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(無題)

 投稿者:AndreyTot  投稿日:2017年12月15日(金)13時30分44秒
返信・引用
  Привет
Тут все написано подробноаварийное открывание замков
 
 

再訪

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年12月14日(木)23時43分2秒
返信・引用
  サカタ@カナダさん、ありがとうございます。
本日再訪してみたら、お店満員で、ゆうたろう氏大忙しでした。
またライブに行ってみます。
 

なつかしきゆうたろう

 投稿者:サカタ@カナダ  投稿日:2017年12月13日(水)16時15分24秒
返信・引用
  中野真吾さん、面白い話をありがとう。Facebookに転載しておきました :-)(アブノーマルストリッパーのギターサカタ)  

ゆうたろう氏に会った!

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年12月12日(火)21時52分11秒
返信・引用
  三宅“土人”伸也氏にはもう会う方法がないわけですが、ゆうたろう氏は「麦」というネパール料理のお店に行けば会えると聞いて、今日の昼に行って来ました。写真で見るときつめの男前であるゆうたろう氏は、とっつきのいいお兄ちゃんで、気楽に話しかけることができました。
中:ゆうたろうさんですよね。
ゆ:そうですが…
中:ホーボーズ・ジャングルの「ゴールデン・タイム」を聞かせてもらったんで…
ゆ:へえ~。またなぜ…
中:話すと長いんですが、久保元宏さん、ご存知ですよね。
ゆ:久保さん!アブノーマル・ストリッパーの!北海道の!
中:僕は久保さんの共犯新聞のファンで、ゲストブックにファンレターみたいなのを書いたら返事をくれて、やり取りしてるうちに「岡山在住なら“どじん”をご存じですか」と言われて(以下略)
というわけで、いろいろ話をしました。
「久保さんの音楽は、ともかく凄かったですね。続けてればいいところまで行っていたと思うんですが、本当にスパッとやめちゃって」「曲はストレートなんですが、歌詞はPモデルとかあの辺の影響を受けてて、パレスチナのこととかガンガンうたってました」「姿がまたかっこいいんですよ。身長180センチくらいあって」「共犯新聞(笑)、ライブでやってましたね。メンバーが出てきたけどボーカルがいないと思ったら、久保さんが朗読するんです」自分のこととかバンドのこととかろくにしゃべらないで、ともかく久保さん、久保さんでした。
なぜ共犯新聞を知ったのかと聞かれて「共犯幻想を調べようとネットを検索してたら偶然見つけて」と言ったら「共犯幻想って?」と聞かれ、これこれこうこうと説明したら「共犯新聞ってそこから来てるんですか」と納得してました。今度持って行ってみよう。
ともかく話がはずんで、これほどおいしい昼ご飯を食べたのは久しぶりでした。まるっきり話し足らないので、近いうちにまた行きます。会ったことのない久保さんと会うことができない三宅さんのおかげで、すぐ近くにいるまだ知らない人に会うことができました。ありがとうございます。
 

落語、文学、音楽、ディラン

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年12月 2日(土)10時47分43秒
返信・引用 編集済
  Jet I can almost remember Mr.ムチャぶりに、こんがらがって♪ディラン's funny faces♪
>そんなHARD DAYSだったのに共犯の本質。本質の共犯。引き受けてくれるなんて、久保さんの極楽ドクター!風邪が治らない~って、普通そんなにすぐには治らないのかな?中毒も重症ですね。

■昨日、猛吹雪の中、札幌市へ日帰り営業+ついでに(?)やっぱ、映画館で観たい♪映画3本(極楽中毒も重症←の証明。)の視界ゼロのカー・ラジオで、
NHKラジオ 「高橋源一郎 × サンキュータツオ」を聴いていましたら、
立川談志 「こいつぁ極楽だ」がかかりました(笑)♪
ご存知、サンキュータツオ(1976年6月21日生まれ)は、漫才コンビ 「米粒写経」でありながらの、日本語学者。
さん生師匠の沼田町ライブが決まった頃、ディランさんからいただいたのメールの文末に、なにげに、
故・苫小牧ライブハウス『アミダ』の田中ツル田中ツル、山口洋 (苫小牧にて)2006年マスター寄席文字の達人だったので、こういうとき生きていればと思います。」
と、書かれていて、ポン!(←ひざを打つ音。)
そう&そう、なのだ。私は、寄席文字ではなくて、これを、寄席「文学」と誤読しちまったのです(笑)。
サンキュータツオは、早稲田大学第一文学部文学科文芸専修卒&同大学大学院文学研究科日本語日本文化専攻修士修了。
しかも、習った教師がマグリット・デュラスなどの翻訳者=平岡篤頼!
平岡の学部での教え子は、栗本薫、重松清、堀江敏幸、小川洋子、角田光代、勝谷誠彦ら、すげー文学者が続出してますよね~。
んで、サンキュータツオの卒業論文は立川志の輔に2年間密着取材をした「落語」!
さらに今、若い落語ファンの大量の掘り起こしをしている『渋谷らくご』の伝承者が、彼。
ラジオで高橋源一郎が彼に、「なんで、落語に興味を持ったの?」と訊くと、
「もともと、高校時代から文学という病と治療。夏目漱石と、内田百閒が大好きで、彼らの小説に落語が出てくるので、こんな面白い人の好きなものは、もっと面白いんだろう、と寄席に通うようになりました。」
と、言うのだから、私の読み間違い寄席「文学」も、まんざら、ナイスだったわけです(?)。
そもそも、私も夏目漱石と、内田百閒が大好きだし、民俗学も好きなので、三田村鳶魚や森銃三も好きで愛読していて、生で落語が聴けない不幸を嘆いていたわけです(笑)。
一方で、古今亭志ん朝が2001年10月1日(月曜日)午前10時50分に、肝臓がんで享年63歳で死んだときも、ディランさんからのメールで教えていただき、
私は『共犯新聞』に、「共犯の本質。本質の共犯。落語とは、音楽の一ジャンルである
との名言を書き、
ディランさんからおほめのお言葉をちょうだいしたのも昨日のことのようです(遠い目)。
落語が、文学であり、音楽であると、シンクロした現在、我らが文学に、こんがらがって。ボブ・ディランがノーベル「文学」賞を受賞したので、
落語、文学、音楽、ディランのキーワードを強引につなげてみました。
でもなんかつながってますよね。
・・・てか、ボブ・ディランって落語家かも!

