心は、癒されようとしないことを自分の支えとするが、
>歪んだ心が自己を治癒することはそもそも可能なのか

■私は昨日、映画『ムーンライト』を観てきました。
何度も観せられた予告編で、テーマは、人種、貧困、世代の間の「差別」だろーなぁ、と、私は観る前から観た気分になっていたのですが、
実際に観ると、さらにそこに同性愛の「差別」も加わっていて、
こりゃぁーとーちゃん、笑い過ぎだろ。トランプ大統領が嫌いなもののパレードだな、とアカデミー賞の政治性を強く感じたしだい。
この映画に比べれば、マジ?うっそー♪『ラ・ラ・ランド』は黒人音楽を植民地化した白人の物語ととらえることも可能です(笑)。

>自分に何かを行う資格があるのか

■ねじまがった度合いを個性と呼び、「整理」ができるのならば、そも&そも、中野さんが指摘する問題は起こらない。
我々は、精密なダイヤルのように、ねじまがった度合いを数値化し、数値が正確に合った存在ごとに棲み分ける政治を選んではいません。
我々は、「回収」や「整理」の機能を持った物語から、宙ぶらりんにされているのです。

>グレアムの中で何が解決されたか、あるいは何が断念されたかがよくわからない、
>というか納得が行かないのだ。

■迷える若き共同生活者たちの雪の中での殺人、と言えば、1971~2年の連合赤軍リンチ事件を連想させるし、
それを「誰もが忘れてしまったように」している中で起こる
「爆発事件を起こして守衛を死なせた」にも、70年代★新左翼の暗い影を感じさせます。
つまり、真崎守『共犯幻想』の主人公たちのその後が、「はみだしっ子」である、と幻想してみるのは、間違っているでしょうか。

>僕にはなぜフランクファーターがグレアムにとってそれほど大きい存在なのか、よくわからない。
>そしてきっと、それがわからない限り、「はみだしっ子」の結末もわからないのではないか

■「ねじまがった度合いを個性と呼ぶ」のなら、
「ねじまがったエディプス・コンプレックスも個性となる」、のか?
いずれにせよ、タイトルに「子」を付けたからには、対峙する「オトナ」を描く必要が三原順にはあったと思います。

>社会は彼を矯正しようとするだろうが、
>歪みの上に歪みを重ねるか、踏みつぶすことしかできないだろう。

■そこが、更生保護の課題であり、
乗り越えなければならない「社会」の限界であり、
その「社会」のツールとしての「教育」や「政治」、「法」などの課題ですね。
そして、「社会」の課題の未解決を自覚したまま、我々は、個人の課題によりそわなければならない。
それを、我々は、ときどき、愛とか呼ぶのですが。

>自分の苦しみに気付いてくれ

■相対化する能力。

>「ボク行かなきゃ!」「今度こそ!!」

■再生を可能とするものは何かを読み取らなければならない。それが表現から個人へのバトン。

>殺人が誰にも知られずに終わるのなら、この苦しみも誰にも知られずに終わってしまうことの空しさだ。

■「知られない孤独」、「忘れ去られる孤独」。
その穴をふさぐツールとして言葉を覚えた「けだもの」としての人間。

>書く前よりもいくらか理解ができるようになった

■言葉で考える力。
グレアムは、小説家になるべきです。それが彼を救う数少ない進路でしょう。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 
 
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