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

つながり

 投稿者:ディラン  投稿日:2017年11月30日(木)12時25分23秒
返信・引用
  そんなHARD DAYSだったのに引き受けてくれるなんて、久保さんの極楽中毒も重症ですね。
あらためてありがとうございます。

演目は「天狗裁き」と「試し酒」でしたか。
志ん朝の亡くなる半年ぐらい前、新十津川のゆめりあホールで、志ん朝一門会がありまして行きましたが、すっかり痩せてしまった姿に驚きました。
そのときの志ん朝の出し物が「試し酒」でした。
体調的にはかなりしんどい時期だったと思いますが、それをまったく感じさせない見事な一席でした。
最前列で堪能していたところ、偶然隣に座っていたのが、芦別の米屋さんの中本さんでした。
その縁で中本さんの三遊亭小圓朝落語会のお手伝いを十年やったんですが、小圓朝の十八番が「天狗裁き」でした。

米屋さん、試し酒、天狗裁きのキーワードを強引につなげてみました。
でもなんかつながってますよね。
 

ムチャぶり天国

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年11月29日(水)14時59分0秒
返信・引用 編集済
  Mr.ムチャぶりに、こんがらがって♪ディラン's searching everyone
For the band on the run♪


>今回のムチャぶり、「柳家さん生共犯の本質。本質の共犯。落語会」引き受けていただきありがとうございました。

■ディランさんからムチャぶりされた10月4日、
♪おにぎり、むしゃ&むしゃ。やっぱ、具は明太子~!ヤミ米コメの重さの意味を肉体が知る秋。稼業の繁忙期。売ったり、買ったり、今金や北見などへ出張もし、てんてこ舞い。
また、55歳だからと準備して遠回りって、何?クラス会をやるし、とーぜん(?)やっぱ、映画館で観たい♪映画は観なきゃとか、
こんな時に限って、グラガが結局、この日も、べろ&べろに酔って午前0時30分に帰宅。がくっ。的中してフェイク菜々緒に、イミテーション葵わかなのゴージャス定食セット!祝杯だぁ~と、痛飲しちゃうし、
さらに、11月19日の沼田中学校70周年またしても、すげーこと、みんなで、やっちゃった。岡田会長、あざーーーっす。『式典』がらみの、あれや&1件目『はたご』~2件目『ハート・フィールド』♪結局、午後6時~午前2時。がくっ。これや。
そこに、沼田町議会『決算特別委員会』が1週間、刺さって来た。
その合間に、ライオンズクラブ100周年やら、役員の選考の根回しで、奔走。
それなのに、札幌へ日帰りでライブを観に行くしー。
ふつーの常識人なら、断るだろう。
「落語?それどころじゃねぇ!」
が、
かし、
残念なことに私は、ふつーの常識人じゃ、なかった
がくっ。

>久保さんだったら、必ずこの世の極楽のような空間を作ってくれると信じてました。(笑)

■例によって(?)いくつか仕掛けをしたのですが、
たとえば北海道新聞に掲載された「落沼会(らくしょーかい?≒楽勝かい?)」。
新聞報道の会長=太田雅彦さんは、かなぁ~り、ごーいんなムチャぶり事後承諾(笑)。
この方が2004年8月に、私に落語のカセット・テープを100本(!)貸してくれた方。
実は、深川市であったお通夜のついでに、北海道新聞の深川支局へ落語の取材のお願いに行ったところ、
星野真支局長が、「告知だけなら文字のみ3行ぐらい、スグ載せます。しかし、久保さんは、記事にしてほしいんでしょ?」
「はい(照)。」
「なら、たとえばぁー、沼田町の住民が落語の会を立ち上げるとか。」
・・・で、数日後、別の葬式の時に、葬式のお手伝いをしている若林博士に声をかけ、
「沼田中学校70周年の行事が終わったら集まろう」と、その翌日の20日に決めてから、
太田雅彦さんが落語が大好きなので、声をかけたら、当日ドタキャンでした。がくっ。
北海道新聞としても19日に妹背牛町の町長選挙が終わるので、20日は取材しやすい日でした。
で、20日に北海道新聞の取材を受けて、記事が掲載される前日に太田さんに電話して、「会長になりましたから♪」「?」。
それと、実は、今回、師匠の高座を取材する北海道新聞の支局長が、JRヲタクなのです(笑)。
彼に、「芦別と札幌の間でJR駅のある街を師匠が探していた。なぜならば、今回は付き人やマネージャー無しで、師匠がおひとりでいらっしゃるので、JR駅がある街が条件なんです。」と言うと、かな~り、喰いつきました(笑)。
そして、なんと、彼、当日、取材に来るのに、ポケット・マネーで前売り券を買ってくれました!当日は、彼もJRで観に来て、終電まで師匠と呑みました♪
なんて、いいヤツなんだ!
と、
いろいろ、最高じゃね(笑)?

>すごくいい雰囲気ですね。

■うん。
びっくりしたのは、沼田町にもコアな落語ファンが、けっこーいる、って大発見です。
特に60歳以上は、ラジオで落語を熱心に聴いていた世代なんですね。
下記の写真1枚目の80歳の方は、眼をつぶりながら少年時代にラジオを聴いていた雰囲気でした。で、おかしい時に、この表情!
同様に、同じ沼田町民ですから、普段からよく知っている方が、何人も当日、ひょこっと落語を聴きに来てくれて、
「久保くん、新聞で見たよ。さん生さんっーたら、小満さんの弟子じゃねーか。こりゃ、すげぇや。」
と、話しているうちに江戸弁になったり(笑)。
新宿の末廣亭にわざわざ行く主婦とか、桂枝光(かつら・しこう、元・小つぶ)の追っかけのサラリーマンとか、色々いらっしゃったり、
そんな方が10人ほどもいて、びっくり!
・・・きっと、まだまだ、沼田町にも落語ファンをカミングアウトしていない地下生活者がいっぱいいそうです。
あと、落語を初めて生で聴く方も、酒を楽しみながら、ツボを心得た高笑いをしてくださり、みんな、おとなの遊びを知ってるなぁ~と、感心&感心。

>紹介してくれたファッジの原崎さんにも感謝です。

■ぜひ、よろしくお伝えください!!
Facebookの師匠の高座でのアップの写真、いいっす♪

>「文七元結」聞きたかった・・・。

■ですね。
実は、私は「文七元結」をちょっと研究して当日に臨んでいました(笑)。
結局、沼田町では、「天狗裁き」と、「試し酒」でした。
もちろん、それ&ぞれに、すばらしかった。
師匠に、「客を観て、演目を変えたのですか?」と聞いたのですが、芦別ディランでも同じだったのかな(笑)?
では、近々、『共犯新聞』1面トップで「柳家さん生師匠ライブ・イン沼田町」大特集をする(かもしれない)ので、お楽しみに~♪

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

お疲れ様でした

 投稿者:ディラン  投稿日:2017年11月28日(火)21時43分50秒
返信・引用
  今回のムチャぶり、「柳家さん生 落語会」引き受けていただきありがとうございました。
久保さんだったら、必ずこの世の極楽のような空間を作ってくれると信じてました。(笑)
すごくいい雰囲気ですね。
写真からも伝わってきます。
紹介してくれたファッジの原崎さんにも感謝です。

「文七元結」聞きたかった・・・。
また懲りずに、この世の極楽化作戦やりましょう!
 

友部正人のいらだち+平井正也の冗長+良元優作のフレーム

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年11月 3日(金)16時10分38秒
返信・引用 編集済
  Loup (1st Indian On The Moon) for Mr.中野真吾♪
>その現実の中に生きている人間には、その現実の中にしか進んで行く場所も救いも存在しない

フレームの存在に気が付かさせるのは、革命家の最初の一手かもしれません。

>整理しようとか方向を見ようとかしすぎ

■そも&そも私が中野さんに『ローサは密告された』を観て&感想をうかがいたかったのは、
中野さんが『彼女の人生は間違いじゃない』を観て、「解決や解消や回復を作り物っぽく見せてしまう」と違和感を感じ、
『幼な子われらに生まれ』を観て、「宮藤官九郎、素晴らしいですね」とつかみ取る感覚の鋭さの先に、『ローサは密告された』があるように感じたからです。
つまり、『彼女の人生は間違いじゃない』のデリヘル嬢の主人公を、『幼な子われらに生まれ』の宮藤官九郎が演じたら、『ローサは密告された』になるのではないのか?

久保AB-ST元宏と、友部正人。友部正人の「ジュークボックスに住む詩人」

■私が持っている友部正人の本『ちんちくりん』(1978年)には、「君の絵は、無邪気さがない分だけつまらない。つまらない分だけよくしゃべる」と書かれていて、
つまりは、「得体が知れ」ちまっているのに、「整理しようとか方向を見ようとかしすぎ」、ってことでしょうか。

>『ROCK HOUSE DYLAN』のマスターが言われているこのインタビュー、ぼくも平井正也を知ってすぐネットで見つけて、いいなと思った文章です。こういうこと、うれしいですね。

■透明な国が存在している。

>「うた」っぽいあざやかさにどうしても近づいて行かない

■最初、上記のカキコミを読んだとき、「あざとさ」かと思ったら、「あざやかさ」、なんですね。
なるほど。
高田渡のライブをいくつも観ることができた自分の幸運と、自分が落語が好きな理由とか、
ジョン・レノンが「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」を歌い出すときの、まるで話しているかのような自然な「あざやかさ」。
日本の流通が切り捨てているもの。つまり、日本の流通のダサさ。
私が♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die平井正也を体感した夜、前後に北海道のロケンローラーが分かりやすい感動の言葉で主張していたけれど、
平井正也はアニメ声で日常から半歩ずれた世界を描き、ひずんだギターをやや冗長に弾いていました。
出会った瞬間に、「遠藤賢司さんに、お世話になりました。」と、まるで私がエンケンの遺族のように言い出した透明な国の住民ぶり。
ああ、あの冗長なギターはエンケンに届くように弾いていたのかな。
でも、平井正也に友部正人や早川義夫を聴こうとしていた私は、むしろトム・ヴァーラインや、エコー&ザ・バーニーメンを想い出したのでした。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

友部正人の本+平井正也の発言+良元優作のうた

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年10月24日(火)17時39分37秒
返信・引用
  >つまりは、すべての表現や報道に客観は無い、ってことです。んで、それは超☆大前提で、
  ↓
確かに、そうですよね。ドキュメンタリーとか劇映画とか書いてるとき、自分でも何か変なこと言ってるなあと思いながら、深く考えず済ませてしまったんですが、横着でした。
で、久保さんの書かれたことに助けてもらいながらもう一度考えようとしたんですが
①逃れたさゆえの密告とか賄賂要求とかそれへの屈服の成就とか、言いようによっては「卑小」なあれこれが圧倒的な現実としてあること
②この映画はその現実からの脱出など、決して提示しようとはしていないこと。その現実の中に生きている人間には、その現実の中にしか進んで行く場所も救いも存在しないこと
といったことをぼんやりと考えただけでした。

結局のところぼくはこの映画を体感としては理解できていなくて、自分はやはり整理しようとか方向を見ようとかしすぎなのかな、とか思っていたら、けさたまたま読み返していた友部正人の「ジュークボックスに住む詩人」の中で「両手を頭の後ろに組んで、空を見上げている青年がいる。くんずほぐれつの世の中で、青年は煙のようにぽつんと立っている。たぶんブレヒトには高い理想があって、エゴむきだしの悪漢たちの愛も、すっぽりとその理想の中に入ってしまうのだろう。景色の中の煙のように」という文章に行き当たりました。きっとこういうことなのでしょうか。

「平井正也、いいですね。平井正也(マーガレットズロース)インタビュー」
  ↑
『ROCK HOUSE DYLAN』のマスターが言われているこのインタビュー、ぼくも平井正也を知ってすぐネットで見つけて、いいなと思った文章です。こういうこと、うれしいですね。

ところで、FBに書いたらさっそく反応してくださってうれしかったんですが、来年1月に「古本ながいひる」で良元優作のライブができることに決まりました。このうたい手を知ったのは5年半ほど前の春一番で、それまで全く知らなかったんですが、「ゆうれい」と「満月の手紙」で完全にやられてしまいました。それ以来寝ても覚めてもみたいになって、今年1月ついにライブが実現でき、今度が2回目になります。
この人のうたも、とても説明しにくいんですが、ともかく「うた」っぽいあざやかさにどうしても近づいて行かないところがあって、何気ない言葉が生身の声としてうたわれていく中に、腹に沈んでいたものがぬっと顔を出すと言いますか、普通の声で馬鹿なことや当たり前のことを話している人がふと漏らした言葉がこちらの身体にいやおうなくしみ込んでいくと言いますか、まあ、ぜひこの動画を見ていただいて、気に入ってもらえたら他の動画も探してみてやってください。

ゆうれい↓
https://youtu.be/Q42PvCHk2ss

満月の手紙↓
https://youtu.be/iuYtnDZW4Rs

 

古い船をいま動かせるのは古い文法じゃないだろう

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年10月21日(土)01時23分47秒
返信・引用 編集済
  When The Night, Mr.中野真吾 said right♪

>これが今の現実そのままであるならドキュメンタリーであるはずで、
劇映画であるからには、現在ある実体の向こうの、監督が見ようとしているものが作りこまれているはず、それがぼくには見えない

■つまり、この映画『ローサは密告された』は今までの映画の文法とは違う文法を使っている、ってことですよね。
そこがスゴイところで、そこが私が中野さんに体感していただきたかったところですので、まずは作戦大成功(?)♪です(笑)。
我々は、息を吸う手法から、自動車を運転する時のブレーキの深さを決める手法まで、いつの間にか多くの手法を無意識のままに使っています。
ところが、どーしても世間との違和感から逃げられない「根の暗い話」を抱えて生きている者どもには、それが自同律の不快でもあるのですよね。
■ご指摘の通り、この映画を観る者は「劇映画」であることを知っていながらも、観はじめると、「あれ?これってドキュメンタリー?」と感じてしまいます。
それは俳優たちのあまりにも自然な動きや、手持ちカメラのリアルさが準備しているのですが、
カメラがパトカーの中に入った瞬間に、「あ。そ、そ、っかー、これ、劇映画だったよね(微苦笑)。」と暗闇のおひとり様プチ反省会。
そしてラスト、主人公が解決を得て家族のもとへ急がねばならない時に、
路地の屋台に入り、日本人には謎なジモティー・ソウル・フードを無言のまま&立ったまま、すごい勢いで食べ始める迫力。
この迫力は、私が子供のころにテレビの『ウルトラQ』を椅子の後ろに隠れながら観たことを想い出させてくれました。
まぁ、そーゆー意味じゃ、最後のシーンは、ある意味(?)怪獣映画かもしれません。
それは、優れたホラー映画が、観る者の精神の中に入って来るよーなものなのでしょう。
そのリアル感は、この映画が最後の最後に、この映画は、やっぱ、新型のドキュメンタリーであるっー宣言を暗闇の客席にぶちまけた瞬間を創造していたと思います。
主人公の最後の立ち喰い姿は、社会の理不尽さから逃げなかった者だけがまっすぐ感じることができる憤り、なのでしょう。
ただ、そう分析してしまうことが、恥ずかしくなってしまうほどの、魅力的な得体のしれなさが、この映画にはあります。
何を見せられるかが事前に分かっているショーよりも、分からないショーのほうが、ちょっと怖いけれど素敵(by.チャクラ)?
そして、実はドキュメンタリーの定義って、それだと私は思うのです。
だから、ドキュメンタリーと劇映画の分類分けのはざまでゆらぐ中野さんの映画体験は、貴重だったと思う私なのです。
さらに蛇足をもう1本むきだせば、「現在ある実体の向こうの、監督が見ようとしているものが作りこまれている」のは、
劇映画だけではなくて、ドキュメンタリーも、そーなのです。
原一男だって、NHK『7時のニュース』だって、「現在ある実体の向こうの、監督が見ようとしているものが作りこまれている」のです。
つまりは、すべての表現や報道に客観は無い、ってことです。
んで、それは超☆大前提で、この映画がスゴイのは、劇映画とドキュメンタリーをかき混ぜつくした果てに、観客がマニラの路地に放り投げ出されちまうからでしょう。
その時に、私たちは主人公かもしれないし、裏切った少年かもしれないし、勝ち誇った警官かもしれないし、路地の傍観者かもしれない。
そいつらは、たとえば、今、行われている衆議院議員・選挙との距離の差異ごとに生まれる無数のキャラクターのように日本の路地にも存在している。
だから、私たちは、そのあらかじめ与えられたキャラクターのどれかに当てはまるのではないか?と、いやなあぶら汗をどろりと流すのです。
ですから、私たちは「新しい」映画を観たのです。

>スイス・アーミー・マンですね。配給会社の関係で私どもの館ではできないんです。

■ググれば、配給会社は、天下のジャニーズおかかえバブルなポニー・キャニオン。
私の息子が働く虎ノ門ヒルズのご近所の、あそこか~(笑)。
まぁ、ソレもまたしても「社会の理不尽さ」であり、「社会の理不尽さ」とは実は「おとなの仕組み」である、とゆー不快(笑)。
でも&また&もう一方で、嗚呼、映画って、興行だったんだ~。とゆー想い出し。
かつて学校で映画を上映しようとしたら、「映画は文化ではなく、興行だから。」との理由で拒否られた歴史がありますが、
ヤミ米屋な私には、興行とゆーダークさ(?)も含めて「映画」的♪と、薄笑い♪
■んなら、岡山県でポニー・キャニオンがらみの企業を探して、「中野がプリントしていったゲストブックを」見せればいいじゃん(笑)。
もしくは、ポニー・キャニオンに電話して、「岡山県で上映されないので、自主上映したいのですが~。」「会場は?」「シネマ・クレールを借ります。」
「OK。」みたいな?
会場がシネマ・クレールであっても、上映する主体はシネマ・クレールじゃないから、「配給会社の関係」から自由になれるんじゃね(笑)?

>一番お伝えしたかったのは北海道にもこの館のことを知っている人がいる

■うっふん♪
私なんぞ、人生の中で岡山県のことを考えたのは全部合わせてもまる2日間にも満たないと思うのですが(笑)、お手数おかけいたしました。
で、中野さんも旧知の(?)シネマ・クレールの浜田さんに、今までとは違う角度と文法(!)から会話ができて、楽しかったのでは(笑)?
ところで昨、読み終えた600ページを超える(!)『ミッシェル・ガン・エレファント』(ロッキング・オン、2000年4月28日)の中で、
彼らがデビュー直前に、どじんがギターを弾いていたホーボーズ・ジャングルと一緒にライブ企画を続けていたらしいっす。また、びっくり。
私の中の岡山。・・・って、映画のタイトルみたい。ちゃうか(がくっ。)。

>平井正也なんですが、10月30日のドッグスターは北の大地ツアーの皮切りのようです。
>10月31日札幌161倉庫、11月1日小樽Bar BONZ、11月2日苫小牧Bar old、11月3日札幌カエルヤ珈琲店。

■ああ。いい店は、いい表現者を探し出すのが上手ですね。
札幌『カエルヤ珈琲店』のブログをさっそく見たら、いい感じで平井正也を押していました♪
そうそう、
今回、落語を私にけしかけた芦別市のライブハウス『ROCK HOUSE DYLAN』のマスターに平井正也の話題を振ったら、こんなお返事。

2017年10月5日(木)12:44Pm「平井正也自体は知りませんが、マーガレットズロースは、高田渡周辺でよく名前を聞いています。
中川五郎さんと一緒にやったり、渡さんのカヴァーをやったりしてますね。
行けたらぜひレポート提出お願いします(^^)v」

さらに、間髪入れず、お調べになられたよーで。

2017年10月5日(木)3:38Pm「平井正也、いいですね。平井正也(マーガレットズロース)インタビュー

中野さんからのバトン・リレーが、続いて行きそうです(笑)♪

>北の大地にて大兄と、根の暗い話

■あがた森魚がデビュー前、喫茶店で早川義夫の前でギターを弾きながら歌っている静謐な図を想像いたしました(笑)。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

現実の向こうに見ようとするもの

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年10月15日(日)23時18分29秒
返信・引用
  「ローサは密告された」見ました。見て圧倒されたんですが、実はよくわからんかったんです。
迫力はすごい。写される一つ一つが、紛れもない現実であろうと思わせる。あの奇怪な取調室(本来の警察署との関係は文字どおりわからなかったんですが)、そこで急きょ催される宴会、都市スラムの雑踏からなぜか生み出される5万(ペソ?)、何より主演のジャクリン・ホセの視線の強靭さ。願望も憎しみも映らない、ただ現実と可能性だけを凝視している視線の強靭さは、強く印象に残りました。
それでは何が、と言えば、これが今の現実そのままであるならドキュメンタリーであるはずで、劇映画であるからには、現在ある実体の向こうの、監督が見ようとしているものが作りこまれているはず、それがぼくには見えないということかなと思うわけです。1日半ほどの時間の中で人の生き死にに関わりかねない「小」事件が起こり、裏切りやら暴力やら男娼やら融通やらがあって、かき混ぜられた油の海のようにすぐ元の姿にねっとりと戻っていく。ぼくにはそう見えるのですが、その現実を写し取ること自体が、その先にある何かを指し示しているということなのでしょうか。その場にいるものには明らかに見えていて、ぼくには見えていないということかもしれませんが。
とはいえ、圧倒的な何かを見せられたということは確かです。ありがとうございました。

行った機会にシネマ・クレールの浜田さんに話しかけてみました。
中野「ぼくはあまり映画を見ない者ですが、知人に勧められて先日からお宅で何本かの映画をうんぬん」
浜田「どんな映画を勧められたのですか」
中野「『ローサは密告された』とか『彼女の人生は間違いじゃない』です。今回実は、とてもいい映画があるけど岡山で上映予定がないので、シネマ・クレールでやってもらえと言われましてうんぬん」
浜田(中野がプリントしていったゲストブックを一目見るなり)「スイス・アーミー・マンですね。配給会社の関係で私どもの館ではできないんです。人気も出ているみたいなんですが、うちでは難しいですねぇ」
中野「あ、それわかりました。いや、一番お伝えしたかったのは北海道にもこの館のことを知っている人がいるということで(以下意味不明瞭の発言少し)」
悪い癖であわてて肝心のところを抜かして話したため、浜田さんには何のことかわからなかっただろうと思います。

ところで平井正也なんですが、10月30日のドッグスターは北の大地ツアーの皮切りのようです。10月31日札幌161倉庫、11月1日小樽Bar BONZ、11月2日苫小牧Bar old、11月3日札幌カエルヤ珈琲店。ご参考までに。

>我々は直接に会う以上の出会いを深めていますね
   ↓
ありがとうございます。しかしぜひ一度はお会いしたい!わたくし、いまだ津軽海峡を越えたことがないんですが、いつか北の大地にて大兄と、根の暗い話をしたいものだと思っております。
 

平井正也の札幌ライブ会場、訪問記♪

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 9月28日(木)11時43分44秒
返信・引用 編集済
  Single pigeon through Mr.中野真吾
>大兄のおすすめに従い「ローサは密告された」見に行きます!

■日本における、ほとんど全ての映画の上映日は、東京が一番先なので、
私は東京に住む知人から、「あの映画が良かったよ♪」的アドヴァイスをもらったり、東京で絶賛上映中のメディア批評などを参考に、
北海道で上映される日を楽しみに待つのですが、
私には今まで岡山県に住む知人がいなかったので、
なんと!
日本の映画の上映スケジュールが、
東京→北海道→岡山県
っー順番だとゆーことに、中野さんとの交流で知りました(笑)。
最後に上映される、ってーのは不利なよーで、むしろ、中野さんの映画鑑賞ボリュームであれば、
東京で絶賛上映中のメディア批評→共犯映画批評→中野さん
のフィルターが良品を無駄なく観れるアドバンテージかもしれませんね♪
お互い、イナカに住んでいて良かった(笑)♪
で、『ローサは密告された』がまだ上映されていない岡山県への、さらなるお次のリコメンド映画ですが、
昨日、私が札幌へ仕事で行ったついで(?)に映画を3本観たのですが、
やっぱ、映画館で観たい♪『少女ファニーと運命の旅』はマトメ過ぎ、やっぱ、映画館で観たい♪『プラネタリウム』はとっちらかり過ぎ、やっぱ、映画館で観たい♪『スイス・アーミー・マン』はとっちらかり過ぎがおもしろ過ぎ、でしたので、
てなわけで、今回の司令は、究極の超☆自然エネルギー=屁?『スイス・アーミー・マン』を観よ!なんですが~。
なんせ、あの『ハリーポッター』=ダニエル・ラドクリフがオナラと勃起(がくっ。)しっぱなしの死体(!)の役!とゆーある意味、ゾンビ映画なのか?でも、ちがう~。
その相棒は、『Love & Mercy』で60年代のブライアン・ウィルソン(!)の役をやったポール・ダノが引きこもり&むっつりストーカー役!変態映画か?でも、ちゃう&ちゃう~。
とゆード室内コンビなのに、映画の舞台は、超☆室外のみ。とゆー、私の脳味噌には既成概念とゆー概念は無い、な映画です。
そも&そもタイトルの意味は、万能ナイフの「スイス・アーミー・ナイフ」をもじったんですねぇ。
万能な死体。・・・あはは。これから観る人がうらやましぃー。が、
しか・・・・・・・・・死?かし、
この映画、岡山県での上映は今のところ決まっていがーーーーーーん!ないらしい!!!
中野さんのご近所であれば、
絶賛上映中! 兵庫『TOHOシネマズ西宮OS』&『シネ・リーブル神戸』か、
11月4日(土)~2週間限定公開 愛媛『ユナイテッド・シネマ フジグラン今治』  0570-783-226 、ですね。
てか、この機会に(?)中野さんから、岡山県『シネマ・クレール』の浜田高夫さんに『スイス・アーミー・マン』の上映を、けしかけてください(笑)♪
「ハリーポッター映画だから、老若男女、千客万来っすよ♪」とか、セールス・トークで(笑)。

>ぼくも「おせっかい」をさせていただきますと、10月30日に札幌市中央区のドッグスターという店でライブ

■いやぁー、私、平井正也も、彼のバンド♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die「マーガレットズロース」も知りませんでした。
ググれば、よだれがでます。
影響を受けた音楽どころか、「友部正人、早川義夫、遠藤賢司」と一緒のライブを企画&実行している行動力も、すてきだ!
こーして、お互いに魅力的なものを伝え合えれば、我々は直接に会う以上の出会いを深めていますね。ありがとうございます。
ご案内の10月30日(月)は、私にとっては、まだ&まだヤミ米の繁忙期なので、ふつーならば時間が作れないのですが、
スタートが8Pmと遅いから、仕事が早く終わればクルマをぶっ飛ばせば行けるかな?
てなわけで、昨日の札幌★仕事&映画ツアーの移動時に、彼らのライブ会場の
天狼星「ドッグスター」
北海道札幌市中央区南5条西5丁目
モモヤビル 8階
011-513-1180
に、行ってきました♪

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

平井正也を知る

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 9月24日(日)02時43分10秒
返信・引用 編集済
  大兄のおすすめに従い「ローサは密告された」見に行きます!

ところで大兄は平井正也をご存知ですか。
ぼくは知らなかったんですが、先日知り合ったセーネンに「友部正人のアルバムにも参加したマーガレットズロースというバンドのボーカルです。今度岡山でライブがあるんでぜひ」と言われて行ってきました。
予習にマーガレットズロースのHPを見ると、影響を受けた音楽として「友部正人、早川義夫、ボブ・ディラン、あがた森魚、遠藤賢司、渡辺勝…」まだ若いのに。
で、最高でした。テレキャスぶら下げての弾き語りで、一人ロックンロールしてました。歌詞は「夜は夜の不安になる/昼は昼の不安になる」(斜陽)とか「きみは嫌とは言わないけれど/ぼくを許してくれない」(いい夜だよ)とか「答えが先にわかってるのに問題が解けない」(夢の人)とか。
ぼくも「おせっかい」をさせていただきますと、10月30日に札幌市中央区のドッグスターという店でライブがあるようです。興味を持っていただけたら、ぜひ。
https://youtu.be/L8vT60MEUbA
 

壊れた家族の中から 俺を探し出すんだ 雑音なしの俺を

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 9月19日(火)12時55分42秒
返信・引用 編集済
  I have no answer for Mr.中野真吾 little lamb Dragonfly fly by my window♪
>久保さんとお話をするため(うわ、気もちわるう)見てまいりました。

■(笑)。
もし、まだ♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die三宅どじん伸也が生きている間に、私が中野さんと出会っていたら?とか、それを読んで少し考えました。
きっと、どじんは天真爛漫に、ご近所の中野さんに会いに行ってたでしょう。
そして共通の居場所、PEPPERLANDあたりでカレーを喰いながら音楽を語ったり、コーヒーを飲みながら『共犯新聞』を語ったような気がします(笑)。
私たちは、こうして間に合わなかったまぼろしを含めて生きているのでしょう。

>2週続けて映画を見るのは30年ぶりくらいでしょうか。

■先日、我が町にある自衛隊の式典で、新人の兵士がスピーチで、
「趣味は映画です。しかし、沼田町では映画は観れないので、自分は写真をやってみたいです。」
と、語っていました。・・・まぁ、私は沼田町に住みながら年間約100本の映画を映画館で観ているのですが(笑&がくっ。)。
先週末は、これらを観ました。

2017年9月16日(土)6:00Pm 沼田町を出発
札幌ファクトリー  8:50Pm~10:45Pm 奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール
         11:20Pm~ 1:40Am 三度目の殺人

2017年9月17日(日)
シアター・キノ 9:35Am~11:40Am パターソン
        11:55Am~ 2:15Pm ELLE エル
スガイ札幌劇場  3:40Pm~ 5:50Pm オン・ザ・ミルキーロード
        6:00Pm~ 7:55Pm ローサは密告された

2017年9月18日(月)
札幌ファクトリー 8:50Am~10:50Am ダンケルク
        11:20Am~ 1:45Pm 散歩する侵略者
                2:00Pm~ 4:15Pm エイリアン:コヴェナント

■この中で、圧倒的にすごかったのは、やっぱ、映画館で観たい♪『ローサは密告された』です。
安心してください。岡山県の映画館『シネマ・クレール』でも、10月14日(土)から上映されます(超☆おせっかいでしょ・笑?)。
今回は(?)3週間以上、間が離れるので、ちょうどいい(?)間隔ではないでしょうか(笑)。
私は、この映画を観る前は、今年のベスト1は『ハクソー・リッジ』か、『ダンケルク』かな?と思っていましたが、圧倒的に、今のところ『ローサは密告された』がベストです。
是非、中野さんの言葉で感想を読みたいと熱望♪

>修復できない。どうしようもなく壊れてしまう。家庭というものは本来的にそのような要素を内包している

■モノも精神も、あらゆるものは、壊れる、ではなく、維持されることによって、名付けられている、のだと私は考えています。
つまり、「壊れた」と嘆くのは、「維持されているだけである」前提を知らない奢り、のよーなもの。
社会が壊れた後にアナーキーがあるのではなく、アナーキーの中で選択されたごく少数の維持装置が、たま&たま、ある・だけ。
だから、その維持装置が愛おしくもあるんですよね。
ジャン・ジャック・ルソーの社会とか、家族とか、憲法とか、音楽のジャンルとか。
そして、たとえば、すごい本に出合った時、その本を自分の本棚のどの位置に収めるか、
で悩み、
結果、そのたった1冊のために本棚の本を総入れ替えしなければならない
のって、不幸じゃなくて、幸福ですよね(笑)。
そこに喜びを感じるひとと仲良くなりたい私(笑)。

>作者はなぜこの家庭を生み出したのか、このような回復を描くためにこの家庭を生み出したのならあんまりだ

■おお。すごい視点。

>宮藤官九郎、素晴らしいですね。背広を着こみ、ひげをそり、紙包みを持ってデパートの屋上に座っている姿が忘れられません。あの姿こそがこの映画全体の救済だったような

■同感。
この映画は、すべてが(悪い意味での)「重松清」的に「準備」されていますが、
まさに宮藤官九郎の屋上でのたたずまいは、「たった1冊のために本棚の本を総入れ替えしなければならない」爆発力がありますよね。

>9月15日の朝日新聞に「白人至上主義の病巣」というインタビュー記事

■私も読みました(笑)。
私は、学校ではまったく勉強はしなかった&興味がなかったことでも、
興味がある人が興味のサインを出したことには、徹底して興味を向ける≒勉強する(成績に反映されない。がくっ。)タイプです。
中野さんが、8月17日にfacebookでザ・バンドとからめて、
「アメリカでは、リー将軍の銅像撤去がきっかけで死亡事件まで起こってしまったわけですが、
ザ・バンドの ザ・ナイト・ゼイ・ドローブ・オールド・ディキシー・ダウンなんか、
どんな風に受け取られているんでしょうか。」

と、書き込んでいたことから、私の興味&お勉強の方向に、そこが加わっていたので、朝日新聞のこの記事も☆とーぜん読んだわけです。
そして、ああ、中野さんに、この記事を伝えたいなぁ、と想っていたのですが(笑)。

>パンク音楽を聴きに行ってネオナチと知り合う

■セックス・ピストルズのライブに、
ハーケンクロイツなどナチの図柄がファッション・アイテムになった時期があったか
らねー。
沢田研二が「サムライ」の時にマネして物議をかもしましたよね。
アレは、不快が演出する「たった1冊のために本棚の本を総入れ替えしなければならない」効果を狙ったのでしょう。
つまり、不快のパワーを利用した表現。
そして今、宮藤官九郎はハーケンクロイツに頼らずに表現できる爆発力を持っている。時代は少し、進化したのかな(笑)。
それでも、ストーンズにヘルズ・エンジェルがまとわりついたように、演出が見せた隙に入り込む虫ケラっていますから、ご注意。
■あと、時々、驚く(?)のは、日本のアマチュアでロックをやっている(と思っている)お方で、国粋主義者、自民党の支持者って、けっこー多いんですよね(笑)。
それって、ロックが持つ堅牢な形式主義や、男気(げー)、たよれるアニキ大好き♪的なムードから、なんでしょうね。
イギー・ポップの自由や、デビッド・ボウイの女気、早川義夫のもてなさぶりこそが、ロックなんだけどね。

>南部の人々にとっては、「南部が北部に打倒された戦争」

■ザ・バンドが表現したのは、違和感。
それは、「南部は北部よりも正しい」、とか言うことじゃなくて、勝者が歴史をフラットにしちまう多様性の死滅を嘆いた、のだと私は感じました。

>「負けた俺を助けることはあんたにゃできない」

■「負けた男の口惜しさは誰にも知られたくない」
と、書くと陳腐な浪花節ですが、これは頭脳警察の第一期ラスト・アルバム『悪たれ小僧』収録の「ひと粒の種になって A little bit of me」の歌詞の一部。
あの時代、ザ・バンドが聴かれたのは、70年代安保などの敗北の余韻から、も、あった・のでしょうか。
■また、ザ・バンドの「負けた」は、勝者とは違う価値である、とゆーことであると私は思うのです。そこが、この曲の本質のような気がします。

>まあ、この歌詞も実はよくわからないんですが。

■うんうん。すてきですよね。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

壊れていくもの

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 9月16日(土)10時01分20秒
返信・引用
  「幼な子われらに生まれ」見ました。集中力がないため映画は若干苦手としているのですが、久保さんとお話をするため(うわ、気もちわるう)見てまいりました。2週続けて映画を見るのは30年ぶりくらいでしょうか。
で、見終わって、久保さんが言われていた「良い予感」「悪い予感」どちらもよくわかりました。ともかく「家庭が壊れていく」ときのどうしようもない無力感が伝わってきました。この家庭は特に壊れやすくできているわけですが、そうでない家庭も、何かのきっかけで、あるいは特にこれといった原因もないのに壊れはじめていくことがある。あるところまで来たら、修復できない。どうしようもなく壊れてしまう。家庭というものは本来的にそのような要素を内包しているのだと思いました。
見ている途中で、この家庭は修復不可能だと感じました。それが回復していく過程には、正直少々無理があると感じます。(長女が家庭を離れて祖母と住もうとしているというあたりにきちんとした「眼」は存在するんですが)ただ、作者はなぜこの家庭を生み出したのか、このような回復を描くためにこの家庭を生み出したのならあんまりだと思うし、自分が生み出してしまった家庭を何とかして救済したい、どうすればそれが可能かと行き悩んだ末に行きついたものがあの終末部だったのなら、それはあれこれ言える話ではないと思います。
ところで宮藤官九郎、素晴らしいですね。背広を着こみ、ひげをそり、紙包みを持ってデパートの屋上に座っている姿が忘れられません。あの姿こそがこの映画全体の救済だったような、理由はわからないんですがそんな気がします。

話は全く変わるんですが(長くなってすいません)、9月15日の朝日新聞に「白人至上主義の病巣」というインタビュー記事があって、その中に二か所。
ピート・シーミー「過激な白人至上主義との出会いは、パンク音楽を聴きに行ってネオナチと知り合うとか、往々にして偶然です」
  ↑
いやあ、いつからパンクシーンはそのような場になっていたのでしょうか。パティ・スミスは、PILは、ポップ・グループは、スターリンは、アブノーマル・ストリッパーは……それともこのピート・シーミーという人がものを知らないだけなのかも知れませんが。

インタビュアー「各地に奴隷制を守ろうとした南部側の英雄像があります。撤去の動きが進む一方、撤去反対という米国民も多いようです」
ピート・シーミー「撤去すべきでないと考えるのは我々が事実と異なる歴史を教えられてきたから。南北戦争を戦った後、南部は合衆国に復帰して再建され、幸せになった。そういう歴史を教えられてきた」
  ↑
論旨がわかりにくいんですが、「実際には、南部は南部としての独立志向と有色人蔑視を失っておらず、それを知らない人間が、撤去しなくてもいいではないかと言っている」と言おうとしているようです。ところで、南北戦争が奴隷解放戦争だったのは確かでしょうが、南部の人々にとっては、「南部が北部に打倒された戦争」だったとしても不思議はありません。それらの人にとって、敗れた祖先の英雄であったリー将軍(ウィキネタでは彼は奴隷解放論者だったそうです)の銅像を撤去するというのは何を意味するのでしょうか。複雑な背景があるのでしょうが、ザ・バンドの「ザ・ナイト・ゼイ・ドローブ・オールド・ディキシー・ダウン」が大好きなぼくとしては、「ちがうだろー」とかつぶやきたくなるわけです。

「女房と一緒にテネシーに帰った/おる日あいつが俺を呼んで言う/早く来て見なよ、リー将軍が通っていくよ」とか「兄貴は18歳、誇り高く勇敢だった/ヤンキーどもは兄貴を墓場に寝かせちまった」とか「負けた俺を助けることはあんたにゃできない」とか「奴らが南部をのし歩いた夜/鐘が鳴り渡り/みんなラ・ラ・ラ・ラ・ラとうたいながら行った」とか。まあ、この歌詞も実はよくわからないんですが。
 

カタルシスを超えて

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 9月 6日(水)12時13分21秒
返信・引用 編集済
  Only one more kiss, I didn’t mean to hurt Mr.中野真吾♪
>解決や解消や回復を作り物っぽく見せてしまう

■村上春樹(笑)がデビューした1979年に私は高校3年生でしたので、彼は私にとって最初のデビュー作から読み続けている作家です。
彼の初期~中期の作品には、結論めいたものが無く、そこが弱点だ、と、多くの批判もありました。
その後、1971年生まれの伊坂幸太郎が21世紀になって活躍し始めると、伊坂の、あまりにも回収上手な物語の構築技術に、食傷気味になった向きも多いと思います。
村上春樹の「再」評価は、そんな「伊坂」的に対しての相対的な「再」発見であった、んじゃねーのかな?って、私はひとりで感じています。
■先日、私は久々に2本観た。『幼な子われらに生まれ』は、凡人から試される屈辱の彼岸、『ワンダーウーマン』は、勧善懲悪の超克。『幼な子われらに生まれ』を観てきました。
原作が重松清なので、観る前には、良い予感と、悪い予感がしましたが、両方の予感が当たりました。
「良い予感」は、現在を意外な部分から切り出し、それを複合的に積み上げてゆき、普遍的な問題を観客に気が付かさせる。
「悪い予感」は、中野さんが書いた「解決や解消や回復を作り物っぽく見せてしまう」、そのものです。
■「商品化」するためには、消費者にカタルシスを与えなければならない。
音楽ならばキャッチーなメロディーを。物語ならば分かりやすい結論を。
では、キャッチーって、分かりやすいって、何?
ってことなんだけど。
だから、私たちは宇宙の辺境『共犯新聞』ゲストブックで言葉を垂れ流している、んだけど。
我々が単独者のまま、安易なカタルシスに頼らずに、つながってゆく手法について、でした(笑)。

>なぜ主人公が回復できていないのかといえば、ぼくはそれが「若くて美しい女性だから」

■「若い」、「美しい」、「おんな」って(だけで)残酷なのですね。
喪失の落差が、負のエネルギーを生んだとしても、エネルギーはエネルギーである、とゆーもうひとつの残酷さ。

>元恋人

■この役を演じたのは、橋口亮輔・監督&脚本による2015年の映画『恋人たち』主人公の篠原篤ですよね。
がおー。『シン・ゴジラ』のキャスティングも素晴らしかったけど、
日本のマイナー映画で、いい仕事をしている俳優やスタッフが、次の映画にきちんと掬われてゆく、のって、いいですよねぇ。

>自分が憎むものに自分のすべてを奪われようとする不幸福な王女

■中野さん、さすがの洞察。
閉塞と疲労の果ての消費者用のカタルシスは映画の終盤に準備されてはいましたが、まずは、そこまで見せた力量は正確に評価したいですよね。

>シネマ・クレールの浜田高夫さん

■今回、中野さんに『彼女の人生は間違いじゃない』を観ていただきたくて、ネット検索で見つけた中野さんのご近所の映画館が、
岡山県のシネマ・クレールでしたが、やはり、地元のキー・パーソンなのですねぇ~。すげぇや。
しかも、つい今、私が話題にした『幼な子われらに生まれ』が、まさに今、上映中じゃないですか(笑)!

>音楽、漫画、映画、写真、ありとあらゆる分野

■まるで、『共犯新聞』(笑)。

>ここ何十年にもわたって岡山のわけのわからん連中のゴッドファーザーとゴッドマザー

■そして、あまたのゴッドチルドレンが岡山にうじゃ&うじゃ&うじゃ?

>同人誌を置いてもらい8ミリ映画を上映してもらい

■わっ。読みたい&観たい。

>弱いものに宿っているものが次の時代を変えてゆきます

■うん。
もっと正確に表現する言葉があるとは思いますが、そんな志を具体化&持続しているのは、希望ですよね。
やっぱ、東京以外オリンピック、だな。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

単独者

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 9月 4日(月)22時37分2秒
返信・引用
  先日、「一匹狼の文化人on岡山」という本が出ました。岡山で長年音楽や映画や演劇に関わってきた四人の人のインタビュー集で、写真はその表紙です。左下の人がシネマ・クレールの浜田高夫さんです。
ここで紹介したいのが左上の人で、能勢伊勢雄さんといいます。1974年にライブハウスPEPPERLANDをスタートさせ、そこを根城に音楽、漫画、映画、写真、ありとあらゆる分野に切り込んで行き、今も行きつつある人です。能勢さん夫妻は、言ってしまえばここ何十年にもわたって岡山のわけのわからん連中のゴッドファーザーとゴッドマザーです。
ぼくにとってペパーランドは友部のライブを初めて見た場所であり、早川義夫を知った場所であり、同人誌を置いてもらい8ミリ映画を上映してもらい、真崎守についてしゃべらせてもらい顔を見れば声をかけてもらい、ガロであり宮沢賢治でありコーヒーでありカレーであり…本当に頭が上がりません。
能勢さんは教養の範囲が無茶苦茶に広く深く、偏っており、残念ながらぼくなどには何を言っているのかわからないことも多いのですが、インタビューの中にとてもいい部分があったので無断引用します。
「私はクラシックとか現代音楽を聴きまくることはあえてしない。なぜかと言ったら、一番スノッブな、大衆的な、まあ俗にいえば下衆な音楽のなかにこそ、次の時代を変えていく力が一番鮮明に現れるからです。それは価値付けられてない、あるいは評価が乏しい、そうであればあるほど霊的な力に敏感です。その理由は、下衆な音楽をささえている人がやっぱり弱い人々だからなのです。弱いものに宿っているものが次の時代を変えてゆきます」
 

不幸福な王女

 投稿者:中野真吾  投稿日:2017年 9月 4日(月)21時35分40秒
返信・引用
  「彼女の人生は間違いじゃない」見ました。そこにある現実の風景と、主人公の表情やそれが作り出す息苦しい空気感と、凄いものを見たという気がします。ありがとうございました。
もっとも、映画の最終盤、主人公を訪れる解決か解消か回復が唐突なものに思え、物語の筋としては理解できてもやはり腑に落ちないという気持ちは残りました(ぼくのピントが外れているのかもしれませんが)。つまりそれは、四分の三あたりまで提示され続けた被破壊のリアルさが、ほとんどの解決や解消や回復を作り物っぽく見せてしまうということなのだと思います。しかしもちろん、作品を作るうえで、解決等を提示しようとすることは義務のようなものであり、この映画はラストを含めて果敢な試みだったのだと思います。
主人公が昔、恋人に言われた「こんな時にデートしてていいのかな」という言葉が、主人公の今に至る心象を表しています。なぜかという理由を抜きにして、主人公は自分からすべてを奪わずにいられない。デリヘルの面接を受けた時の「しなくちゃいけないから」という言葉がそれをまっすぐに示しています。
おそらくこれは、震災直後に多くの人を襲った感情で、かなりの人が少しずつそこから回復していく途上にある。主人公はそこからまだあまり回復できておらず(あるいは回復を罪悪と感じ続けており)、それが父親や元恋人へのほとんど理不尽な反発として現れているのだと思います。
ではなぜ主人公が回復できていないのかといえば、ぼくはそれが「若くて美しい女性だから」なのではないかと思いました。死んでしまった人たちと同じところにたどり着くまですべてを失ってしまおうとするとき、すべてを奪われなければならない。その時の痛みは、多くを持って(持たされてしまって)いるものにとって、より激しいのではないかと思うのです。若くて美しい女性は、見苦しいヲッサンにくらべて、はるかに多くのものを所有して(与えられてしまって)いるわけで(「容姿に恵まれている」とかいいますよね)、それを身から引き離すために、彼女はデリヘル行きを選択せざるを得なかったということなのでしょう。
元恋人に「自分はいまサイテーなことを言っているか」と問い、「いやでしょ、デリヘル嬢が彼女だなんて」と言い、「こんなふうにしか」と言うとき、彼女はついに何もかもを失い、それが最終盤の転調につながって行くんだろうと思います。
そう考えると、デリヘルの舞台が東京だということの意味合いに思い当ります。福島でそれを行うなら、もしかしたら奪われつくした者たちに何かを与える行為になったかもしれない。福島を収奪し尽している東京で行うことで、自分もまた根底から収奪されることとなり、いなくなってしまった人たちと同じところまで落ちていくことができるということではないでしょうか。
つまり彼女は、苦しんでいる人に自分のすべてを与える幸福な王子ではなく、自分が憎むものに自分のすべてを奪われようとする不幸福な王女なのだと思います。この映画は、その不幸福な王女を何とかして笑顔にしたいという、果敢な力業だと思うわけです。
福島に行ったこともない自分がわかったようなことを書いて、とも思いますが、見終わっての素直な感想です。
 

表現に有効なのは、センチメンタルなのか、切実なのか。

 投稿者:久保AB-ST元宏  投稿日:2017年 8月30日(水)22時26分51秒
返信・引用 編集済
  Mr.中野真吾 can't go wrong♪ Get on the right thing♪
>たくさんの曲を知るに至った自分が、ある特定の曲を選んでうたう

■もしも、この世の中に音楽が1曲だけなら。

>うたを作る

■岩谷宏が1982年に出版した単行本の副題に、「ぼくらに英語はわからない」、ってのがありましたよね。
その理由を彼は、「日本人の世界観とは全く相容れない観念だから」と書き、
「むしろ個々のもつあきらかな”ちがい”の方が、個々の真価につながり、相互尊重の基盤になるもの」と、書いた。
だったら副題は、「ぼくに君はわからない」のほーが、正確ですよね(笑)。
■1982年、私は東京で戸田康司と出会い、お互いバンドで「うたを作る」パンクスで、1983年のクリスマスに突然、連絡を取らなくなったんだけど、
それが&なんと&突然、facebookで「おともだち申請」(がくっ。)が戸田から来て、2016年5月4日に、
33年ぶりにそれでも私は再会
私がなぜ戸田と別れたのか?について、私は「私は戸田よりも、より切実だったから。」と、その時に説明(?)したんだけど、
33年後の今では「うたを作る」のは戸田のほうだけ、なんだけど(がくっ。)。
それでも、切実さは今も私の方が強い、とは思うけど、ではなぜ今、私は「うたを作る」ことをしないのだろうか?

>年寄りとは失うものをなくしてしまっている存在

■私の定義は、「年寄りとは再会できる存在」

>誰にもつながれないということを自覚している淋しさは、誰もが共有

■喪失と孤独の違い。

http://www.geocities.jp/kyouhanshinbun/index.html

 

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